第27回
名将に学ぶ「上司学」⑦「人の目利き力」なきリーダーは組織戦に勝てない
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
名将は「弁舌巧みな智者」をどう見たか
若くして将来を嘱望されて織田信長の婿になり、のちに豊臣秀吉に仕えて数々の武功を上げ、会津百二十万石を与えられた蒲生氏郷(がもう・うじさと)について、こんなエピソードがある。
「玉川左右馬(たまがわ・さうま)という、弁舌が巧みだと世間で評判の者がいた。ある人が氏郷に、彼を採用するように勧めると、氏郷は大いに喜び、玉川を迎えて賓客の礼をもってもてなした。玉川は氏郷に謁見し、多くの事柄について語った。氏郷は玉川を10日ほど続けて夜話(やわ/夜に行う談話)に招いたが、そののち、とくに理由もなく金を与えて玉川を送り返した。彼を氏郷に薦めた人物は大いに失望し、氏郷の老臣もまた疑問に思った。
のちの夜話のとき、老臣がこう申し上げた。『玉川は格別に才能も知恵もある者ですから、臣下に取りたてて計略をお任せになることも、ままあるだろうと思っておりましたが、意外にも暇を与えられました。これは、どんなご配慮があってのことでございましょう。そのようなことは常々お聞かせいただいておりますが、玉川だけについては一言もお話がなかったことを、はなはだ疑問に思っております』」(『名将言行録』巻之二十三より訳出)
老臣にしてみれば、世間に名が通った知識人であり名士である玉川を、長政が重用せず、帰らせてしまったのはなぜか理解に苦しんだに違いない。長政は、その疑問にこう答えた。
「お前たちが疑問に思うのも、もっともだ。そもそも世間の智者と称する人物は、外見は落ち着きのあるように振る舞い、言葉を巧みに操り、能力や学問の才能があって、人の目を惑わせるにすぎない。今は学問が盛んではない時代だから、人の見方がわからず、彼を智者だと思うのだ。真の智者は、あのような者ではない。
なぜならば、(玉川は)最初に私に会ったとき、私のことを大いに褒めたたえ、それから他の武将の悪口をいって機嫌を取ろうとしたことが幾度もあった。また自分のよいところを褒められたいと思い、自らの交友のよい事柄を数え上げて語った。このような者は、智者といっても遠ざけるべきものだ。そういうわけで暇を与えたのだ」(『名将言行録』巻之二十三より訳出)
氏郷の「人の目利き力」は確かだったのか。その後日談が『名将言行録』に記されている。
「のちに玉川は、ある家に仕えた。才智ある者であるから、いったんは家中の者たちも名士を得たと喜んだ。ところが年月が経つにつれて、(玉川は)老臣を避け、忠義で正直な者をねたみ、自らの権威を振りかざすようになった。そのため家中の者はみな(玉川に)愛想を尽かし、家運も衰えたので、主人は自分の過ちを悔いて玉川を追い出した。そこに至って初めて、氏郷の洞察は神のようだといって、皆が感服したという」(『名将言行録』巻之二十三より訳出)
「勇猛果敢な者が、実戦で必ず手柄を立てるとは限らないぞ」
徳川家康に関しても、「人の目利き」について、学びの多い逸話が今に伝わっている。
家康は、じつは戦自体はあまり得意ではなかった(海上知明著『本当は誤解だらけの戦国合戦史』〈徳間書店〉および『戦略で読み解く日本合戦史』〈PHP新書〉)が、彼には「三河武士団」と呼ばれる忠実な家臣団がいた。
家康は、いわゆる三大危機(三河一向一揆、三方ヶ原〈みかたがはら〉の戦い、伊賀越え)を始め、戦場でたびたび窮地に陥っている。彼が数々の窮地を脱し天下を取ることができたのも、一致団結して家康を支えた三河武士団の働きが大きいといわれる。こうした家康と家臣団との強い結び付きは、ともに真剣勝負を重ねる中で構築された深い信頼関係によるものであったはずだ。
現代の職場に置き換えれば、信頼関係構築はまず、リーダーや上司が部下の「人となり」をよく見ようとすることから始まると思う。一筋縄ではいかないが、部下の適性や才能を見出すことはもちろん、本人の思いや信条を理解し「1人の人間として」尊重すること、今風にいえば相手を「受容し承認する」ことが欠かせない。
そのためには、「人の目利き力」にもとづく深い人間理解が必要になるはずだが、現代の職場で、はたしてそれは十分だろうか。「人手が足りない」、「時間がない」という中で、上司も部下も、お互いを「1人の人間として」尊重することから目をそらしてはいないだろうか。
家康のエピソードに戻ろう。
