明日を生き抜く知恵の言葉

第23回

名将に学ぶ「上司学」③名将は「部下のモチベーションを高める達人」だ

イノベーションズアイ編集局  ジャーナリスト 加賀谷 貢樹

 

自ら先頭に立って戦う率先垂範型リーダー(戸次鑑連〈べっき・あきつら〉)

今から約450年前のことだ。戦国時代の豊後国(ぶんごのくに/現在の大分県の大部分)に、戸次鑑連(べっきあきつら)という武将がいた。鑑連は、豊後大友氏の年寄(政務などに携わる重臣)を務め、のちに立花家を継いで筑前(今の福岡県)を治め、道雪(どうせつ)と号した。

「鑑連の武勇は山陰、山陽、南海(*)にまで達し、『鬼のようだ』という評判を取った。また東国では、武田晴信(信玄)が鑑連の人となりを耳にし、数百里離れた甲府から書を送り、対面したいと伝えてよこした」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)という。

(*)南海:紀伊(現在の和歌山県および三重県)、淡路(同、兵庫県)、阿波(同、徳島県)、讚岐(同、香川県)、伊予(同、愛媛県)、土佐〈同、高知県〉からなる南海道の略

鑑連(あきつら)は若い頃、ある夏の日に大樹の下に涼を求めた。まさしくそのとき、すぐそばに雷が落ちる。鑑連は千鳥という名の刀で雷らしきものを斬ったが、体のいたるところに傷を負い、足も不自由になった。そのため、いつも駕籠(かご)に乗って戦場に出ていた。

足が不自由な身でありながら、武田信玄も面会を求めたほどの名将だった鑑連は、非常に面倒見のよい上司で、多くの部下を育てたという。

「鑑連は武勇に満ちあふれた人物で、まるでわが子を愛するように部下の武士や兵士たちの面倒を見た」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

「侍に弱い者はいない。もし弱い者がいるならば、それは本人が悪いのではない。その大将が彼を励まさないことが罪なのだ。私の部下の侍はいうに及ばず、身分の低い者でもたびたび手柄を立てて名を揚げている。他家に仕えて後れを取った者がいるなら、当家に来て奉公するがよい。別人のように優れた侍にしてやろう」(同上)と、鑑連はいつも話していた。

名将は、気質も性格も、リーダーシップのスタイルも千差万別だが、鑑連(あきつら)は、自ら敵の中央に斬り込んでいく率先垂範型の猛将だったようだ。

「(鑑連は)戦いに臨むときは、(刀身が)二尺七寸(約82センチメートル)もある刀と、種子島の鉄砲を駕籠に入れ、三尺(約90.9センチメートル)の棒に腕貫(うでぬき/手首からひじを保護するためにつけた筒状の布)をつけ、それを引っさげて駕籠に乗っていた。

駕籠の左右には長刀を差した若き侍百余人を引き連れ、戦が始まると駕籠を侍たちにかつがせ、棒を取って駕籠を叩き、『えい、とう』と声を上げる。(鑑連は)『この駕籠を敵の真ん中にかつぎ入れよ』といって拍子を取り、(突進が)遅いときには駕籠の前後を叩いて(急がせた)」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

いくら武勇の誉れ高い猛将でも、部下がついてきてくれなければ話は始まらない。部下たちはリーダーの号令一下、危険な戦場を縦横無尽に駈け回る。中でも、鑑連の側(そば)にいる者たちは、足が不自由な鑑連の駕籠をかついで走るのだ。鑑連が心から信頼、心服するに足る人物だったからこそ、部下たちは「この人のために」と奮い立ったのだろう。

