第21回
名将に学ぶ「上司学」①名将は怒らず諭し、悟らせる
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
上司も部下も、ともに悩んでいる
厚生労働省の「能力開発基本調査(事業所調査)」(2022年6月)によれば、能力開発や人材育成に問題がある事業所の割合は76.4%(全産業、2021年度調査)。
同調査では、企業が抱える能力開発や人材育成について、次のような問題が指摘されている(上位4項目を抜粋)。
・指導する人材が不足している 60.5%
・人材育成を行う時間がない 48.2%
・人材を育成しても辞めてしまう 44.0%
・鍛えがいのある人材が集まらない 23.6%
(能力開発や人材育成に関する問題がある事業所を100とした場合の割合〈%〉)
人手不足で皆が仕事に追われ、現場が逼迫している中で、能力開発や人材育成に取り組む企業の悩みは尽きない。
さらに、部下指導をいっそう難しくしている要素がパワハラだ。
最近、上司がパワハラだと言われることを恐れ、現場で指導を行いにくくなっているという話をよく耳にする。
「最近の若者は努力することを避ける」とか「傷つきやすい」といった、指導する側、上司の言い分もあるだろう。「部下を少々きつく叱ったら、パワハラと言われるという状況では、とても指導はできない」という気持ちもわかる。
だが、「ここで思考停止していては何も変わらない、何も良くならない」と、誰かが踏みとどまらなければならないはずだ。能力開発や人材育成の機能不全をそのままにしていては、先々、組織の存続が危ぶまれることになる。
部下に、本当に伝えたいこと、理解してもらわなければならないことが伝わらないまま、指導を投げ出してしまう。あるいは部下に、チームや部門のメンバーとして、究極的には人として立派に成長してもらうという、指導の本来の目的を達成できないでいることは、組織にとって大きな損失だ。
加えていえば、司法の場でパワハラと認定されるほど深刻な被害を受けたり、訴訟には至らなくても、社員(若手に限らない)が半ば泣き寝入りの状態で、心に大きな傷を負い、退職に追い込まれることもある。少しでも多くの方に、その深刻さに気づいていただきたい、という思いもある。
結局のところ、指導する立場にある上司の側も、部下の側も、ともに苦しんでいる。そこから抜け出すためのヒントはないものか。
「怒る」ことと「叱る」ことを区別する
いわゆるパワハラ対策として最近よく話題に上るのが、怒りの感情をコントロールする技術であるアンガーマネジメントだ。
まず前提として、怒ることがすべて悪いと言うつもりもないし、この記事を通じて「甘やかし」を推奨するものでもない。部下に本質を悟らせ、考え方と行動を変えてもらうために、あえて怒るべきときもあるだろう。
ただし、単なる感情に任せた強い怒りの爆発は、人間関係を確実に破壊する。それは自分自身が、感情に任せた怒りを受ける側になれば、よくわかるはずだ。
部下を指導する立場にある人は、4つの「注意すべき怒り」があることを心得ていただきたい。
「(1)強度の高い怒り
・一度怒り出すと気が済むまで全力で怒ってしまう
・周囲のことも気にせず大きな声で怒鳴る
・相手が反省している様子でもとことん怒る
(2)持続性のある怒り
・いつまでも怒りを忘れられず、根に持ってしまう
・どれほど月日がたっても忘れられない怒りがある
・思い出しては怒りを再燃させてしまう
・怒りを通り越して、恨みや憎しみに凝り固まってしまうことも
(3)頻度の高い怒り
・いつも怒っている人だと思われるくらいに頻繁に怒ってしまう
・いつでも不機嫌
・年中何かしらイライラしている
(4)攻撃性のある怒り
・他人に当たったり、責めてしまう
・自分を責めて、怒りをためこんでしまう
・ドアを叩きつけて出て行ったり、手近にあるものを投げつける」
(2018年2月5日付けWeb「NIKKEI STYLE」記事、「人間関係を破壊する 4つの『怒り』との付き合い方」所収の一般社団法人日本アンガ-マネジメント協会提供データより引用)
アンガーマネジメントに関する詳細な方法論は専門書に譲る。だが、私たちが部下の失敗などに向き合ったとき、まず、一時的な怒りの感情の爆発をこらえることが第一歩だということは、ここで指摘しておきたい。
