48歳法務奮闘記

第11回

我が社の法務クラス - 前編

パケットファブリック・ジャパン株式会社  間庭 一宏

 

「間庭さぁーん。A社の入金が遅れるそうです。今S銀行で障害が発生してるみたいです。障害復旧次第入金いただけるそうですが、障害が長引いても銀行のせいなんだから延滞金は発生しないよね、とおっしゃってます。その通りですよね」

ある日のこと、YK社員が私に「一応」との体で確認を求めてきた。YK社員はそのバイリンガル能力と驚異的な事務処理能力を買われ、サポートセンター部署から私の所属する事業戦略部へ異動してきた若手社員である。経理、事業推進その他もろもろをあっさりとこなし、さらに時間が余るからと、私と同様未経験で法務の道を歩んでいるのである。私自身法務修業中の身でありながら、初の弟子ができてしまったわけであるが、こちらもセンスの良さといったらなく、油断をしているとすぐに追い抜かれそうである。

間庭:銀行障害か。でもA社さんは信頼できるから大丈夫。銀行障害が復旧したらすぐ入金してくれるよ。

YK社員:障害が長引いても延滞金は免除してあげていいですよね。

間庭:うん、もちろん免除だね。A社さんの責任じゃないし。

自席で気持ちよさそうに居眠りをしていたCEOが、この会話に俊敏に反応して、「んっ」と眠そうな声をあげた。たとえうたた寝中であっても、彼のリーガルマインド脳の部分だけは潜在意識下でその活動を止めず、オフィス内を飛び交う会話の中から、重要な論点のあるそれだけをふるいにかけているようである。

CEO:んっ?銀行の障害だからってさ、それ、うちのせいでもないわけでしょう。なんで、うちが損しなきゃいけないの?

私もYK社員も、あっけに取られている。この状況下でお客様であるA社に延滞金を請求するなど、萬田銀次郎も牛島君も敢えてせぬであろう悪逆非道ではないか。この人、やはりどこか人間的に欠落しているものがあるのではなかろうか。当惑してCEOのキュービクルに馳せ参じ、2人で上からのぞき込むとCEOは椅子に深々リクライニングしていまだ目を閉じたまま、相変わらず夢見心地である。夢見心地ではあるが、しかしその指摘は鋭かった。

CEO:うちもA社もどっちも悪くないんでしょう。双方に帰責事由なし。だけど、A社は債務を履行できないんでしょう。これはさ、危険負担の問題なんじゃないの?原則は、危険債務者主義なんだからさ。延滞金は当然に免除なんて軽いノリで決めちゃうのは、リーガルマインドじゃないね。

それだけぶっきらぼうに言い放ち、今度は本当に眠りに落ちてしまった。常識で考えていた我々に不意にあびせかけられた、帰責事由、債務の履行ができない、危険負担といった法律用語の連射に、たじろぎながらもとにかく我々は勇んで体勢の立て直しに取り組んだ。その結果衝撃の事実を発見した我々は、小躍りしてCEOを揺り起こした。

CEO:何?

間庭:民法第419条。金銭の給付を目的とする債務の不履行については、その損害賠償の額は、債務者が遅滞の責任を負った最初の時点における法定利率によって定める。ただし、約定利率が法定利率を超えるときは、約定利率による。

CEO:あー、さっきの話ね、まだ、やってたの。そんなの当たり前じゃない。Yちゃん、それで危険負担はどうなるの?

なんとCEOは私を飛び越して弟子のYK社員に問いかけた。そうはさせじとすかさず師匠が回答する。

間庭:債務者の負担です。

CEO:ふーん。その民法419条に、他に何か書いてなかった?

YK社員:それが、同条3項に第1項の損害賠償については、債務者は、不可抗力をもって抗弁とすることができないって書いてあるんです。つまり、今回A社は延滞金を払わなければいけないってことなんですか?

CEO:みたいだね。まあ、あんまり納得感のある法律じゃないから、大事なお客さんにはやみくもに適用できないけどね。まず、法律はそうなんだということはお客さんにも分かってもらわないといけないんじゃない?なぜ、法律がそうなっているかってどこかに書いてあった?

間庭:つまり、高度に社会インフラが発達したこの世の中では、たとえ地震で東京が壊滅的なダメージを受けても、送金できませんとは言えないということですね。たとえS銀行が使えなくても、どこかしら別の銀行窓口へ行けば送金できるだろう。銀行システム障害は言い訳にならない。

CEO:まあ、もっと単純に持ってけばいいじゃんってことなんじゃないかな。とにかく法務は「当然」とか「常識的に」と相手が言ったときは、常に疑はなきゃいけないのよ。そういうのが一番怪しいわけ。常に法律はどうなっているか?に立ち戻らなければいけない。

実に、その通りである。ここに至って、我々は初めて納得した。それにしてもビットが立つべき時に、ビットが立たないのは困ったものである。私もYK社員も日々勉強に励んではいるものの、やはり法律の世界は渺として果てしない。

CEO:ところでさ。二人とも勉強してるって言うけど、どんな勉強してるの?

