第46回
ガン闘病の娘の思いを引き継いで笑顔を届けるサロンを開設...
サポートプラス社会保険労務士事務所 長橋 知世
このコラムは、どん底を経験した女性がなぜ起業に至ったか、そして今何のために、どんな思いで働いているのかを、サポートプラス社会保険労務士事務所の代表を務める長橋知世がインタビューしていきます。
今回のゲストは、リンパケアサロンの鈴木 峰子(すずきみねこ)さんです。
お仕事について教えてください
リンパケアサロン「ひまわりsâya」で、「さとう式リンパケア」インストラクター、セルフケアマスターとして施術や講座を開いています。
またLara upイヤーアクセサリーの対面販売や、販売権を取得できる養成講座を開催しています。
夫婦離れて生活されたとのことですが?
結婚して一度の死産を経験し、新たな命が芽生えた時、東京の都会で育てるより自分の生まれた浜松で自然に触れた生活をさせたいと思うようになります。主人を東京に置いて、嫁ぎ先である主人の両親との暮らしを選びました。
近くに浜名湖のあるそこは、ちょうど良い田舎具合です。この環境のなかで、二人の子育てをすることができました。
バスケットボールをやっていた主人に刺激され、子どもたち2人もバスケットをやる様になり、主人も月に何度か帰省してはバスケット少年団の指導に参加し、親子共通の話題で盛り上がったりしたものです。
子供達には、東京の大学に進学することを勧めました。
大学生になった2人は久しぶりに父親と暮らすことに。そして、そのまま就職。
私は、主人と子供達と離れ、浜松で逆単身暮らし。義父も亡くなり、義母と二人暮らしをしていました。
そんな時に娘さんが病気に…
進行性のスキルス胃ガンステージⅣで、手術はできない状態まで進んでいると診断されました。
そのとき、娘が笑顔で言うのです、「お母さんと一緒に家族みんなで暮らしたい…。」
周りの助けもあり、娘が亡くなるまでの5ヶ月間、ゆっくりと家族で過ごすことができました。
それは、娘が最期にしてくれた親孝行だったのかもしれません。
最期に逝く瞬間まで笑っていた娘。
親が言うのもなんですが、本当にあっぱれな娘でした。
娘と息子はとても仲が良かったので、ガンの話は兄妹で話していたと後から聞きました。
「笑顔は病気を治すから、いつも笑顔でいようね」と話していたそうです。
お医者さんがびっくりするくらい、笑顔で穏やかな最期でした。
サロンを始めたきっかけは?
娘を亡くした後、私は母としての責任を感じていました。
家族や自分と関わる人に何かできることはないかと探します。
そんな時、不調が起きる要素である毒素を溜めない体にする「さとう式リンパケア」とう施術に出会い、インストラクターの資格取得を目指します。
卒業試験の当日、佐藤先生に「私、試験頑張ります!」と言うと、「頑張る人は破門だね」と言われます。
「頑張るという字はどう書くの?ガンを張るって書くでしょ?頑張りすぎることで、体が縮こまってしまうと、毒素が溜まる…。だから、さとう式は頑張らない。」
この説明を受けたとき、私には娘の笑顔が見えたようでした。
亡くなった娘からの手紙には「もう頑張らなくていいからね」と最後に書いてありました。
奇しくも、佐藤先生の教えと同じ…
ここに導いてくれたのは娘なのかなぁと思っています。
娘からの気持ちを引き継いでいこうという想いで、このサロンを始めました。
娘が働いていた保育園の園長先生が、娘の笑顔はヒマワリみたいだと園児からも言われていたと話をしてくれ、園にヒマワリを植えてくれました。
そのヒマワリと娘の名前「さやか」から、このサロンを「ひまわりsâya」と名付けました。
Lara upイヤーアクセサリーとは?
耳に輪ゴムをつけて耳周りの筋肉を緩めるさとう式リンパケアの施術から進化した耳装着具で、耳たぶを1㎜上げることで美姿勢になり身体が整います。
このアクセサリーに着けるチャームを私はひとつひとつ作っています。
娘の大学時代に、一緒にアクセサリー作りをしていたのも、今の仕事に役にたっています。
ここにも娘からのプレゼントとして見えない力が働いているのかもしれません。
この商品、ひとつ作れば調整しながらずっと使えるリピートのない商品ですが、お客さん達が、私のところに新たなお客さんを連れてきてくれます。
Lara upの魔法のイヤーアクセサリー、これを着けると、その場で鏡を見たお客様がムフフと笑顔になります。
その笑顔は、また次の誰かを笑顔にしていきます。
鈴木さんが叶えたい思いとは?
私の主人と息子は、心臓の医療器具の製造と販売をしており、病める人のために仕事をしています。
「ひまわりsâya」は病まない身体作りをサポートが仕事です。
病める人達のための会社と、人が病まないためのサロン。
この二つの会社があれば、史上最強!
そこから生まれる笑顔も史上最強!
家族で最強のタッグを組み、たくさんの笑顔のために、心と体をサポートしていきたいと思っています。
「笑顔」は副作用のない薬。
だれもが、だれにでも与えることができる最高の薬のひとつなんです。
そして、その笑顔を教えてくれたさやかに、史上最高の感謝を…
【リンパケアサロン 鈴木峰子さんのプロフィール】
ひまわりsâya 代表
娘の闘病をきっかけに、手のひらセラピー、リンパケア、アロマテラピーを学び、資格を取得。
身体と心を癒しのお部屋『ひまわりsâya』
太陽の様に明るく、いつも笑顔だった娘の名前にちなんでつけた名前です。
皆さまが、ゆるゆるhappyに過ごせます様に♡
今回インタビューした鈴木峰子さんのことをもっと知りたい方は、こちら女性起業家デジタルBookをご覧ください
リンパケアサロン ひまわりsâya 代表 鈴木峰子さん
プロフィール
【インタビュアー】
サポートプラス社会保険労務士事務所
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
アラフィフ女性に特化した人材紹介「ララ・ワーク」
代表 長橋 知世
静岡県立沼津東高校卒
立教大学社会学部観光学科卒
一般企業、商業高校の教員として勤務したのち、出産を機に退職し家庭に入る。
2児の子育てが終わってから、社会保険労務士資格を取得。
2018年に横浜で社労士事務所の開業に至る。
40代50代女性がもっと社会で活躍すべきと、セカンドキャリアの女性コミュニティを立ち上げ、一年でメンバー100名とする。
主婦はキャリアだと認められる社会を目指し、アラフィフ女性に特化した人材紹介業を立ち上げ、企業とのマッチングを進めている。
Webサイト:サポートプラス社会保険労務士事務所
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」
セカンドキャリアの女性コミュニティ「ララ・コンシェルジュ」とは、人生経験を積み、さまざまなキャリアを経験した女性の第二の人生を応援していくコミュニティです。
ビジネスセミナーや食事会、交流会など、プライベートを楽しみながらビジネスをひろげていくための機会を提供しています。
自己成長できる場、仲間づくり、協業できる環境であり、女性の新しい生き方を承認し、これから社会に踏み出す女性にエールを送りたいと思っています。
◆ララコンシェルジュについてはこちらから
・女性起業家デジタルbook
・ポットキャスト:え?わたしも働ける?人生薔薇色ラジオ
・YouTube:「ララ・コンシェルジュ」チャンネル
・インスタグラム :ララ・コンシェルジュ
・Facebook:ララ・コンシェルジュ
・公式ライン:ララ・コンシェルジュ
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