「いつの合戦であっただろうか、(家康公は)坂部三十郎(さんじゅうろう)広勝と久世(くぜ)三四郎広宣(ひろのぶ)の両人を斥候(せっこう/敵情を探ること)に出された。三十郎は命を受けると、非常に張り切った表情で家康公の御前を立ったが、三四郎は表情を変え、どことなく重々しい様子で出ていったので、そばに仕えていた近臣で、笑い出した者もいた」(『東照宮御実紀附録 第2 〈日本偉人言行資料〉』より訳出)
だが家康は、確信を持ってこういった。
「三十郎は生まれつき勇敢であるから、敵を何とも思わない。三四郎は武人としての心がけがよく、軍陣に立つからには生きては帰らないと思っているから、動揺を見せないのだ。今に見ておれ、三十郎よりも三四郎のほうが二町も三町も(一町=約110メートル)先に乗り込み、敵情を見て帰ってくるに違いない」(『東照宮御実紀附録 第2 〈日本偉人言行資料〉』より訳出)
結局、家康が話した通り、三四郎は三十郎よりも四町ほど奥に入って敵陣の様子を見極めて帰り、敵情を報告したという。
「人としての心がけがよく、軍陣に立つからには生きては帰らないと思っているから、動揺を見せない」という一節は、戦のない現代の日本ではあまり理解されないかもしれない。
たとえば、「武人としての心がけ」を「仕事に対するプロ意識」、「軍陣に立つからには生きては帰らない」という言葉を「なんとしても目標を達成し、成果を上げよう」と読み替えれば、現代の感覚に近いのではないだろうか。
敵陣に深く入り込み、敵情を探ることは、合戦の勝敗を大きく左右する重要な仕事だ。三四郎が、自分がそれだけ大事な役割を担っていることに対する責任を自覚し、平常心で、プロ意識に徹して役目を果たそうとしていることを、家康は三四郎の表情のわずかな変化から読み取ったのだろう。
自分なりの「ものさし」を持って人を見極める
一方、前回記事でもエピソードを紹介した黒田長政は、まだ戦場に出た経験のない若い家来を3つのタイプに分け、どのタイプの若者が実戦でどんな働きをするのかを見極めようとしていた。
「(私は)若い者たちを、戦場に連れていく前から(性格や行動などによって)3つに分類し、(実戦でどんな働きをするのかを)試したことがあった。
まず10人は、一見して見栄えもよく才覚もあり、必ず優れた働きをするだろうと思われる者。また10人は見るからに才覚も鈍く弱々しい様子で、とくに役に立つ働きをするとは思われない者。また10人は勇ましいとも臆病ともつかず、人並みであろうと思われる者だ」(『名将言行録』巻之三十より訳出)
職場で部下を指導する立場にあるリーダーや上司には、自分が「人の目利き」を行うための「ものさし」を持つことを勧めたい。大まかではあるが、部下の人となりや価値観、行動などを推し量るための基準になる。
「さて、その30人の若い侍たちが戦場に臨んだところ、(私が)中程度だと目利きをした者(*)たちは10人が10人、逃げもせず、これといった優れた手柄もなく人並みの働きをした。(私が)優れ者だと目利きをした者は、10人のうち8、9人は思った通り大きな働きをした。ところがなぜか、1人、もしくは2人は意外にもひどい臆病者だということもあった」(『名将言行録』巻之三十より訳出)
(*)勇ましいとも臆病ともつかず、人並みであろうと思われる者
長政の「目利き」はかなり正確だったようだ。ところが中には、優れ者だと思った10人の家来のうち1、2人、ひどい臆病者がいたという「目利き」違いもあった。
長政はこう話を続ける。
「また、(私が)役には立たないだろうと思った10人の者のうち、これも8、9人は目利き通りだったが、1人もしくは2人、傑出した猛者(もさ)がいて、かの優れ者たちに勝るほどの手柄を立てた。(普段は役に立たないと思われていても)実戦については優れた才覚まで備えた者がいたのだ。
この一両人は、私の目利きの外にでもいたのだろうか。さらにいえば、われわれの目の及ばない深いところに、傑出した勇敢さや度を越した臆病さの気配(*)があるのだろう」(『名将言行録』巻之三十より訳出)
非常に深い洞察だ。長政は、普段からは想像もつかないほど実戦に強い部下もいれば、見た目とは裏腹に臆病者で、成果を出せない部下もいたことは、自分の「目利きの外」、つまり限界だったのだろうかと謙虚に振り返っている。
リーダーや上司は、「われわれの目が及ばない深いところ」にそうした「気配」というものがあることを、頭の片隅に置く必要がある。自分の「目利き力」を過信し、「目利きの外」にいる優れた人材を埋もれさせてはならないし、見かけ倒しで実力が伴わない部下を買いかぶってはならない。
(*)原文では「気」と記されているが、「気配」と訳した
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