明日を生き抜く知恵の言葉

第18回

名将に学ぶ「心を通わす」リーダーの言葉①

イノベーションズアイ編集局  ジャーナリスト 加賀谷 貢樹

 

名将の言葉と行動を今に伝える言行録

いつの世になっても、人は理屈では動かないし、おそらくそれは今後も変わらない。

その一方で、現代社会では知識や理論、技術が先行しすぎて、心が見失われているのではないかと、ふと思うことがある。現実に今、経営論や組織論、リーダーシップ論、マネジメント論などがこれだけ発達していながら、多くの職場で多くの上司と部下がコミュニケーションや意思疎通に悩み、心を通わすのに苦労している。

イノベーションズアイのWebサイトを訪れて下さる読者の皆さんが、職場などの人間関係で問題を抱えているなら、少しでも役に立てる記事を書ければと、ずっと思っていた。

そこで現代から500年ほど過去にタイムスリップし、思いきりアナログで、ある意味、前時代的で泥臭くはあっても、心に通じるリーダーシップの知恵を掘り下げてみたい。

今回、教科書として取り上げるのが、『名将言行録』という書物だ。

戦国時代から江戸時代の名将たちの中には、「人づかいの達人」や「人づくりの名人」と呼ばれた人物が数多くいた。

「将」という漢字は「細長い」というコアイメージを持っている。もともと、何かを「細長い線のように伸ばす」イメージと、「一筋に連なるように引っ張る」イメージを合わせ持つ。そこから「先頭に立って後続のものを引っ張る(ひきいる)」ことや、「他の人の先に立って率いる人」を意味するようになった(加納喜光『漢字語源語義辞典』、東京堂出版)。

自ら先頭に立ち、組織のメンバーたちの心を「統べる」能力にたけていたからこそ、名将たりえたのだろう。

『名将言行録』は、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康を始めとする武将たちの言葉や生き様を今に伝える書物だ。旧館林藩士の岡谷繁実(おかのや・しげざね)が1252部に上る膨大な文献に目を通し、192名の戦国武将の言行をまとめた。執筆は江戸時代末の安政元(1854)年に始まり、明治2(1869)年に初版が刊行された。当初は全30巻だったが、明治28、29(1895、96)年に全70巻に増訂・再版されている。

今回は、国立国会図書館のデジタルアーカイブに収録されている明治28、29年刊行の再版書から、名将のエピソードや言葉を抜粋しオリジナルの訳をつけた。加えて、参考文献から内容を補足し、名将たちのリーダーシップのあり方を読み解いていく。

部下と車座になって「パーパス」を語った秀吉

最初に紹介したいのは、豊臣秀吉が主君・織田信長の居城である清洲城の石垣を2日あまりで修復した、いわゆる「三日普請(ふしん/建築、土木工事のこと)」のエピソードだ。当時の秀吉はまだ18歳で、工事を統括する普請奉行に大抜擢された。秀吉は、たちまちのうちに部下の心をとらえてモチベーションを高め、見事に仕事をやり遂げた。「人心掌握の天才」とも言われる秀吉のサクセス・ストーリーは、ここから始まっている。

「織田信長が居城にしていた清洲城の石垣が100間(1間〈けん〉=約1.8m)あまりにわたって崩れたので工事を行うことになった。普請奉行たちは一生懸命取り組んだが、20日あまり過ぎても工事が終わらない。秀吉は信長に付き従って城下を通り、崩れた石垣を見て『今は戦国の世で四方は敵だらけだ。いつ、どこから攻めてくるかもわからない。このように工事が延び延びになっているのは残念だ』といった。

それを信長が耳にし『猿めは何をいっているのだ』と尋ねた。秀吉は周囲をはばかり、答えることを遠慮していたが、強いて問われたので、そのように理由を申し上げた。すると信長は、『それならお前に普請奉行を申しつけるぞ。急いで修理せよ』と命じ、秀吉を老臣衆に引き合わされた。

そこで秀吉は人夫たちを集め、信長の命により食事と酒を与え、10隊のチームを編成し、1隊に10間ずつ割り振った。秀吉自らも所々を回って工事を早く終わらせるように勧め励まし、仕事をしっかり行うように促したので、100間ばかりの石垣がわずか2日間で仕上がった。信長はその日、鷹狩りからの帰りにそれを見て非常に驚き感心し、秀吉に俸給を与え、取りたてて役人にした」(『名将言行録巻之二十八』より訳出。文章を読みやすくするため改行を加えた)

秀吉が具体的にどうやって部下たちの心を掌握したのかを、いくつかの著作を読み合わせて補ってみることにする。後世の作家や著述家の解釈や脚色も入っているだろうが(『名将言行録』にも著者の解釈が入っている)、ここでは史実はどうかという議論には立ち入らず、先人たちが名将の言行から学び取ってきた事柄を尊重し、現代の時代に合った読み方を提案したい。