同協会のアンガーマネジメントコンサルタント・早野光子氏は、カッとなったときの怒りの感情のピークは長くても6秒だと述べている。
(千葉県市町村総合事務組合 千葉県自治研修センター『クリエイティブ房総』2019 第97号所収、「ムダな怒りが消える心のトレーニング『アンガーマネジメント』」)
つまり、その6秒を持ちこたえ、怒りのピークを越えたその先に、本当の指導が始まるといえるだろう。
もう1つ大切なのは、「怒る」ことと「叱る」ことの違いを理解することだと考える。
「『怒る』は負の感情をぶつけること。怒鳴ることに近いです。
『叱る』は心が波立ってない状態で、教え諭すことです。
『怒る』と『叱る』は 心の状態が全く違うのです」
(田浦幼稚園〈神奈川県横須賀市〉HP「園長の子育てブログ」)
漢字の語源をさかのぼると、「怒」とは「強く力をこめて感情を爆発させる様子」(加納喜光『漢字語源語義辞典』〈東京堂出版〉)を表す言葉だ。
現代では「怒る」と「叱る」は同じような意味で使われているが、東洋大学ライフデザイン学部・生活支援学科子ども支援学専攻の鈴木崇之教授は、「怒」は基本的に「自分の感情」を表現した言葉で、「叱」は基本的に「相手に何かを伝える様子」を表しているといっている。
「結論からいえば、子どもと接するときは、怒るのではなく、しっかりと『何を伝えたいのか』という考えを持って叱ることが大事だと私は考えています」(鈴木教授)
(東洋大学WEBマガジン「LINK@TOYO」所収、「『怒る』と『叱る』で子どもは変わる!?健やかな成長を育む親子のコミュニケーション術とは?」)
基本的に、ここで言う「子ども」を「部下」に読み替えて差し支えないだろう。
怒りをぶつけず「諭す」のが名将だ
鈴木教授の言葉を踏まえると、「叱る」と言うからには、単に感情を爆発させるのではなく、部下に「何かを伝え」なければならない。諭(さと)すのだ。
「さと・す 【諭】〔他サ五(四)〕
(1)言い聞かせて、納得させる。教えてのみこませる」
(『日本国語大辞典』〈小学館〉)
そして、諭された部下は、悟るだろう。
「さと・る 【悟・覚】〔他ラ五(四)〕
(1)物事の道理をつまびらかに知る。あきらかに理解する。
(2)隠れているものを推しはかって知る。察知する。感づく。認める」
(同上、『日本国語大辞典』)
「怒り」の感情を乗り越え、上司と部下が「諭し、悟る」関係を築くことはできないものだろうか。
単に「これをああしろ」と指示したり、怒って人が動くなら、指導の現場にそれほど苦労はない。だが、人の心は非常に複雑だ。しかも、お互いに心が通って始めて、人は動く。だから、相手を動かそうとする前に、相手と心を通わせるための知恵を学ぶ必要があると思うのだ。
本連載の第18回から20回にわたり、『名将言行録』などを参考に、戦国時代から江戸中期に活躍した名将たちのエピソードを紹介した。ふたたび同書をひもときながら、今回から5回にわたり、名将たちが部下とどう向き合ってきたかを解説していきたいと思う。
戒めの言葉を「思いやり」で包み込んで諭す(黒田如水)
まずは、本連載の第20回で紹介した黒田官兵衛(くろだ・かんべえ/以下、本名の孝高〈よしたか〉と記す)が、家中のルールを破って博打をした家来をどう諭し、叱ったのかを見てみよう。
「孝高は聚楽第(じゅらくだい/豊臣秀吉が京都に築いた公邸)に出向いた頃、家中で賭け事を厳しく禁じた。ある夜、家来の桂菊右衛門という者が、他家に忍んで赴き賭け事で思うように勝ち、金銀や刀、脇差しなど多くを手にし、それらを羽織に包んで帰宅した。
ところが、道すがら夜が明けたので、『(ここは)孝高公がご出仕される通り道だ、行き会ってはまずかろう』と、ただただ帰路を急いだ。『万一見つかってとがめられたら「博打(ばくち)を打ちに行ったのではありません」と申し上げよう』と思い、先も見ずに急いでいると、曲がり角のところで孝高とばったり行き会った。
菊右衛門は大いに驚き、深々と頭を下げながら『私は博打を打ちに行ったのではありません』」と声高に申し上げたところ、孝高は聞こえぬふりをして道を通り過ぎていった」(岡谷繁実『名将言行録』巻之二十二より訳出)
