第7回
【不可思選手】K-1ファイター/何度でも甦る「火の鳥」
株式会社アゴラ 柏木 太郎
<不可思選手プロフィール>
キックボクシング、K-1ファイター。過去5団体の王者となり、現在は主戦場をK-1に移し、6本目のベルトを狙う。ニックネームは火の鳥。
失敗はない。全ては成功への過程。
少年時代
不可思 小学校3年から6年までは空手もやっていましたが、どちらかというとサッカーに夢中でした。小学校を卒業し、中学はサッカーの強い学校へ進学しました。ただ、中学3年生くらいの時に、自分はチーム競技には向いていないんじゃないかと気づきました。
再び格闘技の道へ
不可思 チームプレーに向いていないと気づき、もう一度、個人競技である格闘技をやろうと思いました。小さい頃、テレビで総合格闘技やK-1を観ていたので、始めるのは正直どちらでも良かったです。たまたま近くにキックボクシングのジムがあったので、キックを選んだ感じです。個人競技の良さは、どんな結果であろうと全て自分に返ってくるところ。中学3年生の時に再び格闘技の道に戻りました。この頃の感覚は、趣味の延長です。
数カ月で高校を退学
不可思 高校に入ってから、特に夢中になることもなく、毎日友達とフラフラ遊んでいました。学校に厳しい先生が居たんですけど、その先生にあるとき急に呼び出され「学校を辞めろ」と言われました。後で知ったのですが、その先生も昔は総合格闘技をやっていたみたいです。正確には、「せっかく格闘技と出会えたのに、みんなとフラフラ遊んでいてもしょうがない。もったいない。学校を辞めて、本気でやってみたらどうだ?」って言われたと思います。先生のあの一言がなければ、間違いなくキックボクサー不可思は存在していなかった。分岐点や人との縁、人生ってこういうことが多々あるように感じます。高校1年の夏、入ってまだ数カ月でしたが、退学という大きな決断をしました。
本場タイへの武者修行
不可思 学校を辞めてからは、働きながらキックボクシングジムに通う生活をしていました。自分の母はタイ人なので、向こうにも行きやすかったし、やっぱりムエタイの本場で学んでみたいと思っていました。お金を貯めて17歳の時に、タイへ渡りました。
運命的な出会い
不可思 実際、17歳なんてまだまだ子供で、本場ムエタイを学ぼうと思ってタイに渡りましたが、ノープランに近かったです。だから、現地でどこのジムに通うか決まっていなかったし、どこのジムが良いのかも全く知らなかった。たまたま現地で紹介されたジムが、名門のゲオサムリットジムでした。そこで3カ月間住み込みで練習をすることになりました。そして少し遅れてから、もう一人の日本人がゲオサムリットジムにやってきました。それが武尊です。武尊とは同い年で、約1カ月間、同じ部屋で過ごしました。当時、タイで同い年の日本人と知り合う確率も低いと思いますが、まさか自分と武尊が数年後に同じK-1のリングで活躍するなんて想像も出来なかったですね。
上京
不可思 22歳の時に上京し、クロスポイント吉祥寺に所属することになりました。本格的にプロのキャリアを積もうと思っていましたが、そんなに深く考えていなかったような気もします。もしかしたら当時は勢いとノリだけで上京した部分もあるかもしれません。上京するメリットは、東京は格闘技をやっている人も多いですけど、それだけチャンスも多いんじゃないかなって思います。
厳しい世界・厳しい現実
不可思 日本って格闘技一本で生活するには、海外と比べると厳しい状況だと思います。海外は賭けの対象になっていることもあるので、試合会場もすごく盛り上がります。お客さんの熱もハンパじゃないです。タイでムエタイをやっている選手は生活もかかっていますし、ハングリーさとかが日本人と比べると全然違いますね。日本は働きながら格闘技をやる選手が多いと思います。自分もそうでした。
5団体のベルトを獲る
不可思 仕事をしながら格闘技を続け、5団体のベルトを巻くことが出来ました。タイトルは、REBELS-MUAYTHAIスーパーライト級王座、RISEライト級王座、WPMF日本スーパーライト級王座、初代BigBangライト級王座、KING OF KNOCK OUT 初代スーパーライト級王座です。YOUTUBEに試合がアップされているので、是非探して見て欲しいです。
