第17回
お客様を信じられなくなったときに何を考えるか
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
お客様は本当に「神様」か
今回は古典の世界から離れ、今日的な問題として、お客様について考えてみたい。
最近、顧客対応に関する悩みをよく耳にするからだ。
実際、外食や小売などの店舗で「スタッフの対応が悪い」、「サービスが悪い」と声を荒げる顧客をよく見かけるようになった。
悲しいかな、顧客や消費者が商品やサービスを提供する企業の従業員にハラスメントを行う「カスハラ(カスタマー・ハラスメント)」という言葉も定着しつつある。厚生労働省も2022年2月に「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」等を作成している。
量販店で家電販売を担当する著者が、クレーム対応の現場の模様を赤裸々に記した、青木詠一『それでもお客様は神様ですか?』(大和書房)という本も読んでみた。
「それにしても、どうしてこんなに簡単に怒るのだろうなぁ。世界で唯一、ストレスを発散できる存在が私たち店員なのだろうか」(同書)
という現場の叫びは、あまりにも悲痛だ。
BtoBの世界ではあるが、私自身もサラリーマン時代に、顧客対応でずいぶん嫌な思いをした経験がある。振り返ってみれば、お客様に教わり助けられ、育てられた思い出のほうが多いが、「それでもお客様は神様ですか」という同署のタイトルには、本音の部分で共感するものがある。
耐えるべきか、耐えざるべきか、それが問題だ
クレームや顧客との向き合い方について、ネットを探し回っていたら、目に留まる言葉がいくつかあった。
「モンスタークレーマーに限らずクレーム対応では絶対に言い返して(反論)はいけません」(「佐川急便物語」ホームページ)
「わたくしは、
会社員時代に、【お客の文句は言うな】と、教育を受けていたからです。
わたくしは、専任で、クレーム対応担当をしていて、50人ほどの派遣社員の部下がいました。
彼女たちも、お客への文句は言っていませんでした。それも、教育があったからです。
どんな教育かと云うと、
【世の中は、お客様と、お客ではない人に分けられる。買わなくても生命には関係ない商品を買ってくれた人は、有難い珍しい存在で少数派。だから、基本的には感謝しよう】という内容です」
(「110億円売った魔術師 コンサルタント杉本幸雄」公式ブログ)
商品を買っていただいたことに対する感謝を基本に据えるからこそ、お客様の文句はあえて言わないという姿勢には、改めて教えられるものがある。
最近、京都府が開庁100年を記念して昭和45(1970)年に刊行した『老舗と家訓』という本を手に入れた。同書には、同市内の老舗の家訓や心得、店則などが多数収録されている。
同書によれば、1700(元禄13)年に創業した福田金属箔粉工業(京都市山科区)に伝わる創業家の家憲「常磐 家の苗」の冒頭に、こんな言葉が記されているという。
「忍の字は 身の内乃(の)主(しゅ)也(なり) 不断に七情の客来あり よく考へいづれも忍のあしらひ方第一其の品々しるしがたし(福田家「常磐 家の苗」/京都府『老舗と家訓』所収)
忍、つまり堪忍(かんにん/人のあやまちを我慢して許すこと。勘弁〈大辞林〉)が、家名を相続していく、今風に言えばビジネスを永続させるうえで最も大切だ。日頃、お客様は「7つの情」を持って店舗を訪れているから、よく考えなさいということだ。
その「7つの情」とは何か。四書五経の1つである『礼記(らいき)』礼運(れいうん)篇にこう記されている。
「何をか人の情と謂(い)う、喜怒哀懼(く)愛悪欲なり。七者は学ばずして能(よ)くす」
人の情とは喜び、怒り、哀しみ、懼(おそ)れ、愛、悪(にく)しみ、欲の七つのことであり、それは学ばなくても身についているものである、というわけだ。
つまり、私たちがお客様の「7つの情」に向き合ううえで、最も大切にすべきは、じっとこらえて相手を許すことだと教えているのだ。
その一方で、店舗側があえて、お客様に対して毅然とした対応をしなければならないときもある。堪忍はもちろん大切だ。しかし、一部のお客様のためにルールを曲げることで、他のお客様が不利益をこうむるようなことがあってはならない。そんなときには、やはり筋を通し、言うべきことを言わなければならないだろう。
かといって、クレーム対応が、お客様と店舗側の正当性をめぐる争いになるのは、できる限り避けたいものだ。お客様がいてこそ商売は成立するものだから、顧客対応は本当に難しい。
今、根本的な部分で、自分たちはお客様というものをどう考えたらいいのか、という思索が必要とされているような気がしてならない。
お客様を「師」としたある名人の教え
まず前提として、あまりにも常軌を逸しているクレームや「カスハラ」への対応は、通常の顧客対応と分けて考えざるを得ないと思う。
いわゆる「カスハラ」に分類される行為の中には、「直ちにカスタマーハラスメントに該当すると判断できることはもとより。犯罪に該当しうる」(厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」)ものもある。現場での個別対応だに任せるのではなく、組織として対応の仕組みを構築することが大切だ。
あるルールや仕組みの下で、毅然とした対応を取るべきときは取る。そのうえで、リアル店舗やオンラインでの接客の現場で、誠意の通じる多くのお客様と、どう向き合うかに意識を集中させるというのが、現実的な解になるのではないだろうか。
誠意の通じるお客様は、仮に行き違いがあったとしても、その行き違いの中から、私たちが自分を向上させるうえで欠かせない、大切なことをいくつも教えてくれる。やはり本質的な部分において、お客様とは本当にありがたいものだ。
そこで今回の記事では、「師客(しきゃく)」という言葉を紹介したい。
群馬県足利市内を流れる渡良瀬川にほど近い場所に、『一茶庵』というそばの名店がある。
