明日を生き抜く知恵の言葉

第34回

名将に学ぶ「上司学」⑭――名将・名君の人使いは「心使い」①

イノベーションズアイ編集局  ジャーナリスト 加賀谷 貢樹

 

「人を用いるに心を用いよ」

徳川家康の第九子で、尾張徳川家の祖である徳川義直(とくがわ・よしなお)はこう語ったという。

「侍は、形を使うのは簡単なことだが、心を使うことは難しい。(形だけではなく)心をうまく使わなければ、命令しても役には立たない」(『名将言行録』巻之四十四より訳出)

この義直の言葉は、「人使い」とは実は「心使い」なのだということを、今を生きる私たちに教えている。

ここでいう「侍」を「部下」と読み替えれば、上司が部下の「形を使う」というのは、心が通わぬまま有無をいわせず指示や命令に従わせたり、強制することを指すと考えられる

これに対し、部下の「心を使う」というのはどういうことか。

それは、組織のリーダーあるいは上司であるあなたに部下が全幅の信頼を寄せ、「この人のために」と力を尽くしてくれるようにすることだ。

かつての名将や名君は厳しい実力勝負の時代に生き残りをかけて、部下たちの「心を使う」ために自分を磨き、修養を重ね、自身の言動を律した。これから2回にわたり、名将・名君たちは、人使いの中で、どんな「心使い」を実践していたのかを掘り下げていく。

どんな部下でも顔と名前を覚え、必ず名前で呼ぶ

まず、江戸時代初期に老中職を務め、徳川三代将軍・家光の補佐役の1人として、長年家光の将軍教育にあたった青山忠俊(あおやま・ただとし)のエピソードを紹介しよう。

「忠俊は驚くべき記憶力の持ち主で、身分の低い家来までも、一度名前を聞けばその人の顔と名前をよく覚え、あとで行き会ったときには名前を呼んで挨拶したので、皆が驚いた。忠俊は、『名前を覚えることは、ひとえに努力によるものです』という。忠俊は笑いながら、『(名前を)覚えられるか覚えられないかは、意地がきれいか汚いかによるのです』と話を続けた。だが皆は『(お話を聞いて)ますます(理由が)わからなくなりました』という。そこで、忠俊が『(徳川御三家の尾張藩、紀伊藩、水戸藩の)三藩を始め、大名なら必ず(名前を)覚えるはずです。身分が低いと侮(あなど)っているから(名前を)覚えないのです。私は下々の者までも人間であることに変わりないと考え、平等に接しているので(名前を)きちんと覚えているのです』と話したので、皆が感心した」(『名将言行録』巻之六十より訳出)

相手の顔と名前を覚えることは、コミュニケーションの第一歩だ。相手を役職や「君」、「あなた」などの代名詞ではなく名前で呼ぶことで、お互いの心の距離を縮めることができる。

世間には、日常的に多くの人に接することを仕事にしている人たちがいる。たとえば学校の先生や接客業のスタッフは、数多くの生徒や顧客の顔と名前を覚えるために、人知れず努力をしている。インターネットを少し検索しても、生徒や顧客の顔と名前の覚え方を紹介するホームページに多数行き当たるほどだ。

これは、企業を始めとするさまざまな組織の内部でも同様だろう。規模にもよるが、課内あるいは部内なら部下の顔と名前をすぐに覚えられるかもしれない。だが、複数の部署にまたがる多数の社員や組織のメンバーを統括する経営者や役員、管理職になると、人の顔と名前を覚える苦労も一入(ひとしお)だろう。

個人の思想信条などとは関係なく、1つの例として聞いていただきたいのだが、かつて軍隊の指揮官にとって、部下たちの名前を覚えることは大事な仕事だった。

部隊によっては現場指揮官に、入隊予定者の名前と顔はもちろん、本人の家族構成や性格、家庭環境までを覚えさせ、1人ひとりのプロフィールをきちんと覚えているかを確認するところもあった。初対面の上官にいきなり名前で呼ばれた若い部下たちは大いに感激し、上官への信頼を深めたという。

忠俊自身が語る、部下たちの顔と名前を覚えるコツも奥深い。今風にいえば、上役やVIPならすぐに顔と名前を覚えらえるのに、職位の低い部下の顔と名前を覚えられないのは、どこかに下位の者を軽んじる意識があるからだという忠俊の指摘に、身が引き締まる思いがする。

職位の上下によらず、分け隔てなく部下に接する姿勢を大切にしたいものだ。

末席の目立たぬ場所で働く人にこそ、声がけを忘れない

徳川家康の第十男で紀州徳川家の初代藩主である徳川頼宣(とくがわ・よりのぶ)は、勇ましく覇気に富む性格だったが、その一方で、部下に細やかな気遣いを欠かさず、慕われた武人でもあった。

「頼宣は普段から、部下たちに親しまれることを第一に考えていた。たとえ五節句(*)や朔望(さくぼう/**)の出勤日でも、まず側近の家来たちを差し向け、広間やそのほかの座敷を見回らせた。そして、大勢の者が出勤し混雑している部屋の末席の、人目のつかないところに誰それが詰めていることを聞くと、自らそこに出向いた。(頼宣は)落ち着いた様子で1人1人に向き合い、その時々に合った話題を選んで声をかけ、末席で人目につかないところにいる家来の名前を呼び、その人に合わせた話題を選んで声をかけたので、末席にいる者までが(頼宣が親しく)接したことを喜んだ。部下たちは、『末席にいても殿は(自分たちのことを)よく見てくれている』と感じ、頼宣が出勤する日には、上席の者も末席の者も集まって人だかりができたという」(『名将言行録』巻之四十五より訳出)

