第2回
日本のアイデンティティへの一考察
イノベーションズアイ編集局 広報アドバイザー 腰塚 弘
アイデンティティとは、集合体への帰属意識と訳せる。
では、わが国の日本のアイデンティティとは、何だろうか?
日本人は、どこへ帰属するのだろうか?
いや、どこへ収まろうとしているのだろうか?
新聞が好きだ。
長い広報の仕事で新聞記者と多く接してきたこともあり、彼らが、寝食を忘れるくらい手間をかけ取材し、折れそうな時も強烈な正義感により自身を奮い立たせ、読者のために限られた四角い面に記事を押し込んでいく姿を見てきた。
習慣からか毎朝いくつかの社の記事に目を通す。事実をどう深掘りし、どう解釈し、論調に収めているのかの違いを見るのも楽しみでもある。
一方で、読者欄に目を通すことも忘れない。そこには、「やはり同じ考えか」「そういう見方もありか」という気づきもあるし、限られた文字数に、老若男女を問わず人々の生き様や希望、失望、喜び、憤慨、人生の光陰が見てとれる。
ある日、こんな投稿を見つけた。
それは電車の中での出来事。おおよそこんな内容であった。
“かなり混んだ中、途中駅から高齢の女性が乗ってきたときに、それを見た乗客の外国人男性が「席欲しいですね、若い人、若い人」とカタコトの日本語で座っている若者に席を譲るよう促した。多くの若者はスマホに夢中で知らんぷり。すると高齢女性は「いいですよ。ありがとう」と親切な外国人に礼を言った。”その光景を目にした投稿者は、若者に席を譲るよう促した外国人男性にも、座れなかった高齢女性にも申し訳ない気持ちになった。テレビなどで「日本人は素晴らしい」という番組を目にするが、「これでは恥ずかしい」という気持ちになった”という。
実際電車の中に目をやると、多くの人が所かまわずにスペースを確保しスマホをいじっている。
スマホをいじる空間を確保し肘を張らなければ、もう少し人が入れるよう詰められるのに…。
車内の多くの人が、憑りつかれているように無言でスマホをいじる、見る。
それは、一定のリズムでハサミを動かし泡を吹きながらついばむカニの食事シーンのようでもあり、その表情は、一心不乱にクルミにかじり食むリスのようにも見える。
その光景は、海外の人によると異様な光景に映るとも言う。
さらには混雑した駅の通路や階段でもいじりながら歩く、上り下りする。急ぐ人や通行人に迷惑だ。しかし、スマホを見ながら歩く、上る、下りる姿はすでに特技の域に達していて、「なかなか器用なものだなぁ」と変に感心さえしてしまう。
“こぶし腰浮かせ” これは乗合船などで後から来る人のために、こぶし一つ分腰を浮かせて席を詰めて座る、他の人への思いやり、お互い様の行為を意味する「江戸しぐさ」だ。
「江戸しぐさ」は、口伝により受け継がれてきたものとされ、そのしぐさ、形から、理屈ではなく、親や地域、学校などの人たちとの関わりの中で、いつしか自身のものとして自然に身に着けていたものであり、「なるほどこれが日本らしいのである」と妙に納得させられる。
ところでスマホをめぐっては、2015年には政権が「携帯電話料金の家計負担軽減が大きな課題だ」として携帯料金の問題点を議論する有識者会議を開いている。
その後も「スマホ料金は高い」との政府からの指摘を受け、9割という寡占的なシェアを持つ大手3社からは、「携帯料金が高いという指摘は真摯に受け止める」とコメントし値下げに踏み切っているように、国として問題化されてきた経緯がある。
懸念材料としても、SNSを通じた誹謗中傷・いじめ、アプリ・ゲーム利用による高額請求、ワンクリック詐欺、無線LAN接続による個人情報の流出、SNSへの写真投稿による自宅住所の漏洩、SNS・アプリ・出会い系サイトを通じた犯罪被害、SNSアカウントの乗っ取り、フィッシング詐欺など、枚挙にいとまがない様相を呈している。
確かにそこには、作り手側、アプリを開発する側、情報を提供する側、利用する側などと、多くのホルダーが関連している。
そしてそれぞれが、日々開発に励み利益を追求することは民間企業として当然のことといえよう。がしかしスマホは、急速な発展を背景に日本人の生活様態への影響も強く、その功罪の負の部分、つまりモラルの整備が追い付かない側面は否めない。
なのでここで一帆を緩めて、それぞれの業界に横ぐしを刺す、スマホ文化の健全な発展のためのコンソーシアムなどが必要なのではないだろうか。
そもそも人間とは自然の中で生かされている存在であると思う。
神話時代から現代まで、自然に対する畏怖の心を日本人は忘れていない。
「ばちが当たる」に代表されるように、自然の中、生活の中であらゆるものに対して意味を持たせて畏怖の念を抱かせてきた。日本人は生活のあらゆるところに八百万の神を存在させてきた。それはひとが自然の中で生かされている存在にすぎない、という思想が根底にあることに他ならない。
だから日本人は、他と共存共栄する、自分を差し置いて人を優先する、助け合う、といったことを土台にしてきたのである。
東日本大震災の被災地で人々が整然と助け合う姿は、過去においても幾多の災害、戦災などを通じて見られてきたごく当たり前の光景である。
これまでに、たとえば車内でお年寄りへ席を譲る、狭い場所での譲り合いに「すみません」「こちらこそ」と言葉をかけあう光景に多く出会ってきた。
日本の良きアイデンティティである。
これらが日本人のアイデンティティの根底を形成してきたのである。このことを決して忘れてはならない。
昨今、インバウンドにより海外から日本を訪れる多くの外国人に出会う。
海外からのお客様は日本のどんなところに感銘していただけるのだろうか?
かつてのように先進の技術や観光名所は驚きを持って感動いただけると確信している。
しかしそれは、後にでも動画や写真で好きなときに見ることもできよう。
ところが、日本固有のアイデンティティに基づくハートフルな人と人との交流は、深く心に刻まれる。それはデジタル機器ではリピートできないものだ。どんなハードウェアでも再現はできない。だから、またこの心、気持ちに触れようと、再び人々は日本を訪れるのであろう。
冒頭に記した電車の中での出来事などは、あらためて恥ずかしく思うのであると同時に、こうした無関心な人々が時を重ねて増幅されていくことで、人の本質まで変容させてしまうのではないかと思うと末恐ろしくなる。
日本の良さという概念を、今一度再確認をする必要があると思う。
日本が固有のアイデンティティを見失い、ますますボーダレス化が進むようであれば、日本人はその表情を、顔を失う。
遠い未来、日本に来る外国人に、「絶滅種・日本民族の街」としたテーマパークへご案内することがないよう願っている。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
広報アドバイザー
腰塚 弘
埼玉県熊谷市出身。1980年3月立教大学卒業。
共栄火災海上保険では1991年から広報。広報課長を経て2001年から2013年まで広報室長。2014年から独立行政法人日本スポーツ振興センターに転じ広報室長。2023年2月退職。
社外活動として、2008年から2012年まで日本ラグビーフットボール協会広報委員長。2009年から2017年まで仙台大学非常勤講師(スポーツ広報論)。
2024年5月よりイノベーションズアイ編集局広報アドバイザー。
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