現場発「ものづくりイノベーション」最前線

第2回

【イノベーターに聞く】①ナノカーボンの「マリモ」から広がる新素材の世界――東洋大学理工学部応用化学科・蒲生西谷美香教授(前編)

イノベーションズアイ編集局  ジャーナリスト 加賀谷 貢樹

 

既存のビジネスの常識にとらわれず、新分野や新市場を開拓したい。自社の製品やサービスが抱える課題にブレイクスルーをもたらす何かを見つけたい――。

「イノベーションズアイ」会員や読者の皆さんの中にも、そんな思いを抱いている方は多いのではないだろうか。そこで本連載では、「イノベーターは語る」と題し、先端分野の研究開発の現場レポートをシリーズ化していく。

シリーズ第1回のテーマはナノカーボン。東洋大学理工学部応用化学科の蒲生西谷美香教授が手がける最先端の研究を紹介する。具体的には、燃料電池用電極の新たな素材として期待される「マリモカーボン」や「(仮称)マリモカーボンシート」のほか、研究活動にかける思いやイノベーターとして大切にしている姿勢などについて、3回に分けて話を聞いていく。

ナノサイズの炭素が織りなす多様な「カタチ」

今回インタビューを行った東洋大学理工学部応用化学科・蒲生西谷美香教授(以下、蒲生教授と記載)が手がける研究の内容を紹介する前に、ナノカーボンという魅力的な素材について、おさらいをしておきたい。

ナノカーボンとは、ナノサイズ(1ナノメートルは=10億分の1メートル=100万分の1ミリメートル)の微小な炭素材料。6個の炭素原子(C)が六角形に結びついてできる「亀の甲」のような平面格子(こうし)がつながり、さまざまな形状の物質を作り出している(図1参照)。

1ナノメートル=は10億分の1メートル、100万分の1ミリメートルといっても、なかなか実感が湧かない。そこで、単位を少し整理しておこう。

・1メートル(m)=1000ミリメートル(mm)
・1ミリメートル=1000マイクロメートル(㎛)
・1マイクロメートル=1000ナノメートル(nm)

人間の目で見える最も小さいものは約0.1ミリメートルで、髪の毛1本ぐらいの太さだといわれる。細菌はその10分の1から100分の1程度の大きさで、直径は1~10マイクロメートルと、光学顕微鏡で見える大きさだ。

もっと小さなウイルスはその100~1000分の1の大きさで、直径が数十ナノメートルとなり、電子顕微鏡でなければ見えない。

原子はさらに小さく、たとえば水素原子の直径は約0.1ナノメートル(=1オングストローム〈Å〉)だ。

前置きが長くなったが、早速、電子顕微鏡でようやく見えるナノカーボンの世界に入っていくことにしよう。

グラフェン(図1右)は6個の炭素原子が作る六角形の格子が無数に結合し、薄いシート状に広がったもの。シートの厚さは約0.3ナノメートル、つまり100億分の3メートルだ。

カーボンナノチューブ(図1中央)はグラフェンのシートが筒状に巻かれたもので、チューブが一層だけの単層カーボンナノチューブ(SWCNT)と、チューブが幾層にも重なる多層カーボンナノチューブ(MWCNT)がある。図の単層カーボンナノチューブの場合、直径は数ナノメートルで、長さは数ミリにおよぶものもある。

仮に、直径1ナノメートルで長さが1ミリメートルのカーボンナノチューブがあるとすれば、その直径と長さの比率は1:100万となる。直径を1ミリメートルとすれば、長さは1キロメートル、というスケール感だ。カーボンナノチューブは日本の研究者によって発見され、日本が研究の発展に対して世界的に大きく貢献してきた分野だ。

一方、フラーレン(図1左)が、サッカーボールのような独特の形をしていることをご存じの方もいるだろう。図のフラーレン(C60)の場合、先の六角形の平面格子(六員環)20個と、五角形の平面格子(五員環)12個が結合して球状になっている。

六角形の皮20枚と五角形の皮12枚を縫い合わせるという、従来のサッカーボールの作り方とまったく同じであるところが、非常に奥深い。

ナノカーボンの優れた機能と広がる用途

グラフェン、カーボンナノチューブ、フラーレンに加え、ダイヤモンドなどを炭素同素体という。軽い炭素原子が短い距離で強く結ついて結晶が形作られているため、化学的な安定性が高い(=化学反応しにくい)、耐熱性が高い、強くて硬い、熱伝導率が高い、電気伝導度が高いなどさまざまな特徴がある。