童門冬二『「人望力」の条件』(講談社)は、秀吉が普請奉行に抜擢される前、職人たちは「ぶつくさ文句をいっているだけでいい加減な仕事をしている」状態で、奉行も「働く人間がいうことをきかない」といい訳しているような有様だった、という立場を取る。

吉川英治『新書太閤記』によると、工事の初日のまだ明るいうちに、秀吉は、「仕事止めい。仕事止めーい。一同手を洗って、広場へ集まれーッ」と職人たちに命じた。今夜からは不眠不休で、3日間場外に出ずに突貫工事で修理をするはずだっだ。不思議に思った職人たちが材料置き場になっている広場に入ると、酒や肴(さかな)が所狭しと並べられていた。一同が筵(むしろ)や石、木材に車座になって腰を下ろすと、秀吉は真ん中に座り、盃を掲げてこういった。

「さて、何もないが、これから三日間。――といっても、はや一日は過ぎたが、無理な仕事をしてもらわねばならんで、今夕(こんせき)だけは、一杯飲んで、存分、体を休めてくれい」(吉川英治『新書太閤記』)

朝の厳しい態度とは裏腹に、まず一杯、自分からぐいと盃を傾け、職人たちに勧めた。職人たちは感激し、自分たちよりも先に上機嫌になって酒を飲んでいる秀吉の姿を見て、3日間で本当に工事が終わるのかを心配しながらも、心を和らげた。

ところが世故(せこ)に長(た)けた現場の棟梁たちは、「見え透いた小才(しょうさい)を振り回しやがる」(前掲、『新書太閤記』)と、秀吉の振る舞いを白い目で見ていた。秀吉も、棟梁たちの心中はお見通しである。

「棟梁は、一方の武将、責任を思うて、酒も参らぬとみゆるが、まあまあ、案じるな。――出来るものは出来る。出来ぬものは出来ぬ。まちごうて、三日のうちに出来なかったら、わしが腹を切ればすむ……」(前掲、『新書太閤記』)

秀吉はそういいながら、最も苦い顔をしている棟梁に盃を取らせ、自ら酒をついでやりながらこう声をかけた。

「――まあ、心配といえばだなあ……この度(たび)の御普請の一事でもないし、もとよりこの藤吉郎(*)の一命などでもない。わしは、お前らの住んでおるこの国の運命が心配だ。何度もいうようだが、これしきの普請に、二十日もかかっているような状態では――そうした人心では――この国は亡(ほろ)びるな」(前掲、『新書太閤記』)

(*)確実な古文書に初めて見える名前が木下藤吉郎なので、秀吉はこの頃、木下藤吉郎と名乗っていたとしている書物が多い。『日本大百科全書』〈小学館〉、『豊臣秀吉大事典』〈新人物往来社〉等では、秀吉が25歳で結婚したことを機に木下藤吉郎と名乗ったという立場を取る。『国史大辞典』(吉川弘文館)では結婚後に木下藤吉郎を名乗ったという「説がある」としている。

「興(おこ)る国――亡びる国――おまえらもずいぶん見て来ただろう。国の亡びた民の惨(みじ)めさも知ってるだろう。(中略)国の興亡は、実はお城にあるわけじゃないからな。――では、どこにあるかといえばおまえらの中にあるのだ。領民が石垣だ、塀(へい)だ、濠(ほり)だ。――お前らはこのお城普請に働いて、他家(よそ)の壁を塗っていると心得ておるか知らんが、そいつは大間違いだ。おまえら自身の守りを築いているのだ。もし、このお城が、一朝にして、灰になったらどうだ。お城だけが、そうなってすむわけではないぞ。御城下は兵火につつまれる。領内一円は敵兵の蹂躙(じゅうりん)に委(い)せてしまう。(中略)おまえらにも、親もあろう子もあろう、妻もあろう病人もあろう。常日頃、よく心いたしておくがよいぞ」(前掲、『新書太閤記』)

秀吉は、この仕事は単に領主・信長公の居城である清洲城の城壁を直すことではないぞ、「おまえら自身の守りを築いているのだ」と諭している。この言葉に感じ入り、最も反抗的な態度を取っていた棟梁は、男泣きに泣いた。

棟梁にとっても職人にとっても、城壁の修理は「いわれたからやる仕事」、「仕事だからやること」であり、ある意味、他人事であっただろう。だが秀吉は、城壁の修理は自分たちや家族、親族、そして多くの関わりある人たちを守るためのものだということを、心を込めて皆に伝えた。

