逆境をチャンスに変えるため、変化に適応し変わり続ける
前回の記事で、ある経営者から聞いた、「あらゆる生き物は、逆境のときに成長し、順境のときに衰退する」という言葉を紹介した。
その言葉を聞き、以前取材で、茨城県日立市のある町工場を訪れたことを思い出した。
担当の社員さんに案内され、社長室に入ると、そこには「最も強い者が生き残るのではなく、賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残る者は、変化できる者である」と書かれた額が飾られていた。
進化論で知られる生物学者のチャールズ・ダーウィンの言葉といわれる、有名な名言だ。
それは、その社長の座右の銘だという。2008年のリーマン・ブラザーズの経営破綻がきっかけとなり、未曾有の世界同時不況が起きたリーマン・ショックの少し前の頃だった。
当時の原稿を見たら、「かつての円高不況、バブル崩壊、経済のグローバル化と、一企業の自助努力をはるかに超える数々の『波』が打ち寄せる中、新技術の開拓に果敢にチャレンジしてきた思いが、その言葉にいい表されている」と、私は記事に書いていた。
同社では、「多少の失敗は構わない。すべてを行動に移し、次にどんどん進んでいこう」という社員教育のポリシーを掲げていた。変化に適応するためにこそ、すべてを行動に移し、次にどんどん進んでいこうというのだろう。
私はその社長の話に感銘を受け、取材で聞いた「ダーウィンの言葉」を手帳に書き写していた=写真。
あれから今に至るまで、日本経済、世界経済に、どれだけ多くの大波が押し寄せたことだろう。
昨年に取材した情報通信サービス企業の社長も、この「ダーウィンの言葉」を引用し、コロナ禍の逆境をいかにチャンスに変えるかという、自身の哲学について話してくれた。
「ピンチはチャンス」というが、それは、荒れ狂う大波に向けて舵を切り、前に進む勇気と胆力の賜である。
「ダーウィンの言葉」の由来
その取材原稿を書くために、「ダーウィンの言葉」について調べていたら、英ケンブリッジ大学のホームページにたどり着いた。同大学のホームページの中に「Darwin Correspondence Project(ダーウィン書簡プロジェクト」)というページがあり、そこに、この言葉の由来が書かれていたのである。
同ページの解説によれば、この言葉はダーウィン本人のものではない。1963年に米ルイジアナ州立大学の経営学・マーケティング学教授のレオン・C・メギンソン(Leon C. Megginson)氏が、「Southwestern Social Science Quarterly」という社会科学分野の学術誌に書いた「Lessons from Europe for American Business(アメリカのビジネスのための欧州からの教訓)」という論文の中に書かれた一節がもとになっているという。
同ページの解説によれば、その「ダーウィンの言葉」の出典となったのは、次のような一節である。
「According to Darwin’s Origin of Species, it is not the most intellectual of the species that survives; it is not the strongest that survives; but the species that survives is the one that is able best to adapt and adjust to the changing environment in which it finds itself(拙訳:ダーウィンの『種の起源』によれば、最も賢い種が生き残るのではなく、最も強い者が生き残るのでもない。自分が置かれた環境の変化に最も適応し、変わることのできる種が生き残るのだ)」
東京・下町の中小企業社長に教わった「青春訓」
これまで、取材で記事を書くために話を聞いたあと、取材相手と雑談をさせていただくことが少なくなかった。雑談のほうが盛り上がり、ついつい長居をしてしまうこともある。取材のあと、社長から直々に、生き方や人生観などについて教わることも多かった。
ある新聞連載で、東京・下町のカーディーラーを訪れたとき、取材後に社長から、1枚の手書きの紙を手渡された。
そこにはこう書いてあった。
「青春とは 人のある期間をいうのではない
人の心の様相をいうのだ
信念と共に生きる者は若く 疑念と共に
生きるものは老ゆる
自信と共に生きる者は若く 恐怖と共に
生きる者は老ゆる
希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる」
その社長は、アメリカの実業家・詩人、サミュエル・ウルマンの「青春の詩(Youth)」に感動し、自身で「青春訓」を作られたのだそうだ。私はその紙を、今でも大切に持っている=写真。
青春とは心のあり方をいうのであって、人生のある期間に限られているものではないと、私は講義を受けた。
彼は、この言葉に自分の生き様を重ね合わせ、「青春の詩」の一節にいう「臆病さに打ち克つ勇気(courage over timidity)」と「易きに流れる心に打ち勝つ冒険心(adventure over the love of ease)」の中に生きてきたのだろう。
最近、幸之助さんもこのサミュエル・ウルマンの「青春の詩」から影響を受け、
「青春とは心の若さである 信念と希望にあふれ勇気にみちて日に新たな活動をつづけるかぎり 青春は永遠にその人のものである」(PHP総合研究所研究部編『キーワードで読む松下幸之助ハンドブック』〈PHP研究所〉)
という言葉を、座右の銘にしていたことを知った。
この連載の第2回で取り上げた「日に新た」に生きることこそ、心の若さだと素直に理解したい。
先日、ある席で、今から10年前に抱いた「レーサーになる」という夢を、57歳で本当に叶えた経営者がいるという話を聞き、感銘を受けた。
「運命が九〇パーセントである。しかし残りの一〇パーセントは、人間の努力に任せられている。船が大きいか小さいかは運命。しかし舵(かじ)の部分は人間に任せられた努力の部分」(松下幸之助 述/江口克彦 記『松爺論語』〈PHP文庫〉)
と、幸之助さんは述べている。
マキャベリのいうように、人間の手に委ねられている運命が「残り半ば」なのか、10パーセントなのかはさておき、「われわれ人間の自由意志の炎」の力強さを、改めて思い知らされた。
ジャーナリスト 加賀谷 貢樹