48歳法務奮闘記

第13回

AIによる契約書レビュー - 前編

パケットファブリック・ジャパン株式会社  間庭 一宏

 

 社名を「PacketFabric」に変更した。実は僅か1年前にも社名変更したばかりではあるが、今回のそれは米国親会社の資本構成の変更という大人の事情からである。これに伴い、我らが法務部は印鑑作成登録に定款変更、登記やらと忙殺され、私も何度となく法務局まで足を運ぶのを余儀なくされた。しかし面倒事ばかりではない。新たなNaaSサービスの日本展開が予定されており、その準備で社内は俄かに活況を呈している。マーケティング部では、それに合わせて今より洗練されたランディング・ページを作ろうと張り切っており、そのためのWeb制作業者の選定を進めていた。

 そのような折、マーケティング担当のピュー社員より、法務担当メーリングリスト宛に1通の急ぎの依頼が飛んだ。ちなみにこのメーリングリストには、法務担当の裏ボスである当社のCEOも入っている。「法務へ♡。新サービスのNaaS用ランディング・ページ制作を、私達が見つけたプロの新しいWeb制作会社に頼みたいです。契約書が向こうから送られてきたので見てもらえますか?お願いします。」

 ピューはミャンマー出身である。当社の通例に従いネットワーク・オペレーション・センターにIT業界未経験者として採用されたのがかれこれ5年前である。その後絵、音楽、写真、デザインと、そのアーティスティックな才能が周囲の目につくところとなり、いつの間にかマーケティング担当になっているのである。いまだに日本語での意思疎通が若干難しい部分があり、言っていることが理解されず何度も聞き直されることも多いのだが、本人はこれを全く意に介さず、周囲の者を巻き込みながらやりたい道を突き進んでいく強靭さがある。そのピューたっての依頼である。言わずとプライオリティ・高である。実は私はWeb制作の契約書のレビュー経験はなかったのであるが、そんなことに気を遣うピューではない。そればかりでない。パーティション越しに笑顔で「間庭さん。早くね」とプレッシャーをかけられてしまった。同じく法務担当のYK社員も同じメールを見ている訳であり、どうやら新社名で生まれ変わった我が社の運命もかかった重大な契約書なのだそうであるから、私は大いに気負って第一条から音読を始めた。

 「ランディング・ページ制作委託基本契約書」…ふうん、Web制作って業務委託なんかね?まず、お互いの社名があって、対象業務はランディング・ページの制作だな。それで、納品されたら、こちらで検収を行う…うん、いいね。と、私の席のパーティション越しにCEOの不満そのものである大きな嘆息が聞かれた。

 CEO:「ハア。。ピューちゃん。ここと契約しなきゃダメなの?この契約書、最悪だよ。コメントすると全面、修正記録で真っ赤になるよ。だいたい、こういう会社は、碌な仕事しないんだがな…」

 メールが届いて2、3分しか経っていないが、CEOはもう契約書を見抜いてしまったようである。 対するピューは、いつも豪も動じることがない。

 ピュー:「うん、ここしか、できない。ここ、ランディング・ページ、プロですね。」

 CEOは再び大息し、こう、投げ捨てるように言い放った。

 CEO: 「プロ?ほんとかね。でも、ピューちゃんがそういうんじゃ、仕方がない。まず、こう返して。著作権はこっちによこせって。あと、著作者人格権も行使するなって」

 CEOが問題視しているのは、この条文である。

第10条(著作権・危険負担)

1. 乙が本業務に基づいて制作した著作物に関する著作権,制作過程における発明に関する特許権その他の知的財産権は,全て乙に帰属する。

2. 乙は,甲が本件制作物を運用するに当たり必要な限りにおいて,前項の著作物に関する著作権(著作権法第27条及び第28条に規定される権利を含み,プログラムに関する著作権及び乙以外の者が有する著作権は含まれない。)について,甲に対し,本件制作物が原型のまま存続している期間において,その利用を許諾する。尚,この利用許諾は,乙が甲に対し専用利用権を設定するものではない。