こうした優れたリーダーシップを発揮できたのも、鑑連が「部下を励ます」、今でいえば部下のモチベーションを高める達人だったからだ。


部下を感動させ、心服させた心遣いと励ましの言葉

では鑑連(あきつら)が、どうやって部下たちのモチベーションを高めていたのか、『名将言行録』に記されているエピソードを見ていこう。

まず、成果をなかなか出すことができないでいる部下に、鑑連はこう声をかけている。

「手柄を立てて名を揚げるのは、思うようにいくことも、いかないこともあるものだ。(お前が)弱い者ではないことは、わしがしっかり見定めている。

明日にも戦に出るとするなら、他の者にそそのかされて抜け駆けをして、討ち死にするようなことがあってはならない。それは不忠というものだ。わが身を大事にし命を全うして、この鑑連を助けてもらいたい。

(わしは)皆を連れているからこそ、このように年老いた身で、敵の真ん中に斬り込んでも、たじろぐそぶりを見せないのだ」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

鑑連はそういって、部下と親しく酒を酌み交わし、その頃流行していた武具を取り出して与えたので、その部下はこれに励まされ、「また戦があったときには、けっして他人に後れを取ることがないようにしよう」と奮い立ったという。

見事なモチベーションの高め方である。

鑑連は、成果を出すことができていない部下に、怒りをぶつけたり、叱責していない。成果を上げようと思っても、うまくいかないこともあると声をかけ、まず心を解きほぐして安心感を持たせている。

そして、君はきっと成果を出せる人材だと私は見定めている、と部下を信頼していることを伝え、けっして功を焦らず「わが身を大事にして(中略)この鑑連を助けてもらいたい」と依頼した。

その言葉を聞いた部下は、「この人は、自分は成長し成果を出せる人間だと信じてくれている。そのうえ体を気遣い、こんな自分を頼ってくれている」と感激したことだろう。

鑑連が最後に示したのは、部下に対する感謝だった。老いた自分がひるむことなく敵の真ん中に斬り込めるのも、皆を連れているからだという鑑連の言葉は、その部下はもちろん、周囲にいるすべての部下にも届いたことだろう。

部下たちは常に、リーダーの言葉と行動に注目している。だから、リーダーが目の前にいる1人の部下の心を解きほぐし、信じて思いやる言葉。そして、上司と部下の立場を越えて「自分を助けてもらいたい」と頭を下げ、感謝を示す姿勢に皆が感じ入り、励まされたことだろう。それによって、組織の士気も大きく向上したに違いない。

鑑連はまた、部下たちに対してこう述べている。

「『皆の者が心を合わせてくれているから、鑑連は天のご加護を得ているのだなあ』といって(彼は)勇み立った」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

部下たちが心を1つにして、自分を助けてくれている。そんな自分は幸せ者だと、心から感謝しているのだ。足が不自由で、1人では動けない鑑連のことである。戦場で駕籠に乗り、敵の中央に斬り込んでいくことも、部下たちの助けがなければ不可能なのだ。



一方、成果を出した部下を、鑑連はこう励ましている。

「少しでも武者振りがよく見える者がいれば、その者を呼び出し、『それ、皆の者、見てみよ。この鑑連の目に狂いはなかった』といって、その優れて勇敢な者の名を呼び『頼むぞ、よく引き回してくれよ』と話した」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

本連載の第21回記事で、家中のルールを破って博打をした部下を人前で叱らず、皆から離れた場所で諭した黒田孝高(如水)のエピソードを紹介した。部下を叱るときは、他に人がいないところで面と向かって諭し、悟らせるのがよいというわけだ。

これとは逆に、部下が成果を上げたとき、鑑連は皆の前で部下を褒めた。

「引き回す」という言葉には「あれこれ人を指導し、世話をする」(『大辞林』)という意味がある。鑑連はその有能な部下に、「後輩たちをよく指導し、面倒を見てやってくれ」とでも依頼したのだろう。鑑連はここでも、部下に対し、君は自分が見込んだ通りの人材だ。信頼しているぞ、よろしく頼む、というメッセージを伝えている。


