1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が3日限りで展示を中止した。この企画展は、組織的検閲や忖度(そんたく)によって表現の機会を奪われた作品を集めて2015年に開催された「表現の不自由展」の展示物の「その後」や同年以降に展示不許可作品などを紹介するものだった。
展示された慰安婦像のレプリカや、昭和天皇の写真を焼却する映像作品などに関して、放火予告などを含む多数の脅迫が寄せられたため、県が安全に配慮して中止したという。
河村たかし名古屋市長は、企画展を見て、「これは美術なのか」「日本の世論がハイジャックされたような展覧会だ」と思って大村秀章・愛知県知事に中止を申し入れたとも報道された。
日韓関係が険悪なこともあり、同企画展について、河村氏同様不愉快に感じる人も少なくないと思われる。しかし、法律の世界では、「表現の自由」は基本的人権の中で最も重要な権利と位置づけられている。表現の自由には、まず、個人が自己を表現(自己実現)するという主観的な価値がある。
そして、偏った事実や意見にだけ囲まれていれば人は客観的な判断ができないから、多様な事実・意見の表明は妨げられてはならないという社会的・参政権的な価値がある。「私はあなたの意見には反対だ。だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(ヴォルテール)と言われるゆえんである。
このため、行政府である河村市長の中止申し入れ行為について、憲法学者91人は表現の自由の理解を欠くものであるとした共同声明を行った。
戦後、マスメディアが第4の権力になるにしたがって、表現の自由は表現する側の権利だけでなく、表現を受け取る側の知る権利として再構成されてきた。情報を提供する力が寡占状態になれば、情報提供者は提供する情報の選択によって容易に世論形成を誘導できるからである。
今回の事件は、第5の権力に成長したSNS(会員制交流サイト)が表現の自由に与える影響の大きさについても考えさせるものになった。愛知県には、13日までに約5500件の抗議の電話やファクス、メールが届き、そのうち脅迫メールが770通あったという。多くの人がSNS上で、河村市長に賛同し、公共団体はこのような企画展の開催を認めるべきではないと述べている。
もともと、名誉毀損(きそん)やわいせつな表現のように公共の福祉に反する表現は禁止されている。反対にそのように禁止される範疇(はんちゅう)でない表現の自由は保障されなければならない。
憲法は、基本的に国家権力と個人との関係のルールである。しかし、ネット世論が特定の表現を封殺できるようになると、結果として言論の自由市場は成立しなくなる。マジョリティー(大多数)の好ましいと感じる表現だけで構成される社会は実質的な自由のない社会であり、イノベーションも起こらない。ネットの力によって復権した個人は、獲得したパワーに見合う見識を持つ必要がある。
【プロフィル】古田利雄
ふるた・としお 弁護士法人クレア法律事務所代表弁護士。1991年弁護士登録。ベンチャー起業支援をテーマに活動を続けている。東証1部のトランザクションなど上場企業の社外役員も兼務。東京都出身。
「フジサンケイビジネスアイ」