 ピュー:「奥野さん、著作権、欲しいの?ちゃんと使わせてくれるって書いてありますよ」

 CEO:「いやいや、そもそもが違うんだよ。これ、うちのホームページでしょ。著作権はうちに譲渡するに決まってるじゃない。そうじゃないとマーケで使うのに、ちょっと直し入れるのにもいちいちここの了解取らなきゃいけなくなっちゃうでしょ。ちなみにそれで終わりじゃないからね。それが飲めるんなら、契約書の他の部分にもコメントする。真っ赤になるよ。真っ赤。」

 ピュー社員はこれにいささかご不満なようで、CEOに食い下がる。

ピュー:「他の制作会社の契約書も著作権くれる?」

 CEO:「普通はね。だってそうでしょ?素材もみんなこっちが出すわけだよね。これ、うちのホームページだよ?制作会社が著作権持ってて何の意味あるの?悪いことするとしか考えられないよね。。」

 ピュー:「悪いことはしません。いい人。凄いスキルだよ、やりたがってる。九州にありますね」

 CEO:「九州ね…。ピューちゃんね、これは契約書なんて呼べる代物じゃないんだ。ただ、思い付きを書いただけの幼稚園児の作文なんだよ。何も分かってないだけで悪いことはしないのかもね。でも、私のこれまでの経験上、こういうマガイもんを出してくる事業者がまともな仕事をした試しはないんだよ。それでも、ピューちゃん達がそこまでいいというなら、チャンスをあげよう。著作権をちゃんと当社に譲渡して、且つ著作者人格権も行使しない、ということに同意するなら残りの契約書全体にコメントしてあげる。まあ、多分先方には理解できないから飲まないだろうけどね。でも、チャンスだけはあげるよ」

 ええ幼稚園児の作文!?いやあさすがにそこまでひどくはないでしょう、と私がピューの援護射撃にと席を立つと、既に交戦モードに入ったYKを見出した。「これって、具体的にどこがそんなにヒドいんでしょうか?」とYK。

 CEO:「これは、契約書の形になってないんだよ。リズムがなってないリズムが。だいたい、タイトルからして請負契約になってないじゃない。これは、委託契約じゃない、請負契約だよ(契約書を覗いたCEOの顔色が一瞬で曇ったのは、これであったか)。契約書のタイトルが有効性とは無関係とは言っても、そこからリズムずれちゃってるから。委託契約と請負契約じゃ、書かなきゃいけない内容もリズムも全然違うんだよ。なので、まあ、委託契約でもないけどね。ただの幼稚園児の日記」

 リ、リズム?請負と委託にリズムがあるのか。その回答では私もYKもまったくもって納得いきませんが…とCEO席横に居座っていると、CEOはさも大儀そうに口を開いた。

 CEO:「じゃあ、この第3条(納品)のとこに甲は、『インターネット上にてその確認を行なうものとする』ってあるけど、これどういう意味?こういうの見ると、ホント、イライラするんだよね」

 ここがCEOのキレ・ポイントなのであろうか?納品、つまり検収であるが、インターネット上で検収することの何がいけないのか。今日ごくごく普通に行われていることである。

 YK:「完成したHTMLファイルをどこかにアップロードするから確認してください、ということじゃないですか?」

 CEO:「ですか、って私は知りませんよ。ほんと、意味わからない。インターネット上ってどこ?インターネットってそもそも何?どこかのクラウドにでもアップロードするの?それとも社内のファイルサーバーでは?メールはだめなの?FAXは? IP-VPNは?ダウンロードしちゃいけないの?」

 YK:「それを細かく書かなくちゃいけないということでしょうか?」

 CEO:「場合によってはね。それが、そんなに大事なら。…でもね、そもそもこんな条文自体が要らないんだよ。契約書っていうのはね、一言一句全て意味を持つんだよ。インターネット上で検収するとわざわざ書く意味って?第一に思いつくのはダウンロードするなってこと。あとは、持参、もしくは郵送、FAXしないってことなんだよね。そのコストを事業者はかける義務がないということ。でも、それがそんなに大事なら、もっとはっきり書かないとだめ。インターネット上で検収なんて言うのは、まったくもって意味不明なんだよ。それに多分これ、思いついたから書いただけなんだよね。『インターネット上』というワードが嬉しくてしょうがなかったんだろうね。なので幼稚園児。特別の意図も意味もない。お話しにならないよ」