不世出のそば職人と呼ばれた片倉康雄氏が、「日本一のそば屋になる」という志を立て、22歳で東京・新宿駅東口駅前に「一茶案」を開店したのは大正15(1926)年のことだった(同店は戦後に足利市で店舗を再開)。
名店が立ち並ぶ新宿で、「一茶案」は名だたる食通たちから厳しい批判を受け、ある雑誌で「まずいそばを食わせる店」だと紹介された。
片倉氏は、その記事の著者である「ある大学の総長」宅に出向く。自分の打ったそばをまだ食べたことがないという総長に、一度店に来てほしいと訴えた。勢いに押された総長は、後日「一茶庵」を訪れ、出されたそばを見てこう言った。
「『きみ、これでは食わないうちから、うまいはずがないじゃないか』
という。
『どこのそば屋へ行ったって、きみ、ゆであげて、こんなに白っ茶けて不透明なそばがあるかね。よそへ行って食べてみたまえ』
要するに、そば粉に水がまわっていないということだったのだけれど、当時の片倉はそんなこともまるで分かっていなかったのである」(岩崎信也『蕎麦と生きる――一茶庵友蕎子 片倉康雄伝――』〈柴田書店〉)
この一件があってから、「一茶案」は「まずいそばを食わせるくせに、へんに熱心な店」という評判が立つようになる。文化人などの食通が同店に通うようになったが、その中に、ことのほか口うるさい客がいた。
「品物の仕上がり具合にうるさい客、材料にうるさい客、味にうるさい客……と。いろいろだが、素人から初めて本物をつかもうとしていた私には、じつに的確な評をしてくれる客であった」(前掲、『蕎麦と生きる』)
それが「師客」だった。片倉氏は、お客様を「ごひいきさん」、「ふつうの客」、「師客」の3つに分けて考えることにした。
「ごひいきさん」はもちろん「ふつうの客」も大切だが、「ふつうの客」は一見さんかもしれないし、「ごひいきさん」はお世辞が多く、小言がたまにあっても枝葉末節に終わることが多い。結局のところ、仕事の面で参考になる意見は「師客」でなければ期待できないという。
「『師客』の批評や苦言を糧として精進するということである。客から学ぶといっても、実際に学ぶべきものを示唆してくれる客などはそういない。また、師とすべき客であったとしても必ずしも向こうから声をかけてくれるとは限らない。おのずと師客を見分ける目と心構えが必要になる」(前掲、『蕎麦と生きる』)
こうした学びの中からヒット商品も生まれ、「一茶庵」は新宿でも指折りの繁盛店となった。同店は戦後はもちろん、令和の時代になった今もなお、ファンが通う名店であり続けている。
これから、日々の仕事の中で接していくであろう数多くのお客様の中から、わが「師」と呼べる人物と出会うことがでたら、とても幸せなことではないか。
視点を上げれば、お客様に学ぶことは山ほどある
古い話だが、「お客様は神様です」という言葉は、昭和の時代に一世を風靡した演歌の大御所・三波春夫氏が舞台で語った、歌手として聴衆に向き合う心構えがもとになっている。
『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』(三波春夫オフィシャルサイト)
もう何十年も前のことだが、「レツゴー三匹」という漫才トリオが、持ちネタの中で「三波春夫でございます。お客様は神様です」というフレーズを流行らせ、これが流行語になったのだ。
ところがこの言葉は、本来とは異なる意味で語られるようになっていく。
「例えば買い物客が『お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?』という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は『お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?』と嘆かれています」(三波春夫オフィシャルサイト)
どうやら私たちは、「お客様は神様です」という言葉の真意に立ち返らなければならないようだ。
自分自身が一切の雑念を取り払い、澄み切った心で上質な商品やサービスを提供し、喜びや感動を提供するべき相手がお客様である、その意味で、「お客様は神様」なのだ。
まさに「お客様は神様」という言葉はプロとしての心意気、プロフェッショナリズムの極致だと言えるだろう。
その一方で、「一茶案」創始者の片倉氏は開業当初、数々の辛酸も嘗めた中で、「師客」の手厳しい指摘に真摯に向き合い、学び、自分を高めて名店を作り上げた。
「同じそば屋になるにしても、ちんまりした期待しか持っていなかったら、いまの私は存在しない。(中略)その日その日が安穏に送れる程度の店でよいと考えていれば、よくてもその程度がやっとの商売になってしまう。おかしなもので、そういう人が客の声を聞き出しても、世辞や追従など、おおむね現状肯定の声ばかりになりやすい。自分を安心させてくれる言葉を、客に求めているためである。
それに対して、大きな願望を抱き、しかもその願望を強く持ち続けていると、たとえば同じように客の声を聞く場合でも、客にもとめるものが違ってくる。いまの自分をほめてもらうことや、お世辞は必要ではなく、必要なのは、いまの自分に欠けているものや、間違い、至らぬ点を指摘してもらうことである。この積み重ねが、願望実現の道を切り拓き、目標に向かって一歩一歩、自己を高めていく」(前掲、『蕎麦と生きる』)
視点を上げれば見方が変わり、お客様は「師」に変わる。
ときには自信やプライドを打ち砕かれながらも、当初は想像もしなかった「高み」に自分を引き上げてくれるのもまた、お客様である。
現実の顧客対応は辛いことの連続だ。だからこそ、数あるお客様との出会いの中から「師客」を得ることの価値に目を向けたいと、自分自身を戒めている。
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
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