飛鳥時代から伝わる「1000年を見据えた仕事」の凄み
数百年に一度行われる名刹・法隆寺金色堂の大修理に加え、薬師寺の金堂および西塔を1300年前の様式で復元するという歴史的な大事業が、昭和の時代に行われた。
その仕事を手がけたのが、「最後の宮大工棟梁」と呼ばれた西岡常一氏だ。ベストセラーとなった西岡氏の著書『木に学べ』に、法隆寺の棟梁家に代々伝わる口伝(くでん)が記されている。
口伝とは、伝統技能などを学ぶ職人が、修業の締めくくりとして、口伝(くちづて)で授けられる奥義のことをいう。西岡棟梁も、師である祖父から「鵤寺工口伝」(いかるがじこうくでん)という口伝を授けられている(下記参照)。
久々に同書を開き、口伝を読んで大きな衝撃を受けた。西岡棟梁は生前、「宮大工は1000年先を見据えた仕事をしなければならぬ」という言葉を遺されている。
はなはだ恐れ多いことだが、この口伝を今の時代をふまえて「超訳」しながら、私なりに読み解いてみたい。
一、神仏を崇(あが)めずして伽藍(がらん)社頭(しゃとう)を口にすべからず
――神や仏も知らずに、伽藍や社頭を口にしてはならない
「崇める」とは「尊いものとして敬う」という意味だが、西岡棟梁は著書の『木に学べ』で、「仏や神様を知らずに」伽藍や社頭の形がああだこうだと口にしてはならないと述べているので、それに従った。
伽藍は「寺の建物。特に、大きな寺院」(『大辞林』)のことで、社頭とは、神社境内にある本殿、拝殿などの主要な建物のこと。伽藍や社頭の形がああだこうだと言う前に、神仏についてよく勉強し、理解しなさいということなのだろう。
一方、「崇める」という言葉本来の意味に立ち返ると、神や仏を敬う心なしに伽藍や社頭のことを口にしてはならない、とも解釈できる。そう考えれば、1つ思いつくことがある。
取材で経営者と話していると、「自分は生かされている存在で、今こうして生きているのも、良い商売ができているのも人様のお陰だということを、ともすれば忘れがちになる」という、自戒の言葉を耳にすることが少なからずあるのだ。
独りよがりになってはいけない、謙虚であらねばならない。人智を超えた存在に対する畏れをもたなければならないという意味で、稲盛和夫氏のいう「サムシング・グレート」にも似たものを感じてしまう。
「人を活かす」こととは何か
一、木は生育の方位のままに使へ
――一本一本の材木には、それぞれの生育環境によって癖がある。その癖を活かして使え
一、堂塔の木組みは木の癖組(くせぐみ)
――木組みとは、木の「癖を組む」ことと心得よ
堂塔とは、寺院の堂と塔のこと。西岡棟梁は、「堂塔の木組みは寸法で組まずに木のクセで組め」と、同書に書いている。
「木には癖があります。その癖は環境によって生まれるんですな。いつも同じ方向から風が吹く所に生きている木は、その風に対抗するように働く力が生じます。それを木の癖と言うてるわけや。その癖を上手に組めというこっちゃ。右ねじれと左ねじれを組み合わせれば、部材同士が組み合わさって、動かんわけでしょ。右ねじれと右ねじれを組んだら、ぎゅーっと塔が、回っていくっちゅうことや」(同書)
「今の大工はそういうことはしません。
曲がった木を削ってまっすぐに見せるだけですわ。そのときは真っすぐに見えますけど、何年もたたんうちに、曲がるクセの木なんやから、曲がってしまいますな。
そんなんで、塔を作ってごらんなさい。どうなりますか。一階の隅木(すみぎ)は右に二階は左にというふうに、あっちゃこっちゃになってしまいまっせ。
笑ってますけど、本当そんな塔があるんです」(同書)
宮大工たちは、こうした木の癖を「木の心」と呼んでいるという。この口伝にいう「木の癖」を、「人の個性」と読み換えてみてはどうか。
組織のリーダーの心得
一、木の癖組は工人(こうじん)等の心組(こころぐみ)
――木の「癖を組み」、立派な堂塔に仕上げるには、大工たちの心を組むことが重要だ
棟梁一人だけが、木の癖組みが大切だとわかっているだけではいけない。堂塔はチーム全員で組み上げるものである。だから、「五〇人の大工がおったら五〇人の人に、わたしの考えをわかってもらわないかんちゅうことや。これが工人の心組みですわ」と西岡棟梁は書いている。
「木組み」は「癖組み」。その「癖組み」をきちんと行うためには、まずチームのメンバーの「心組み」を行うことである。「人組み」が何よりも大切だということになるだろう。