 分かったような分からないような、という表現がぴったりな感慨であった。その横で、ピューは既に付き合いのある制作会社に電話をかけ、直球ストレートに「普通、著作権ってくれますか?」と聞いている。ピューからこのように前提や話のコンテクストの説明一切なしにストレートに聞かれて、逃げおおせた者はいない。存在感が、違うのである。例えば当社のミュージック・ビデオでは衣装とコーラスを担当したが、「コーラスの方、プロのモデルさんですか?」と聞かれることがしばしばある。今回も質問を受けた側からすると唐突極まりないであろうが、程なくして「普通は著作権は譲渡しますね」という回答が得られた。

 そして本件の顛末は、CEOが予言した通りとなった。制作会社から著作権は渡せないと返事があり、破談となった。Web制作会社が著作権を渡さない理由として挙げ連ねたのは、この理不尽な条文のオウム返しであり、つまりまったく要領を得ないものであった。私はピューに「ここ使えなくても大丈夫?」と大人の気遣いを示してみたが、ピューはというと「うん。もともと、あそこ、凄い会社だって口で言ってただけで、証拠も何もなかったから、いいの。私が作った方が絶対いいものできるし。自分でやる。」とやはり動じない。こうしてこの件は一件落着を見た。

 しかし、である。 「契約書の形とリズム」とは?なぜ、CEOは、2、3ページの短い契約書とはいえ、ものの3分でレビューし、その欺瞞を見抜けるのか? CEOが一瞬で見抜いたそれを、私が丸1日かけて熟読して、なぜ見抜けないのか。否、一生かけても見抜けないかもしれない。現在の私の学習方法、つまり我妻榮先生のダットサン民法と法務クラス、そして日々の実務では、限界があるのは明らかであった。何か、一気に私を高みに連れて行ってくれる斬新な方法が必要であった。

 こんな境地の私がArtificial Intelligence (AI)の力を借りようと思い立ったのは自然な流れであった。何せ、私はIT技術畑の出身である。IT技術の最先端であるAI技術に恃むところは大きい。私の日々の筋トレメニューなどもAIに作らせておる程である。AIであれば、きっと法務担当として道半ばの私の良きアドバイザーとなってくれるであろう。ところで法務とAIを掛け合わせたものを「リーガルテック」と呼び、既に市場には実用化されたサービスが出回っている。



 翻ってCEOであるが、数年前に趣味の囲碁でAIが世界のトッププロを打ち破った時はその将来性を熱く語っていた。その後、生成AIが出てくると、当社の中で一番先に先述のピューがChatGPTとお友達となった。 するとCEOがこれに飛びついた。ピューのChatGPTに、アカギや赤塚不二夫の名言について「これはどういう意味か?」と質問し、返ってくる回答を見ては「これは、小学年低学年程度の知性だ」とすっかり幻滅していた。最近では、娘さんがChatGPTにドラフトさせた大学の課題である英文メールを見て欲しいと頼まれ、その出来が添削できるレベルにすら達しておらず大いに呆れたとか。直近の例ではどこからか「客にタメ口をきいたら料金を倍にしますという張り紙をしている店があるらしいけど、これって有効?」などと、どこかの炎上ネタを仕入れて来、性懲りもなくピューのChatGPTに質問したところその答えに落胆し「なんだ、これは。ポイントの付けようがないじゃないか。0点だ!」と大いに息巻いておった。つまり、CEOはすっかりアンチAIなのである。最近はアンチが更に昂じて「まったく、このコピペ専門の薄っぺら野郎が。何が言いたいのかさっぱり分からないんだよ。使えない奴め」と、これは最早パワハラ発言を繰り返している始末である。だったら聞かなければよいに…。

 先ずは、そんなアンチAIのCEOを開眼させなくてはならない。それにはリーガルテック製品を試すのが一番である。それも、CEOの目の前で、である。CEOの言うところの「幼稚園児の作文」を、リーガルテックにレビューさせるのである。そこでリーガルテック企業社数社にお試しで契約書レビューをさせて欲しいと打診したところ、いずれもご快諾いただいた。

(後編へ続く)

イラスト作者: パケットファブリック・ジャパン技術部VP 吉川進滋


ピュー社員と


 

プロフィール

パケットファブリック・ジャパン株式会社
事業戦略部長 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエン ジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
パケットファブリック・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。
2024年3月29日、パケットファブリック・ジャパン株式会社に社名を変更。


Webサイト:パケットファブリック・ジャパン株式会社

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