失敗した部下を懸命にフォローする上司の姿

『名将言行録』には、部下に慕われる鑑連(あきつら)の人柄を思い起こさせるエピソードが、もう1つ記されている。

「もし若い侍が客席で不心得なことをしたときは、(その者を)客の前などに呼び出して笑い、『鑑連(あきつら)の部下が不始末をしでかしました。でも(この者は)戦に臨んでは火花を散らすほどの働きぶりで、槍を使わせれば一番の腕前でございます』といって槍を取る真似をして(その者)を誉めたので、皆の者は感じ入り、涙を流して『この人のためにこそ、命を捨てよう』と気力を奮い立たせた」(『名将言行録』巻之二十六より訳出)

普通なら、顧客の前で不始末をしでかした部下を呼び、「お前もしっかり謝りなさい」と叱るところかもしれない。だが鑑連は、意外なことに客人の目の前で、身振り手振りまで交えて部下の長所を褒め上げた。部下をフォローするために、客人の前で一生懸命に立ち回る鑑連の姿が目に浮かんでくるようだ。

もしあなたが、顧客の前で不始末をしでかしたとき、これほどまで一生懸命に自分のことをフォローしてくれる上司の姿を見たら、どう思うだろうか。


「堪忍」なければ人は育たず(黒田如水)

部下が成果を上げ、よいことをしたときに、褒めることはそう難しくはない。だが、部下が成果を上げられないときや、失敗したときに励まし、モチベーションを高めるには、怒りをぐっとこらえる胆力が必要になる。いきなり怒りの感情をぶつけてしまったら、部下は心を閉ざしてしまうだろうからだ。

「夏の火鉢、旱(ひでり)の傘(からかさ*)」という、黒田孝高(如水)の有名な言葉がある。

(*)『名将言行録』の原文には、「からかさ」と振り仮名を記してある

「孝高は息子の長政に教えてこういった。『侍を使うのに最も大事なことを伝授しよう。わしは30歳を過ぎてやっと納得したのだが、これは誰でも心得ておくべきだ。「夏の火鉢、旱の傘」といういい伝えをよくよく味わい、堪忍を守らなければ、侍たちは自分に付き従わないものだぞ』と」(『名将言行録』巻之二十九より訳出)

この言葉についての解釈は複数ある。1つは、夏に火鉢を出したり、日照りのときに傘を差すような誤った人の使い方をせず、適材適所を心がけよという解釈。またこの孝高の言葉は、夏の火鉢、日照りの傘のように場違いな振る舞いをする部下でも、堪忍の心を忘れず、本人の自覚や成長を促すことを心がけなさい。そうでなければ、部下たちは自分に心服してはくれないぞ、という意味にも取れる。本連載では後者の立場を取る。

堪忍とは「怒りをこらえて、他人のあやまちを許すこと。勘弁」(『日本国語大辞典』)することをいう。昔の商家や武家の家訓などにも、堪忍という言葉がたびたび現れる。

堪忍や勘弁というと、怒りをこらえて許し、そこで問題を終わりにすることと捉えられがちだ。だが孝高が意図したのは、おそらくそういうことではない。怒りをこらえて許し、感情の高まりをまず静める。そのうえで、目の前の部下に対して、言葉と行動を通じて何を伝え、どう指導していくのかが大切だということが、事の本質だと私は考える。

堪忍といえば、武田信玄を中心とする甲州武士の功績や心構えなどを記した『甲陽軍鑑(こうようぐんかん)』という書物に、「縦(たと)ひ如何様(いかよう)に腹立候(はらたちそうろう)とも、堪忍あり、隠密(おんみつ)を以て、工夫すべき事」(『甲陽軍鑑』「典厩(てんきゅう)九十九箇条」)とある。

原文は「下々の者からどんなに批判を受けても」という文脈で記されているが、「たとえどんなに腹を立てても、堪忍(かんにん)が大切だ。人知れず修養に励みなさい」という教えは、部下指導にも通じるところがあると思う。

『甲陽軍鑑』には、「古人の言葉に、『優れた大工は材木を捨てず、大将は家来を捨てない』という」(同上)とする一節も見られる。

優れた大工が材木を捨てないように、部下の成長を信じてあきらめず、人を活かそうという志を持つ、懐の深い上司であっていただきたい。



ジャーナリスト 加賀谷 貢樹


 

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