「木組み」というと、1つ思い出がある。私がものづくり関連の取材で全国を飛び回っていた頃、建具(たてぐ)職人を養成する訓練校を取材したことがあった。
建具とは、建物の障子や襖(ふすま)、戸などの総称で、和風建築の建具には、細い木片を緻密な文様に組み上げる伝統木工技術の「組子(くみこ)」が用いられていることがある。
その訓練校で、受講生たちが練習用に作成した組子と、職人が作成した組子のサンプルをいただいた=写真。細い木片を、釘を使わずに組み上げているので、1つひとつの木片の寸法が甘いと綺麗な文様にならない。細かい鉋(かんな)捌(さば)きを習得することが必要だと聞いた。
こうした「木組み」の美しさと同様に、「人組み」がうまくいっている組織もまた、素晴らしいものになるのだろう。
一、工人等の心組は匠長(しょうちょう)が工人等への思やり
――思いやりの心を持たぬリーダーに、部下の心を組むことはできない
匠長とは棟梁のこと。思いやりとは、「自分の子をおもう親の心」だと西岡棟梁は書いている。
「工人の心を組むにはどうしたらええかっちゅうことは、棟梁が工人へのおもいやりがなくてはいかんということです。こいつは言うことをきかんからあかん。これでは職人が集まりませんさかいな。どんな人でも受け入れて、そしておもいやりちゅうのは、この人は至らん人やけれども、三年の間に立派な宮大工に仕立ててあげましょう。そういう心をもって接してやらんと心はかよわんちゅうことや。仏教でいう慈悲心みたいなもんでしょうな。おもいやりというのは。自分の子をおもう親の心やな」(同書)
「経営の心は社員に対する親心だ」という類いの話を、時代遅れだとかプリミディブ(未発達)だと捉える向きもあるが、心を通わせる経営をいかに行うかという意味において、私はこれは決して間違っていないと思う。
一、百工あれば百念あり。一に統(す)ぶるが匠長が器量也(なり)
――部下にはそれぞれの考えや思いがある。それを1つにまとめるのがリーダーの器量だと心得よ
一、一つに止めるの器量なきは謹み惶(おそ)れ匠長を去(され)
――部下の考えや思いを1つにする器量がない者は、リーダの地位を去れ
一、諸々(もろもろ)の技法は一日にして成らず祖神達(たち)の徳恵(とくけい)也
――単なるテクニックやノウハウではなく、自然の法則をふまえた技法というものは、一朝一夕に生まれたものではない。長年にわたって祖先が積み上げてきた知恵の集積であり恩恵だと心得、感謝の念を持て
「さまざまな技法、癖組みとか山の土質を知るとかいうことがありますが、それは一日でできるものではない。神代からずっと体験を積んだ結果こうなったんやから、自分がそれをマスターしたからといって、自分が偉いんではない。遠い祖先からの恩恵を受けているんやから、祖先を敬えということですな。それとここでいう技法は技術とは違いまっせ。
技術というもんは、法則を人間の力で征服しようちゅうものですわな。私らの言うのは、技術やなしに技法ですわ。自然の生命の法則のまま活かして使うという考え方や。だから技術といわず技法というんや。
家訓いうてもこんなもんでっせ」(同書)
最近は、マネジメントにしろHR(ヒューマン・リソース)にしろ、コミュニケーションにしろ、カタカナで書かれた理論流行りだが、日本には「1000年を見据えた仕事」を実践し積み上げられてきた知恵や暗黙知という、かけがえのない無形資産があることを忘れてはならない。
「鵤寺工口伝」(いかるがじこうくでん)
一、神仏を崇(あが)めずして伽藍(がらん)社頭(しゃとう)を口にすべからず
一、伽藍造営には四神(ししん)相應(そうおう)の地を撰(えら)べ
一、堂塔の建立には木を買わず山を買へ
一、木は生育の方位のままに使へ
一、堂塔の木組みは木の癖組(くせぐみ)
一、木の癖組は工人(こうじん)等の心組(こころぐみ)
一、工人等の心組は匠長(しょうちょう)が工人等への思やり
一、百工あれば百念あり。一に統(す)ぶるが匠長が器量也(なり)
一、百論一つに止まるを正とや云(い)ふ也
一、一つに止めるの器量なきは謹み惶(おそ)れ匠長を去(され)
一、諸々(もろもろ)の技法は一日にして成らず祖神達(たち)の徳恵(とくけい)也
西岡常一『木に学べ』(小学館文庫、2003年12月初版)
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