第1回
デジタル時代の顧客中心主義と「仁」の心
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
『論語』が語る「仁(いつくしみ、思いやり)」
「仁」の語源をさかのぼる
学生時代に買い求め、長くお蔵入りしていた『説文解字(せつもんかいじ)』の影印本=写真=をひもとくと、「仁親也从人从二(仁は親なり。人に从〈したが〉ひ、二に从ふ)」と書いてある。
これはどういうことかというと、「仁」とは「親しむ、親しい」という意味で、「人」と「二」から成り立っているというのだ。『説文解字』は中国・漢の時代の許慎(きょしん)という人物が編纂した、最古の漢字字典だ。
さらに、手許にある『学研漢和大字典』を引くと、「仁」とは「自分と同じ仲間として、すべての人に接する心。隣人愛や同情の気持ち」とあった。
だが、わかったようでよくわからない。
結局は「仁=人+二」ということなのだが、「人+二」がなぜ、同じ人間や仲間としての同情や隣人愛になり、はたまた『大辞林』にいうように、いつくしみや思いやりという意味を持つようになるのか。
そこで、「仁」の語源にさかのぼるため、加納喜光著『漢字語源語義辞典』(東京堂出版)を開いてみたら、答えがあった。
同書によれば、「『二』は「(二つのものが)並ぶ」というイメージがあり、「(並んで)くっつく」というイメージに展開する」という。だから「仁」は、2人の人が「くっついて親しみ合う」様子をイメージさせるようになるわけだ。
つまり、自分が相手と「くっついて親しみ合う」気持ちを持ち、相手のことを自分のことのように思うというイメージから、同じ人間や仲間としての同情や隣人愛、いつくしみや思いやりという意味が生まれてきたのだろう。
これで「仁」の輪郭がかなりわかってきた。
21世紀のデジタル時代に生きる「仁」
もう20年以上前になるが、ある雑誌取材の中で「仁」が話題になったことがある。
取材の相手は、現・SBIホールディングス代表取締役社長の北尾吉孝氏だ。同社の前身であるソフトバンク・インベストメントは、創業当初からインターネット金融を手がけ、日本のフィンテックの先駆けともいわれている。
北尾氏は、中国古典にも造詣が深いことで知られ、中学生の頃から『論語』を愛読していたという。
当時、駆け出しの記者だった私は、「『仁』は『論語』の中で最も大切な徳目である、他人に対する思いやり。私はこれまで国内外の企業と数多くのジョイントベンチャーを経験したが、相手への思いやりがなければ決して成功しなかっただろう」と北尾氏から聞いた。
この取材記事を書いた雑誌は休刊して久しいが、私はその記事に、「インターネットの時代にこそ『仁』の精神が必要」だという小見出しをつけていた。
「インターネットの世界は、今後ますます顧客中心になる。だから顧客のことを徹底的に思いやる『仁』がより重要になる」という北尾氏の言葉に、思わずうなずいた。
それから約20年が経ち、「デジタルビジネス時代に重要になる顧客中心主義」といった言葉が飛び交うのを見るにつけ、その先見性に驚かされる。しかも、その顧客中心主義の鍵になるのは「仁」の心だと、当時から指摘していたのだ。
顧客中心主義の鍵が「仁」にあるとするなら、現代に生きる私たちは、「仁」の語源にいうような、相手と「くっついて親しみ合う」気持ちが少し足りないのかもしれない。
ある意味で、お客様に「くっついて親しみ合う」ぐらい密着し、お客様のことを自分のことのように思う心。それを起点にしたうえで、お客様が何を必要としているのか、どんな課題や問題を解決したいのか、あるいはどんなことに喜びや楽しさを感じるのかを考え、商品やサービスをデザインしていくことが、より重要になっているのだろう。
「デジタル万能」の時代といわれる今だからこそ、『論語』の時代から変わらぬアナログ的な「仁」の心を大切にしていきたいものである。
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
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