「オリンピックの開催が待ち遠しい」――。7月23日の東京オリンピック開催まであと約1カ月となる中、女子レスリング最重量級の76kg級で日本人初の金メダルを目指すクリナップ所属の皆川博恵選手はいう。前回の2016年リオ五輪は怪我で代表入りを果たせず、一時は引退も決意した。念願だったオリンピック出場に向けて、思いを語る。
クリナップ レスリング部 皆川 博恵 選手
本番を前にベストの仕上がり
午前中はJOC(日本オリンピック委員会)加盟競技団体の所属選手専用の訓練施設、「味の素ナショナルトレーニングセンター」(東京都北区)で、ウェイトトレーニングやバイクトレーニングに汗を流す。午後は自宅のある千葉県松戸市内の体育館や自由が丘学園高校(東京都目黒区)レスリング部などで実践練習を重ねる。
「スパーリングでも自分から積極的にポイントを取りに行くことができています」と、皆川選手は自信を見せる。もともと接近戦が得意で、相手に触れながら体勢を崩し、脚を取りに行く従来のスタイルに、瞬発力を活かした素早い動きも加わった。
自らも高校・大学時代にレスリング選手として活躍し、国体への出場経験も持つ夫の拓也さんも、「先日、練習を一緒にしてきましたが、もともと得意だった組み手に、さらに磨きがかかり、相手を崩したところからタックルに入るタイミングなども向上しています」という。
UWW(世界レスリング連盟)の2020年1月付けランキングでは、女子最重量級の76kg級で世界第2位。
「もちろん金メダルを目指して練習しています。今まで日本で(女子76kg級で)金メダルを獲った人はいないので、この階級でも活躍できるんだというところを見せたいですね。でも最も大事なのは、自分がやってきたことをすべて出し切ることで、今までで一番良いレスリングができればいいと思っています」
ケガも克服し五輪の舞台へ
2011年にクリナップに入社。同社レスリング部に所属し、オリンピック日本代表を目指すも、2015年に左膝靱帯断裂という全治8カ月のケガを負い、2016年のブラジル・リオデジャネイロ五輪への挑戦を断念することを余儀なくされた。
ところが、この試合を最後に引退するつもりで臨んだ2017年8月のパリ世界選手権で3位に入賞し、これまで手が届かなかった世界選手権のメダルを手にした。
「勝っても負けても、どちらでもいいかな、というぐらいの気持ちで試合に臨みました。あまり自分自身を追い詰めていなかったので力が出せたのでしょう」と皆川選手は振り返る。
それを機にまたオリンピックに挑戦し、2019年9月にカザフスタン・ヌルスルタンで開催された世界選手権で2位となり、東京オリンピックの代表選手の内定を勝ち取った
コロナ禍の影響で、東京オリンピックの開催が1年延期されたが、皆川選手は「また1年オリンピックを楽しむ時間が増えた」と気持ちを切り替えた。
悪化していた右膝にテーピングを施して本番に臨むことも覚悟していたが、オリンピックが延期されたことで、右膝を手術し静養する時間も取れた。
日本代表への内定を決めた2019年の世界選手権までは、父の鈴木秀和さんも京都から駆けつけ、練習の指導をしていたが、コロナ禍で移動が難しくなった。現在は、男子74kg級で世界選手権9位にも輝いた実力者の兄・崇之さんが週に2、3回練習をともにしている。
オリンピックへの挑戦を通じて「1つの目標に向かい、自分自身を追い込み、ここまでできていることは大きな自信になっている」という。「生きている中で、自分が本当に夢中になって頑張れるものがあるのは素晴らしいこと」とも語る。
女子76kg級で日本人初の金メダルという、前人未踏への挑戦だが、気持ちはいたって平静だ。
「この階級で頑張っていくことに対して、重圧はそれほどありません。ここで私が良い結果を出せば、日本としても最重量級のカベを打ち破ることができ、後輩たちもまた頑張ってくれるでしょう。私がそのきっかけを作ることができればと思っています」と抱負を語る。
「フジサンケイビジネスアイ掲載」