たとえばグラフェンは「宇宙で最も薄く、最も強靭な、最も導電性に優れる材料」といわれる。ダイヤモンドを上回る硬度を持ちながらもしなやかで、柔軟に折り曲げることができる。引っ張り強さも鋼の1000倍以上あるという

カーボンナノチューブは軽くて強く、しなやかで引っ張り強さが大きいので、航空宇宙や建設を始めとするさまざまな分野で構造材料などへの応用が見込まれている。ひところ話題になった宇宙エレベーターでも、宇宙空間から地上におろすケーブルにカーボンナノチューブを使用することが検討されている。カーボンナノチューブ以外の材料では、自重に耐えきれずに切れてしまうからだ。

ナノカーボンには数々の優れた特徴があり、その用途も大きく広がっている。たとえばスマートフォンやタブレット端末のタッチパネルディスプレイなどのほか、太陽電池にも用いられる透明電極に、透明性が高く電気伝導度の高いグラフェンを応用する研究が進められている。

また、EVを始めとするエコカーにも利用されているキャパシタ(電気を蓄えたり放出する電子部品)やリチウムイオン電池の電極材料にカーボンナノチューブを応用しようという研究もある。

ほかにも、医療用のMRIに用いられる造影剤の成分をフラーレンの中に内包させて(閉じ込めて)人体への安全性を高める、カーボンナノチューブの内部に医薬品の薬効成分を内包させて標的組織に送り込むなど、ナノカーボンの用途は医療分野でも広がりそうだ。

蒲生教授が進めているナノカーボンの研究は、水素燃料電池の性能向上に大きく関わっている。これから紹介していく、ナノカーボンが作る「マリモの構造」が、そのカギを握っているのだ。

偶然から生まれたカーボンの「マリモ」

まず、ナノカーボンでできた直径約30マイクロメートルの「マリモカーボン」の電子顕微鏡写真を見ていただきたい。

国の特別天然記念物に指定されている阿寒湖のマリモが、細い糸状の藻(糸状体)が大量に集まってできているように、「マリモカーボン」も直径数10ナノメートルのナノカーボン繊維(繊維状ナノ炭素/CNFs)が大量に集まって球状になっている。

詳細は省略するが、「マリモカーボン」を作るには、粒径0.5マイクロメートル以下の酸化ダイヤモンド粉末に、反応を促進させる触媒となるニッケル(Ni)や銅(Cu)などの金属を担持(*)させ、気相合成装置という装置を用い、400~700℃の温度でメタンガスと接触反応させる 。

(*)担持(たんじ):ある反応の触媒となる物質を、「土台」となる物質の表面に固定化すること。その土台となる物質を担体(たんたい)という

すると、ダイヤモンド粉末に付着した触媒金属の粒子から、繊維状ナノ炭素が「タコの足」のように枝分かれして成長するのだ(写真参照)。

「マリモカーボン」が発見されたのは、偶然のことだった。

蒲生教授はもともと、ダイヤモンドの表面やダイヤモンドの合成に関する研究を専門にしていた。たとえばダイヤモンド粉末を真空中で高温に加熱し、ダイヤモンドの結晶表面にどんな物質を付着させて反応させると、どんな変化が現れるかなどの実験を行っていた。

そうしたなか、反応で得られた物質の表面を電子顕微鏡で観察したところ、ダイヤモンド粉末の表面に付着した触媒粒子から、先の写真のように、繊維状ナノ炭素が何本にも枝分かれしているものが見つかったのだ。

「なぜだろう?」

1個の触媒粒子からナノカーボンの繊維が何本も枝分かれして生えてくる現象は、非常に興味深かった。

そこで、どんな触媒をダイヤモンド粉末に担持させ、どういう環境や条件下で反応させれば、この「ダイヤモンド―繊維状ナノ炭素複合体」を効率よく合成できるのかを研究し始めた。

無数の触媒粒子から生えてきた、ナノカーボンの繊維が大量に集まってできた複合体の姿は阿寒湖のマリモに似ていた。そこから「マリモカーボン」という名前がついたということは、先に記した通りだ。

蒲生教授は2003年から、「マリモカーボン」の合成に関する研究を本格的に開始する。まもなく製造法を確立し、「マリモカーボン及びその製造方法並びにその製造装置」に関する特許を、同僚の研究者たちと取得(2005年に特許公開)した。

この「マリモカーボン」が持つ構造が、現在の水素燃料電池が抱える課題を解決する1つのカギになると期待されているのだ。

――中編に続く――

 

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