第11回
「おもてなしの心」をめぐる先人の知恵と近未来
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
デザインの原点は「おもてなし」にあり
今日の出会いは一生に一度しか起こらない
日本史の教科書に必ず登場する幕末の大老・井伊直弼は、江戸時代後期の代表的な大名茶人でもあり、茶会を主催する主人の心得を記した『茶湯一会集(ちゃゆいちえしゅう)』などの著作がある。早速、購入して読んでみたら、こんなことが書いてあった。
「茶会の交会は、一期一会といって、たとえば幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたたびかえらざる事を思えば、実に我(わが)一世一度の会なり。去(しか)るにより、主人は万事に心を配り、聊(いささか)も麁末(そまつ)なきよう深切実意を尽くし、客にもこの会にまた逢いがたき事を弁(わきま)え、亭主の趣向、何壱(ひと)つもおろそかならぬを感心し、実意を以て交(まじわ)るべきなり(『茶湯一会集・閑夜茶話』〈岩波文庫〉)」
要約すると、茶会での交流はまさに一期一会であって、同じ主人が催す茶会に何度足を運んでも、今日と同じ茶会は二度とない。一生に一度の出会いなのだ。だから主人は何事にも一切手抜きをせず、誠心誠意を尽くしなさい。客人も今日の茶会は一生に一度のものであることをわきまえ、主人が何事にも手を抜かず、おもてなしに徹していることに感心し、実意(誠意)をもって交流すべきだ、ということになるだろう。
『茶湯一会集』を読み進めていくと、茶会の客人を見送る際の心得について、「送り礼」という言葉が注釈に記されていた。茶会が終わったら、「主人は客よりも先に露地に出て中腰で見送る」のだという。
茶道でいう「露地」とは、茶室と入口とのあいだに通じる細い道のこと。主人は、茶室から退出する客人を、茶室の中で見送ってはならない。客人よりも先に外に出て見送りなさい、と戒めているのだ。
そこで1つ思い当たることがある。以前、関東某県にある自動車ディーラーを取材で訪れた際、同社の社長から「迎え三分(さんぶ)に送り七分(ななぶ)」という言葉を教わった。
平たくいえば、お客様を迎えるときのおもてなしの心が三分なら、お送りするときは七分の心を持って見送りなさいということだと記憶している。その社長は、お客様が帰るときには自分も玄関先に出て、お客様が見えなくなるまで見送るということだった。
お客様を迎えるときには緊張感があっても、お客様の去り際になって気が緩み、おもてなしの心がしぼむことを戒めていたのだ。
ハイテク全盛の今だからこそ、人間性、心をひたすら磨く
「もてなす」を『大辞林』で引いてみると「持て成す①御馳走を出したりなどして、心をこめて客を接待する」とある。版が古いが、たまたま自宅にあった『広辞苑』(第三版)には「⑦歓待する。ご馳走する」とある。『広辞苑』には用例として『平家物語』の一節が引用されていた。『平家物語』の成立は今から800年以上前の13世紀前半頃といわれているから、日本人はずいぶん古くから、「もてなす」という言葉を語り継いできたものだ。
一方、ネットには「おもてなし」の語源は「表(おもて)なし」だという説がよくみられる。実際、「表なし」を「相手に気づかれずに、さりげなく相手のことを思ってやる」、「表裏がない心をもって相手に届ける無償の行為」などと解説していることが多いようだ。
「おもてなし」は「持て成し」に丁寧の意を表す接頭語がついてできた言葉なので、「表なし」という解釈は誤りだという研究論文も見かけた。だが、ここでは学問的にそれが正しいのかどうかは問わない。「おもてなし」を「表なし」と読み替え、表裏のない誠実な心でお客様や目の前の相手に接しようという、真心こそ尊いと思うからだ。
話は変わるが、先日あるファミレスで、液晶ディスプレイに猫の顔が表示された配膳ロボットが料理を運んでいるのをみて、その「接客」ぶりに目が釘透けになった。
ロボットは厨房を出て、目をぱちくりさせながら通路を移動する。お客様の席に達すると、少しだけ向きを変え、席に座ったお客様の手が料理に届く距離に、スッと近寄る。
「お料理をお取り下さい、お待たせいたしました」とお客様に声をかけ、お客様が料理を取り終わると「ご注文、ありがとうニャン」とお礼の言葉を添えて、厨房に戻っていく。
今はまだ、プログラムもしくはアルゴリズムと、あらかじめ用意されたスクリプトによる「外形的」なおもてなしをしているにすぎないのかもしれない。だがAIがもっと進歩すれば、ロボットに搭載されているAIが状況に応じて言語を自動生成し、「自発的に」接客をすることができるようになるはずだ。
そうなったとき、人間はどんなおもてなしをするのか。「ロボットやAIがいくら高性能化したとはいえ、やはり人の接客がいい」とお客様に感じてもらえる、人間ならではの強みや魅力を発揮できるだろうか。
そう考えると、ハイテク、デジタル技術全盛で、今後AIが人間の能力をはるかに上回る存在になるといわれる今だからこそ、厳密には定義しにくく、数学的な統計手法や確率論、分類手法で処理するのが難しい、心の尊さを思い起こす必要がある。
それは、誠実さや思いやり、ぬくもり、心配りといった類いのものかもしれない。
以前あるAI開発会社に取材させていただいた際、AIは、井戸端会議のように目的もなく、スタートもゴールもなく延々と続く「自由会話」への対応が苦手だと聞いた。世間的には全知全能のイメージが先行しているAIにも、苦手分野はあるようだ。この連載でもたびたび登場している言葉だが、マキャベリが『君主論』で述べている「人間の自由意志の炎」こそ、AIの苦手分野の典型であると信じたい。
ここで今、私たちが人としてのあり方、心のあり方を徹底的に突き詰め、人間性と心を一生懸命に磨かなければ、人とロボット、AIが共働する社会は絵に描いた餅になるだろう。それどころかSF映画のように、人間がAIに取って代わられるディストピア(暗黒世界)が、本当に実現してしまうかもしれない。
その意味で、ハイテク、デジタル技術全盛の今だからこそ、ハイテクもデジタル技術もまだこの世に存在しなかった頃の人間の知恵に、学ぶべきものが多いのではないか。
一期一会、すなわち一生に一度の出会いや交流をけっして粗末にしてはならない、実意(誠意)をもってお客様に向き合いなさい――。
先人から語り継がれるそんな知恵を、今とこれから到来する近未来のおもてなしに活かすことはできないものかと、あれこれ考えを巡らせている。
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
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