菊右衛門は、厳しく禁じられている賭け事で勝ったあと、帰り道で孝高に突然行き会い、取り乱してしまったことを悔やんだ。「きっと切腹を申しつけられるだろう」と覚悟を決めて、家でふさぎ込んでいた。
すると間もなく、菊右衛門と一緒に賭け事をしていた者たちに、孝高から呼び出しがかかった。誰もが切腹を覚悟し孝高のもとに出向くと、意外なことに、孝高の居間の庭に竹を結(ゆ)わえて垣(かき)を作るように命じられた。菊右衛門は自分1人が家に閉じこもっているのは申し訳ないと思い、孝高の元を訪れる。菊右衛門の姿を見かけた孝高は、彼を呼び寄せて何かをささやいた。
しばらくして一同は作業を終え、「上々の出来映えだ」とお褒めの言葉をいただき、帰宅を許された。一同が庭を出ると、皆は菊右衛門に「孝高公はなんといったのか」と尋ねた。すると菊右衛門はこう答えたという。
「あのことだ。『お前はどこに博打を打ちに行ったのだ』とお尋ねになったので、誰々の家に行ったと申し上げた。すると『勝ったと見えるな。どれぐらい勝ったのか』と聞かれ、『一貫目あまりだと思いますが、今朝より心配し、金銀もいらないと思い、そのまま放っておいておりますので、どれだけの額になるかは存じません』とお答えした。
すると孝高公は手を打って、『それならば、勝ったぞ、金は要らないというのも道理だな。博打は禁止だと厳しく申しつけていたので、危ないことだ。今朝のようにたわけたことをいったのも、法度(はっと/定め)を恐れるからだ。それほどに思うなら、今後は法度に背くな。
あらゆる事柄には、良いことの次に悪いことが起こるものだ。勝ったときにきっぱりやめよ。お前の身分としては大げさな勝ち方だ。今回は許すが、今後(博打で)金を使い果たしたと聞いたら、処罰をいい渡すぞ。博打を打つな、無駄な物を買うな、金を使い果たさぬようにせよ』とおっしゃった』。
菊右衛門は大いに感激して行いを改めたので、俸給も加増され、一生安泰に暮らしたという」(『名将言行録』巻之二十二より訳出)
◇
孝高の家来の諭し方、叱り方について、読者の皆さんはどうお感じになっただろうか。
まず孝高は、菊右衛門と一緒に博打をしていた仲間を処罰するという名目で、一同を呼び出してはいない。「処罰するから登城せよ」と命じたら、恐怖心が先に立ち、反省どころではなかっただろう。
意外なことに、孝高は城中に呼び出した家来たちに、竹垣を結ぶ作業をせよと命じた。それは「大目玉を食らうのではないか」、「切腹させられるのではないか」といった恐れを、解きほぐすことが目的ではなかったかと思う。
まず、部下の緊張を解きほぐしたうえで、彼らを諭して自省を促し、自ら気付いて行動を変えてもらうための「心の素地」を作り出そうとしたのではないか。
実際、孝高は菊右衛門を、他人の面前で叱ることもしていない。よくいわれることだが、衆人環視のもとで叱ることは、部下指導における禁じ手だ。
孝高は菊右衛門1人だけを呼び寄せ、人目につかぬところで、思いやりの心を込めて諭した。今自分がお前を叱っているのは、博打で身を滅ぼしてほしくはないからだ。今回は勝ったが次に負ける時が来る。そうなる前に博打をきっぱりやめよ、と。
それでいて、「今後(博打で)金を使い果たしたと聞いたら、処罰をいい渡すぞ」と厳しく戒めている。
その戒めの言葉が、けっして強圧的に聞こえることはなく、心に響くのはなぜなのか。
私には、孝高は、厳しく戒めなければいけないことを、怒りを爆発させながらではなく、温かい思いやりで包み込みながら、諭し、悟らせ、気づかせたからだと思う。
禁を破った部下に対する怒りの感情を、思いやりに変換し、悟らせ、気づかせたといってもいいのかもしれない。
菊右衛門の話を聞いて、一緒に博打をしていた仲間たちにも、部下を思いやる孝高の思いやりの心は十分に伝わり、一同は行動を改めたはずだ。
孝高はどこまで計算して部下指導を行っていたかはわからないが、これはいわゆる「神対応」と呼んで差し支えないだろう。
こうした名将たちの洗練された下との向き合い方に、今を生きる私たちが学ぶべきことが、数多くあるのではないかと思う。
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
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