深く考えず、仕事を辞めた
不可思 ずっと格闘技一本で生活をしたいと思っていて、KNOCK OUT 初代スーパーライト級トーナメント前の、ライト級トーナメントに参戦するタイミングで、仕事を辞めました。いよいよ、格闘技一本で生活する決意をしました。格闘技以外で仕事をしていると、生活の上で安心感はありますが、行動しないと始まらないなと。辞めた時は、そんなに深刻に考えず、普段から楽観的でしたので、そこまでリスクとも思いませんでしたし、チャンスかなと思いました。結果、KING OF KNOCK OUT 初代スーパーライト級王座を獲った時、優勝賞金を手にすることが出来ました。
辞めて良かったと思う
不可思 自分の場合は、仕事を辞めて、格闘技一本にして本当に良かったと思います。自分で自分のスケジュールをしっかり作れることは、責任もありますが自由もあるって感じです。練習する時間も増えたし、自由な時間を使って人と会うことも多くなりました。結果、チャンスも増えたと思います。仕事を辞めるという決断は、収入が減るかもしれないというリスクもあったけど、決断して良かったと思います。
今までで一番印象に残っているシーン
不可思 KING OF KNOCK OUT 初代スーパーライト級王座を獲った時ですね。トーナメントで勝ち上がってとったタイトルです。当時はブシロードがやっていたので、大きな会場で満員の中、優勝できて最高でした。今はK-1のビッグイベントにも出場させてもらっていますが、もう一度あの体験をK-1のリングで達成したいです。
直近の目標
不可思 もちろん、K-1のチャンピオンになることです。K-1は強い選手が多いですし、決して簡単な道のりではありませんが、その道が険しいほど、熱くなれます。熱い試合で観客を熱狂させてベルトを獲りたいですね。会場に火をつけます。
決めたことを達成するために進化する
不可思 K-1のチャンピオンになる為には、自分をもっと強く進化させなければいけないって思っています。それに必要なのは、自分の一番強い型を見つけ、それを作っていく作業。コロナの関係で、所属しているジムがしばらく休館することになった時、知り合いを通じてIDEALというジムを紹介してもらいました。IDEALの渡辺会長の指導は、今までやってきたことと違ったので、新しい技術を取り入れるには最高の環境でした。特に、自分の強みや弱点をしっかり分析し、細かく指導・修正してくれます。自信もつきますし、まだまだ強くなれる、自分の一番強い型に近づける、進化している実感が湧きます。
新しいものにチャレンジする
不可思 格闘技の練習でも言えますが、新しいことにチャレンジすることは刺激になり面白いですね。格闘技以外のことでも面白ければ積極的にチャレンジしていきたいなと思います。矛盾するかもしれませんが、それが格闘技以外の仕事のことでもいいんです。仕事を辞め格闘技一本で生活が出来るようになり、逆に時間の使い方が自由になったので、有効に使いたいです。今後、何かビジネスでも面白いことをするかもしれません。あと、格闘技以外のトップアスリートと交流してみたいです。他競技の練習方法やメンタルトレーニングなど、すごく興味があります。
メッセージ
不可思 勝つために練習をしていますが、負けることもあります。失敗という言葉はありますが、自分は成功までのプロセスとしか考えていない。全ては成功への過程。失敗をシリアスに考えない。失敗から学べることは多いし、落ち込んでいる時間も勿体ないと思えるようになりました。成功できるチャンスだし、プラスにしか捉えていません。諦めなければ、きっと成功できると信じています。是非一度、自分の熱い試合を観に来て欲しいです。
情報
不可思選手Twitter
不可思選手Instagram
クロスポイント吉祥寺
7月17日(土)「K-1 WORLD GP 2021 JAPAN」福岡国際センター大会出場
協力
場所:IDEALジム
撮影:山さん
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