(*)五節句:①人日(じんじつ/旧暦の正月7日。七草粥を食べる習慣がある)、②上巳(じょうし/3月3日)、③端午(たんご、5月5日)、④七夕(7月7日)、⑤重陽(ちょうよう/9月9日)の5つの節句をいう
(**)朔望:新月(=朔/さく)となる旧暦の1日と、満月(=望/ぼう)となる旧暦15日のこと

このエピソードから、大切なポイントを2つ指摘したい。まず、本連載の第31回記事で紹介した、聖徳太子の「十七条憲法」に記されている「上(かみ)和し下(しも)睦(むつ)めば」という一節を思い起こしてほしい。

これを今の職場にたとえれば、「上和し」とは「上司が(部下に)親しく接し」という意味で、「下睦めば」は「部下が互いに仲睦(なかむつ)まじくしていれば」という意味になる。

頼宣は普段から、部下に親しまれる存在になることを心がけていた。だが上記のエピソードを読む限り、頼宣はたとえば部下たちから「いい人」だと思われたいがために、親しい素振りを見せていたとは、とても考えられない。頼宣のふるまいは、もっと高い志から出ているように見える。

ここでよく考えていただきたい。徳川家康の第十男で紀州徳川家の初代藩主という、民衆や家来にとっては雲の上の存在である権力者。それが、頼宣の立場だ。

それと同様に、組織のリーダーや上司は、部下から見れば権力者であり、部下たちは上役の言動に常に注目している。上司自身はあまり意識していなくても、自分のちょっとした言葉の響きや表情に、部下たちは敏感に反応し、ときには萎縮し、心を閉ざしてしまうだろう。部下が心を閉ざしてしまっては、「形」は使えても、「心を使う」ことはできない。

頼宣は自らのそうした立場を自覚していたからこそ、普段から部下に親しまれる存在になることを心がけていたのではないか。

上位の役職や地位にある人であればあるほど「上和す」、つまり「自ら進んで部下たちと和していこう」という意識を持ちたいものだ。

上記のエピソードからは、もう1つ大切なことが読み取れる。それは頼宣が城内で、末席の人目につかないところで仕事をしている部下たちを気遣い、自ら出向いて名前を呼んで、親しく話をしていたことだ。

人は、目立つものや華々しいものに目を奪われがちだ。組織の中でも、高い業績を上げ、華々しく活躍している人に注目が集まりがちである。だが組織には、なかなか日の当たらないところで自らの役割を果たし、地道な努力を重ねている人たちがいる。そうした一見目立たぬところに、本当に組織を支えている人たちがいるのかもしれない。

末席で人目につかないところにいる部下たちの働きを気にかけ、目配りや心配りを忘れないことだ。

たまには融通を利かせて部下の心を解きほぐせ

最後に、織田信長、豊臣秀吉に仕え、阿波国(あわのくに/現在の徳島県)徳島城主となった蜂須賀家政(はちすか・いえまさ)のこんなエピソードを紹介しよう。

「家政が江戸にいた頃、彼はある大名の招きに応じて、その人物の邸宅を訪れた。(すると家政は)お供をしていた部下たちを呼び、『今日は屋敷に帰るのが夕方になるだろう。その間、お前たちは行きたいところに行ってこい。夕方には間違いなく戻ってくるのだぞ』といって1人ひとりに小粒銀を与えた。このようなことがたびたびあったという」(『名将言行録』巻之三十より訳出)

主人の家政に同行した家来たちは、家政が用事を終えるのを、おそらく訪問先の大名家に用意された控えの間で、ずっと待っていなければならなかったのだろう。

今日はとくに用事が長くなりそうだから、その間に行きたいところに行ってきていいぞ。夕方までには必ず戻れ。そういって自分のポケットマネーからサッと小遣い銭を渡す。そんな家政の心使いが粋(いき)である。

組織には、皆が守らなければならないルールやしきたりがあり、皆が毎日こなさなければならないルーティンがある。部下たちはその中で自分の役割を果たし、成果を上げ、目標を達成することを求められており、常にプレッシャー-にさらされている。

社会人なのだから当たり前。そのプレッシャーに耐えられる強さがなくては、ものの役には立たないという声が聞こえてきそうだ。

それはわかっている。だが、組織の日常はともすれば単調になりがちで、常に緊張状態が続くのは、モチベーションやメンタルヘルスの面からも好ましくない。あくまでもルール違反にならない程度にという条件がつくが、上司が自らの裁量の範囲内で、ときには融通を利かせ、部下たちの心を解きほぐす余裕がほしいものだ。

これはけっして「甘やかし」を奨励するものではない。

厳しさの中で本人の努力がなければ、成果は生まれないのは当たり前だが、厳しさだけではいずれ人は疲弊する。厳しさと温かい心使いは、車の両輪だと心得ていただきたい。

――次回に続く――

 

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