第3回
【イノベーターに聞く】②燃料電池の性能向上のカギを握るナノカーボンの「マリモの構造」――東洋大学理工学部応用化学科・蒲生西谷美香教授(中編)
イノベーションズアイ編集局 ジャーナリスト 加賀谷 貢樹
前回の記事で、魅力的な素材であるナノカーボンとはどんなものかについて触れ、偶然から見つかった「マリモカーボン」の不思議な構造や特徴を紹介した。「マリモカーボン」の構造や特徴は、燃料電池の性能向上や低コスト化に大きく貢献するとみられる。
蒲生教授はさらに、そのカーボンの「マリモの構造」をシート状に展開させることで、画期的な新素材「(仮称)マリモカーボンシート」の開発に成功した。固体高分子形燃料電池(PEFC)の電極材料としての応用が期待される新素材の研究開発は、どう進められたのかをリポートしていく。
燃料電池が抱える課題
まず、前回紹介した「マリモカーボン」が持つ構造はなぜすごいのか、ということから話を始めよう。
今、実用化に向けての研究開発が進められている、燃料電池自動車などに用いられる固体高分子形燃料電池(PEFC)を例にとって説明したい。
蒲生教授は、現在の燃料電池が抱えている課題についてこう話す。
「今もそうですが、(燃料電池の主な課題は)寿命が短く、出力が上がらないということです。出力を上げたいと思っても、(電池のセル内で大量に発生する)水をどう排出するかが問題になります。また、電極の触媒に白金を使っているので、価格がなかなか下がらないというのも大きな課題です」
蒲生教授が指摘する燃料電池の課題について、逐次解説していこう。下記の図1を参照しながら読み進めていただきたい。
まず触媒についてだが、燃料電池の電極には触媒効果の高い白金が使われている。白金は高価で、電池のコストを大きく押し上げる要因になる。だから、いかに白金を減らしつつ、効率的に化学反応を起こすことができるかが、大きな課題になるわけだ。
また、燃料電池では「排水性」が問題になることも特筆される。
燃料電池全体で起きているのは、水を電気分解して水素(H2)と酸素(O2)を作るのとは逆の、
2H2+O2→2H2O
というシンプルな反応だ。
電池にはプラス極(カソード)とマイナス極(アノード)がある。図1に記したように、燃料電池のカソードは空気極と呼ばれ、アノードは燃料極と呼ばれる。そのカソード側で水が発生するのだが、電力が大きくなればなるほど発生する水(生成水)の量が増加する。
そのため燃料電池では、大きな電力が必要になるときほど、あるいは電池の高性能化を進めれば進めるほど、カソード側の電極の「水はけ」が重要になる。
そもそも、水素と酸素を化学反応させて電気を起こすのが燃料電池だから、電極の材料はガスが通りやすいものではなくてはならない。ガスの通り具合(ガス拡散性)が悪ければ、反応が弱くなり、得られる電力は低下する。
「マリモカーボン」のどこがすごいのか
蒲生教授によれば、ナノカーボンが作る「マリモの構造」には、こうした課題を解決するためのブレイクスルーをもたらす可能性があるという。
「まず、繊維状ナノ炭素が1本1本バラバラの状態ではなく、(ダイヤモンド粉末の表面に)しっかり固定化されているので扱いやすいということですね。繊維がお互いに(複雑にからみ会って)作り出す空間(間隙あるいは細孔という)がしっかり維持されていることが大きいのです」と蒲生教授は話す。
「マリモカーボン」には繊維同士が集まって作り出される「すき間」が無数にあり、そのすき間がしっかり維持されているので、ガスも水も通りやすい。したがって、「マリモカーボン」を応用して作った電極材料は、ガスの拡散性が高く、排水性も良好だということになる。
「(電極内部で)水がどう通るかが、結局は重要なのです。電池の中から水を抜かないと、反応が止まります。水をどんどん除くから、反応がうまく進行するわけです」(蒲生教授)
もう1つ、「マリモカーボン」を電極触媒の担体に用いることで、白金の使用量を減らし、燃料電池のコストダウンに大きく貢献する可能性があると蒲生教授はいう。
「大量の繊維状ナノ炭素が集まってできる『すき間』は非常に狭いので、白金の粒子が内部に入り込むことができません。従来用いられてきた、多孔質の非晶質(アモルファス)炭素担体の場合は、担体の微細な孔(あな)の内部に入り込んだ白金粒子は水素や酸素のガスと接触せず無駄になります(図2参照)。ところが『マリモカーボン』は、ガスと接触する繊維状ナノ炭素の表面に、触媒の白金を効率よく担持できるので、白金の使用量を大きく減らすことができます」
加えて、「マリモカーボン」は炭素原子が規則正しく並ぶ結晶構造を持っているため、非常に丈夫で、触媒粒子をしっかり担持する「崩れにくい土台」になる。そのため、「マリモカーボン」を材料にして作られる電極は耐久性が高いものとなり、燃料電池の長寿命化に役立つという。
「地味な部分ですが、触媒となる白金粒子を支える担体が、じつは重要なのです。寿命を始め、燃料電池の性能を左右するさまざまなカギを握っています」(蒲生教授)
球状の「マリモ」をシート状にしたら、さらに扱いやすい新素材ができた!
