ララ・コンシェルジュ~女性起業家STORY~

第63回

青年海外協力隊でフィリピンへ…ご縁が繋ぐ陶芸人生

サポートプラス社会保険労務士事務所  長橋 知世

 

このコラムは、どん底を経験した女性がなぜ起業に至ったか、そして今何のために、どんな思いで働いているのかを、サポートプラス社会保険労務士事務所の代表を務める長橋知世がインタビューしていきます。

今回のゲストは、陶工房 倶夢巣多(くすむた)代表 陶芸家の山嵜直子(やまざきなおこ)さんです。

お仕事について教えてください。

陶芸家です。この道を歩むこと20年以上。

北鎌倉の工房で陶芸教室や、日本国内をはじめ大好きなフィリピンでも個展を開催しています。

「使う人の生活に溶け込む焼き物を」という想いを胸に、完成までの工程をたどります。

材料である土と対話しながら、

「どんなお料理の引き立て役になるかな?」

「この器を囲う食卓ではどんな会話が生まれるのだろう?」

手に触れる焼き上がりの感覚とあわせて、こんなふうにイメージする贅沢な時間が、この上なく幸せです——。


陶芸家を目指すきっかけは?

私が陶芸を始めたのは、偶然、電動ロクロと出会ったことがきっかけでした。

子どもの頃から教わっていた絵の先生のアドバイスにより、美術大学へ進学。

デザイン・木工芸・金属工芸・陶芸を学ぶという、優柔不断な私にはぴったりなカリキュラムでした。

進級の時期を目前にして、専攻分野の選択が決められずにいたそんなある日、1階のおトイレに行きたかったのに空いてなくて、初めて地下に降りところ、薄暗い廊下の奥から「ウィーン・・・」という不思議な音が…!音の正体は電動ロクロでした。

「面白そう!こんなに楽しいことを隠していたの!?」(笑)

土が自由自在にカタチになっていく様子に大感激!!!私の陶芸人生の幕開けとなりました。


フィリピンとの出会いは?

大学卒業後は、教授からの紹介で『日本陶芸倶楽部』という日本で最初のアマチュア陶芸の振興と普及を目的とした陶芸教室に4年間勤めました。

その後、学生の頃から興味があった「青年海外協力隊」に応募します。

希望はアフリカやスリランカでしたが、任務地はフィリピンに決まりました。

発展途上国の現地では、学校に行く余裕もない子どもたちに、生きていくための職業訓練を行いました。

現地での「陶芸」の取り組みはというと、難しい面もありました。

フィリピンの土は低温でしか焼けない土でしたし、そもそも、器を楽しむ文化すらない。お料理をのせるお皿といえば、バナナの葉っぱです。マグカップも市販のカップ麺の容器を洗って使うような生活でしたから。

そんな中でも、日本人会の方々にお願いしをして、現地の人たちと作った器をバザーに出しました。

試行錯誤しながら現地の人たちと関わるうちに、フィリピンが大好きになりました。

「フィリピンで生きていきたい!」3年間の任期を経て芽生えた熱い想いでした。


日本に帰ってからはいかがでしたか?

青年海外協力隊の任期を終えて帰国すると、逆カルチャー・ショックに苛まれました。

フィリピンの人たちは、明日食べるものも手に入るかわからないのに、いつもニコニコしていました。

「辛いのに笑ってなくてどうするの?」彼らの言葉が鮮明に蘇ります。

フィリピンに比べて、物質的にはじゅうぶんに満たされているはずの日本。けれども、どんよりした重たいグレーな空気が漂っている…違和感を覚えずにはいられませんでした。

そんな折に、カナダにいる姉に誘われ渡航。カナダの陶芸家とお互いのスキルを交換する中で、「焼き物を生業にしたい!」と、強く思うようになりました。

カナダでは大きな器を大量生産し、充実した日々でしたが、その矢先に右手に腱鞘炎を患います。

手を治すこと、資金をためて自立したいという思いから、フィリピンの日本企業で通訳・翻訳の仕事に2年間就きますが、大好きな国にいるにも関わらず、体調に異変が起こります。

「このままここいたら、本来のあなたじゃなくなっちゃう…。」

フィリピンでの協力隊時代の私をよく知る友人からの一言に、私ははっとしました。

不安もありましたが、右手のリハビリに専念し、現在の工房を築くまでになりました。


山嵜さんが大切にしている思いとは?

工房は決して広くないけれど、ここは私のお城。

制作している時は、自分だけの世界。贅沢な時間。

インストラクターをしている時は、色々な方とお話できるかけがえのない時間。

こうした一つ一つのご縁が、私の宝なのです。

30年前に慣れ親しんだフィリピンの情景。「あじあんlifeシリーズ」のモチーフです。

絵をつける際、私の心には、いつもフィリピンの人たちの賑やかなおしゃべり声が聞こえます。

器を使っていただくご縁、生徒さんとのご縁、大好きなフィリピンでのご縁…

陶芸人生で繋がる数々のご縁を大切に、そして深めながら、私は生涯、焼き物を続けていきたいです。


【陶芸家 山嵜直子さんのプロフィール】

陶工房 倶夢巣多(くすむた) 代表

掻落し(カキオトシ)や、象嵌(ゾウガン)と言う技法が好きで、長年取り組んでいます。
また、釉薬と別の釉薬との融合により作り出せる窯変色彩も変化が面白く、好んで取り入れています。若いころはロクロ成型が好きで、ロクロばかりの器作りでしたが、 ここ数年は、手捻りの面白さ・深さにも魅力を感じて、シリーズ『leaf』『自然のままに』なども手掛けています。
かつて5年間程、フィリピンで現地の方々と生活を共にし暮らした経験が有り、以来、大好きな国になりました。
当時のフィリピン(東南アジア)を思い、 見慣れた景色や生活を表現した『あじあんlife』や、南国の海のイメージから生み出された魚の柄も、長年代表の作風にしています。


今回インタビューした山嵜直子さんのことをもっと知りたい方は、こちら女性起業家デジタルBookをご覧ください
陶芸家 陶工房 倶夢巣多 代表 山嵜直子さん

 

プロフィール

【インタビュアー】
サポートプラス社会保険労務士事務所
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
アラフィフ女性に特化した人材紹介「ララ・ワーク」
代表 長橋 知世

静岡県立沼津東高校卒
立教大学社会学部観光学科卒

一般企業、商業高校の教員として勤務したのち、出産を機に退職し家庭に入る。

2児の子育てが終わってから、社会保険労務士資格を取得。

2018年に横浜で社労士事務所の開業に至る。

40代50代女性がもっと社会で活躍すべきと、セカンドキャリアの女性コミュニティを立ち上げ、一年でメンバー100名とする。

主婦はキャリアだと認められる社会を目指し、アラフィフ女性に特化した人材紹介業を立ち上げ、企業とのマッチングを進めている。

Webサイト:サポートプラス社会保険労務士事務所
      セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
      主婦の就職支援「ララワーク

セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」とは、人生経験を積み、さまざまなキャリアを経験した女性の第二の人生を応援していくコミュニティです。

ビジネスセミナーや食事会、交流会など、プライベートを楽しみながらビジネスをひろげていくための機会を提供しています。

自己成長できる場、仲間づくり、協業できる環境であり、女性の新しい生き方を承認し、これから社会に踏み出す女性にエールを送りたいと思っています。

◆ララ・コンシェルジュについてはこちらから

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ララワークは、40代からの女性の再就職を応援します。
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