おそらく本心から出た言葉だったのだろう。これが表面を飾るだけのパフォーマンスであったなら、古参の幹部たちの冷笑と面従腹背を誘うだけに終わったはずだ。

秀吉の言葉に思わず涙した棟梁はこういった。

「おいッ、みんな!」「せっかくの思し召しだ。これ一杯ずつ飲んだら、すぐ仕事に取りかかろうぜ。てめえ達も聞いたろう。木下様のおことばを聞いちゃあ、おれ達は、面目なくて、どうしてお天道(てんとう)様が、罰をあてなかったか、ふしぎなくらいなものだ」(前掲、『新書太閤記』)

そこで皆の心に火がついた。他人事ではなく、自分事としてこの仕事に取り組み、やり切ろうという決意が、この言葉をきっかけにして生まれたのだ。

秀吉は、部下たちと車座になって話しながら心を解きほぐし、「最終責任は自分が取る」という姿勢を明確にし、今自分たちが成し遂げようとしている仕事の大きな意義や目的、パーパスを語り、納得させた。これがリーダーの仕事というものだろう。

自分が考えるほど、指示や思いはうまく伝わっていないと心得よ

冒頭に、この秀吉の「三日普請」のエピソードを取り上げたことには理由がある。それは部下たちは、経営者や上司が考えているほど、指示の内容やその背景にある大きな目的、思いを理解していないものだからだ。『名将言行録』にも面白いエピソードが紹介されている。

将軍や大名の話し相手として豊臣秀吉、徳川家康に仕えた前波勝秀(まえば・かつひで)という人物がいた。彼はあるとき、家康にこんな話をしたという。

ある田舎の庄屋が村の者に、平家琵琶の演奏を聞かせようとしたのだが、村人たちは平家琵琶を「平家汁」と聞き誤った。村人は集まって「それは珍しい。平家とは、どうやって食べるものだろう」と話し合ったが、誰も知らない。そこで村の老人に「平家汁」の食べ方の作法を尋ねると、老人は「その汁の食べ方は心得ている。新しいお椀で食べるのが昔からの作法だ」と答えた。

村人たちが新しいお椀を用意して庄屋の家に集まると、意外なことに平家琵琶の演奏が始まった。平家物語の語りが長々と続いたが、終わっても「平家汁」が出てくる気配は一向にない。村人たちはがっかりして帰ったということだ。

家康は話を聞き終えると、すぐさま古参の家臣たちを呼び、勝秀に「今の話をもう一度彼らに語って聞かせよ」と命じ、同じ話をさせた。そのあと家康は家臣たちをこう諭したという。

「さて、どんなことでも末端ではこのように話が間違って伝わるものだ。お前たちが私の言いつけを下々に申し伝える際には、同僚とよく相談し意見の相違がないようにしなければいけない。そうでなければ、お前たちが誤って伝えると、下々の者は聞き誤り、わずかなことでも千里の違いに至ってしまう。これは心得ておくべきことだ」(『名将言行録巻之四十一』より訳出)

東京都内のある企業が、自律型人材の育成を目指して「社長戦力外通告」を行ったことがある。全社員に向け、「自分はこれからプレイングマネージャーはやめて経営に徹する。現場は任せる」と宣言したのだ。

結論からいえば、数々の試行錯誤を経て、その試みは見事に成功した。同社を取材で訪れ、社長に当時のエピソードを聞かせていただいたのだが、徹底した権限委譲を進める中で、問題も起こったようだ。

社員1人ひとりが社長の「思い」を推し量り、自主的に判断して行動するようになったのはよいことだ。ところがその一方で、「こんなとき、社長ならこうするだろう」と社員自らが考えて行ったことが間違っていて、逆に叱られるということが何度かあった。

その社長は、「これは自分が現場を離れたために、自身が考えていること、内面で感じていることを社員たちに伝える機会が少なくなってしまったからだ」と気づいた。その反省のもとに、彼は毎日、正午にさしかかる頃を見計らい、全社員が参加しているLINEグループにメッセージを発進し続けている。

社員たちが昼食を食べながら、そのメッセージを1つの話題にして互いにコミュニケーションを図ってほしい、と願ってのことである。

2021年4月に始めたというから、もう丸2年が経つ。取材の際、書きためたメッセージの原稿も見せていただいたが、多忙な中でメッセージを毎日発信し続けることは、かなりの根気や忍耐を要する。

部下たちが自律型人材に成長することを願い、他人事ではなく自分事として仕事に取り組んでもらいたいと思えばこそ、リーダーは自分自身の価値観や理念、組織が実現を目指すパーパスをしっかり伝えなければならない。そんな教訓が読み取れるような気がする。

リーダーの語る価値観や理念、パーパスが、部下たちが行動する際の価値判断の基準となり、それが、よき組織風土の醸成にもつながっていくということなのだろう。

今回の記事を含めて3回にわたり、名将たちの言葉を取り上げていく。


ジャーナリスト 加賀谷 貢樹


 

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