こうした優れた特徴を持つ『マリモカーボン』だが、直径が数10マイクロメートルという微細な粉体材料であるため、燃料電池の電極に合わせた形に成形するのに、非常に手間がかかるのだ。
詳細は省くが、粉状の「マリモカーボン」に「イオノマー」と呼ばれる合成樹脂を混ぜて「インク化」し薄膜を作るなど、さまざまな工程を経る必要があり、歩留まりもよくない。
「マリモ」の構造を持つ、さらに扱いやすい材料はできないものか――。
蒲生教授が注目したのが、「カーボンペーパー」という、炭素繊維と炭素の複合材料だった。
「カーボンペーパー」は導電性が高く、高分子形燃料電池の電極の「ガス拡散層」(後述の「触媒層」とともに図1参照)にも使われている。それを電極の「触媒層」にも活用できれば、成形作業の工程が不要で品質も安定し、歩留まりも大きく向上するはずだ。
そこでたどり着いた結論は、「マリモカーボン」が持つ独特の構造をシート状に展開する、というものだった。
こうして生まれた新素材が、「(仮称)マリモカーボンシート」(*)である。
(*)「(仮称)マリモカーボンシート」は、「繊維状ナノ炭素(CNFs)/カーボンファイバーペーパー(CFP)複合材料」の通称。また「カーボンファイバーペーパー(CFP)複合材料」の商品名が「カーボンペーパー」で、本文中では「カーボンペーパー」と記す
ところで、「マリモ」の構造をシート状に展開する、というのはどういうことか。
具体的には、「マリモカーボン」の合成技術を用い、「カーボンペーパー」の炭素繊維1本1本の表面に、さらに微細な繊維状ナノ炭素を大量に成長させることをいう。
図3左側の写真で、「5㎛」と書かれているものが、「カーボンペーパー」の炭素繊維の拡大写真だ。図右側の写真で「5㎛」と書かれたものと、それをさらに拡大した「150nm」の写真を見ていただくと、「カーボンファイバーペーパー(カーボンペーパー)」の炭素繊維1本1本に、微細な繊維状ナノ炭素が大量に生えていることがわかるだろう。
イノベーションで、立ちはだかるカベの「その先」へ
「『マリモカーボン』は燃料電池の電極材料として、市販の材料よりも優れているということは、すでに学術論文でも報告しています。ところが、なかなかその先に進めませんでした。『マリモカーボン』を量産するにも、委託先がすぐに見つかるわけではありません。
同じ量産ということであれば、『カーボンペーパー』をベースにしたもののほうがメリットは大きいと考え、5、6年前から研究開発を始めました。まだ技術的な詰めが必要な部分はありますが、ほぼ同じ品質のものを繰り返し作れる状態になっています」と蒲生教授。
ものづくりの現場でいう、試作と量産のあいだに立ちはだかるカベを思い起こさせる。
たゆまぬ研究開発の結果、ある画期的な技術やコンセプトを現実の形に落とし込むことができたとする。でもそれは、試作としてうまくいったとしても、量産に適しているとは限らない。
試作と、量産最適化を考慮したものづくりには、大きな開きがあるのだ。
その意味で、当初は「マリモカーボン」として実現された、ナノカーボンが作る「マリモの構造」を、量産に最適な形にアップデートさせたものが、「(仮称)マリモカーボンシート」だということになるだろう。
蒲生教授は、この「(仮称)マリモカーボンシート」を、固体高分子型燃料電池の電極接合体(MEA)に応用することを目指している(図4参照)。
図4の赤枠囲み部分を見ていただきたい。
先にも述べたように、「カーボンペーパー」は固体高分子型燃料電池電極のガス拡散層にも使われている。ということは、その「カーボンペーパー」をベースにして、触媒をしっかり固定化できる担体を作れば、ガス拡散層と触媒層を兼ねることができるのだ。
従来、触媒層とガス拡散層と二層に分かれていた部分を一層に集約できるので、電池のセルの厚みを減らすことが可能になる。厚みが減れば、電池の内部抵抗も減少し、製造に必要な材料も節約できるなど、利点が多い。
■従来の固体高分子形燃料電池(PEFC)の課題を大幅に改善できる「(仮称)マリモカーボンシートの」特徴
①ガス拡散層と触媒層を一体化できる→省材料・省工程で軽量かつ丈夫な電極構造となる
②燃料電池の要となる白金触媒を有効利用できる→高価な白金の使用量を削減し低コストに
③発電反応のボトルルネックとなる生成水を効率よく排出できる→電池の高出力化・高寿命化が可能
蒲生教授の研究室では、現在「(仮称)マリモカーボンシート」に白金を担持させて燃料電池の単セルを作成する実験を進めている。
また今年度中に、「(仮称)マリモカーボンシート」の認知向上と普及を目指し、研究機関や教育機関、企業を対象に、「(仮称)マリモカーボンシート」試料の販売も始める予定だ。
新たな素材の世界を拓く、イノベーションが着々と進行している。
――後編に続く――
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