明日を生き抜く知恵の言葉

第30回

名将に学ぶ「上司学」⑩名将・名君は組織の和をどうはかったか

イノベーションズアイ編集局  ジャーナリスト 加賀谷 貢樹

 

対立しても、相手を敬う気持ちを忘れない

前回記事で、戦国時代最強といわれた武田家が、組織内の不和がもとで滅びた事例について触れた。今回は名将や名君、あるいは有能な重臣たちは、組織内の深刻な対立を避け、和をはかるためにどんな立ち振る舞いをしていたのかを見ていこう。

時は江戸時代、徳川第4代将軍・家綱の治世にさかのぼる。第3代将軍の家光と家綱に仕え、知恵者と評判の高かった松平信綱(まつだいら・のぶつな)が老中を務めていた。

明暦3(1657)年1月18日に江戸で「明暦の大火」が起きる。「振袖火事」ともいわれるこの大火で、火災は江戸全市におよび、焼死者は10万人を超えたという。以下、童門冬二『災対本部での席順・酒井忠勝』(一般財団法人消防防災科学センター 季刊「消防科学と情報」No.115〈2014年冬号〉所収)を参考に、エピソードを紹介する。

信綱は従来の慣例を取り払い、江戸城内ではなく現場に近い、ある大名の屋敷で対策会議を開く。信綱は、上役である大老の酒井忠勝(さかい・ただかつ)にも会議への出席を依頼した。大老は幕府最高の役職で、日常の政務には携わらないが、緊急事態であるだけに、信綱は忠勝にもとくに会議への出席を求めたのだ。

忠勝が会議に足を運ぶと、現場には大変な混乱が起きていた。本来なら上位の者が座るべき上座の席には若い大名たちが座っている。それを見た忠勝は腹を立て、「私は帰る」と不機嫌にいった。信綱が理由を問うと、忠勝は「私の席がない」という。信綱は、「今は非常事態なので、この対策会議では先着順に座っていただいています。そのため、空いているのはここだけです」と、入口に近い末席を示した。

「気に入らない。帰る」といって腹を立てる忠勝に、信綱は真剣な表情でこう声をかけた。

「酒井様、われわれは、いつどんなときにも、いつどんな場所でも、酒井様がお座りになる席が、その場所での最上席だと心得ております。どうぞ」

その言葉を聞き、忠勝は一瞬、信綱をにらみ据えたが、表情を和らげてこういった。

「わかった、ここに座ろう」

忠勝が席に座ると、その場は安堵の空気に包まれたという。

表面的には、争いを避けるために信綱が上役の顔を立て、その場をおさめるために機転を利かせたように見えるかもしれない。

だが、後述するように、信綱と忠勝はけっしてよい間柄ではなかった。だから「酒井様がお座りになる席が、その場所での最上席だと心得ております」という言葉が、単なる機転や媚びへつらいによるものであったら、忠勝はその心を見抜き、さらに激高していたに違いない。

実際、『名将言行録』が伝えるように、老中・松平信綱と大老・酒井忠勝とは犬猿の仲にあった。

「信綱は酒井長門守(ながとのかみ/忠勝のこと)と不仲だった。ある人がこれを知り、うまく取り入ろうと思ったのであろう、信綱の前で忠勝の悪口をいった。すると信綱は『私たちのあいだで、人のよくない噂を聞くことは望みません。長門守の話をすることはやめていただきたい。私たちが不仲であることは、私事(わたくしごと)にすぎません』と話したので、その人は大いに恥じ入ったということだ」
(『名将言行録』巻之六十四より訳出)

自分は確かに酒井殿とは仲がよくない。だが、それはそれであり、あくまで私的なことだと一線を引いている。仕事に私的な対立は持ち込まない。

普段からこういう姿勢を貫いていたから、「酒井様がお座りになる席が、その場所での最上席だと心得ております」という言葉が本心から出た言葉だと、皆も忠勝も納得したのだろう。だからその言葉を通して、信綱の忠勝を敬う気持ちが伝わったのだ。

対立している部分はあるが、それはそれとして、相手を敬い、筋を通す。公私のけじめをつけて相手を立てつつ、必要なことを議論しながらやるべきことをやる。

こうした信綱の身の処し方に、私たちが学ぶべきものは多いのではないか。

組織の内に向かう負のエネルギーを、プラスに転換させる

信綱や忠勝が生きた時代から360年以上が経つ今、事あるごとに人々が対立し、組織や社会に不和が広がっているように思える。人々が「キレやすく」なっているような気がしてならない。

SNSを見ても、意見や立場の違いから、多くの人々が感情のおもむくままに怒り、お互いに批判し合っている。特定の人物を集団で批判し吊し上げる「ネットリンチ」も横行している。テレビでも、コメンテーターや有識者たちが一堂に会し、主義主張や立場の異なる人物を一方的に叩くことは日常茶飯事だ。批判ありきでまったく議論になっていない。

逆に、正当な批判を誹謗中傷だといって、相手の言論を封じようとする人もいる。意見や立場が違ったり、対立はしていても、相手を1人の人間として尊重する意識が希薄になってはいないか。

和の精神は、いったいどこに行ってしまったのだろうか。

一方、組織の「和を重んずる」といって、争いや不和の根本となる問題の解決を先送りし、自分が火の粉をかぶることを避けている人もいる。

そもそも、和の精神というものが誤解されてはいないだろうか。「十七条憲法」の第1条にはこう記されている。

「和を以て貴しとなす。これに逆らうことなく、生きる指針にしなさい。人は仲間を作るもので、道理をわきまえている者は少ない。(中略)だが、度量の広いリーダーのもとで部下たちが仲睦(なかむつ)まじくしていれば、議論がかみ合い、物事の道理がおのずから通るようになるので、どんなことでも成し遂げることができるのだ」
(国立国会図書館デジタルコレクション『聖徳太子憲法十七箇條』〈慶長年間出版〉より訳出)

もとより人は、仲間うちで固まるものである。だから、度量の広いリーダーのもとで部下たちが互いを尊重して協調し、自由闊達な議論を交わすことが大切だと、「十七条憲法」第1条はいっている。そうやって議論を尽くし、意見や立場の違いを越えて問題や課題を解決していく姿勢を、和の精神というのだ。

『名将言行録』を探していたら、こんな心温まるエピソードがあった。

あるとき、徳川第3代将軍の家光は老中の堀田正盛(ほった・まさもり)にこういった。

「お前たちは皆で集まっているとき、どんなことを話しているのだ。きっと同僚の批判をしているのだろう。であるなら、それはいずれ、恨みを買うもとになることがあるから慎(つつし)まなければならないぞ。やむを得ないときは、私のよくないことについて話せ。私はそれに耳を傾けて、行いを改めよう」」
(『名将言行録』巻之四十三より訳出)

仲間同士の批判はやめて、この私を批判せよ。その批判を受け止めて、私は行いを改めよう――。

なんとも心が洗われるような、リーダーの知恵の言葉ではないか。

家光は、仲間同士が互いに批判し足を引っ張り合うという、組織の内に向かうマイナスのエネルギーを前向きな議論に向かわせ、プラスに転換したのだ。

人は仲間を作り、自らの正しさを主張する生き物である。

だから組織にはつねに、人や部門・部署がバラバラになる遠心力が働いているとみていいだろう。だから、その遠心力を打ち消す求心力をどうやって作り出すかを、リーダーは常に考えなければならない。

――次回に続く――

 

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