YK社員:間庭さんからお借りした『伊藤真の民法入門』を読みました。

CEO:あー。あれは分かりやすいでしょう。

間庭:私は伊藤先生の本は卒業して、今は我妻榮先生のダットサン民法4版読んでます!版を重ねるたびに榮先生のオリジナルな執筆箇所が加筆修正されてくようですが、間庭は楽しんで読んでます。

CEO:ダ、ダットサン民法…?

我妻先生というのは、民法の父と呼ばれる大先生である。その本のまとまり方、パワフルさが日産のダットサンに似ているというところからこの愛称がついたという。CEOも若かりし頃、このダットサン民法を手に取ったことはあるらしいが、すでにその時我妻先生は他界しておられ、その本で勉強したということではないらしい。


CEO:なんか、懐かしいね。あれ、まだ、あるんだ。うーん、間庭さんがすっかりダットサンを気に入って読んでるのは、まあ、やり過ぎとは思うものの止めないけどさ、法律の勉強というのは本を読んで知識を溜め込むだけじゃだめなんだよね。

間庭・YK社員:といいますと???

CEO:法律を、実際にケースに適用するトレーニングをしないといけないわけよ。

法律を適用…。分かったような分かってないような二人に、CEOは続けた。

CEO:そう、誰かと誰かが契約したんだけど、これってそもそも契約は有効か、みたいなことを、そのダットサンに書いてある民法の条文や法理に照らして決めていくわけ。リーガルマインドがないと、今回の件みたいにすぐ常識的にとか、感情的にとか、あるべき論になっちゃうじゃない?それでは全くだめなわけ。

間庭:なるほど。適用力を身に着けるんですから、やはり裁判を傍聴に行くとかでしょうか?本コラムシリーズを書くための事前勉強で、一度だけ傍聴してきました。

CEO:いやいや、わざわざ裁判傍聴しなくても、事例問題を解くわけよ。だけど、初心者向けの事例問題集なんてあるのかなぁ。いきなり司法試験向けの問題集っていうのも無理があるしねえ。

YK社員:実用法務検定試験っていうのならありますけど。3級からありますよ、問題集。

CEO:あー、あれね。2級までは誰でも取れちゃうみたいね。4択問題ばかりなんでしょ確か。似たような問題しか出ないし、ちゃらっと問題集やれば要領のいい人は受かっちゃう。でも、2級保有者が実際に法務できた試しはない。まあ、それはどの資格試験も一緒だけどね、英検も日本語検定もさ。1級以外はまったく使えない。少なくとも、ダットサン読んで我妻民法哲学に溺れてたら、まあ受からないよねぇ。でも、実際の仕事では点を取るための要領の良さより、ちょっと狂った思い込みのある方ができたりするからね。資格と仕事力は、むしろ反比例するんだよね。

間庭:では、一気に1級の問題集はどうでしょう。

CEO:そうね。一応1級になると事例問題も出ていて、筆記になるからかなり実践的なんだ、とは聞くけどね。しかもなかなか受からないみたい。いいんじゃない?まあ、確かに1級に受かる人は仕事もできると聞いたことがある。何か1級のサンプル問題みたいの、ない?

YK社員:ウェブにチャレンジ問題が公開されてますね。1級もあります。

CEO:いいね、ちょっとやってみようか。

以下が東京商工会議所の公式テキスト・学習サポートの「問題にチャレンジ!」である。少々長くなるが全文を引用させていただいた。CEOは目が悪いため、こんな時に問題文を縷々と読み上げるのは私の役目である。

* * * * * 

 X社は、大手の総合電機メーカーである。また、Y社は、X社の子会社であり、情報通信機器の製作・販売を行っている。X社は、人事交流のため、数年前から、Y社に社員を出向させている。X社とY社は、「出向契約書」を取り交わしており、Y社への出向を命じられた社員(以下、「出向社員」という)はX社の社員としての身分を有したままX社を休職して出向すること、出向社員はY社の就業規則等に従うこと、給与はX社の基準によりX社が支給すること、出向社員に対する懲戒処分はY社の人事考課を基礎としてX社が行うことが規定されている。

 Aは、平成26年4月1日付けで、Y社総務部から営業部に異動した男性社員(32歳)である。Bは、X社の営業部に勤める男性社員(45歳)であるが、同日付けで、Y社の営業部長として出向を命じられた。Aは、接待等で帰りが遅くなった日の翌日などは、いつも寝坊してしまい、同年夏頃には週1回程度遅刻するのが常態化していた。

 ある日、始業時から営業会議が予定されていたが、Aは、朝になって突然腹痛を起こしたため、会議に30分ほど遅刻してしまった。Aは、Bから再三再四「遅刻するときは始業前に必ず連絡するように。」と言われていたが、遅刻が多く電話しづらかったため、電話連絡をしなかった。なお、Y社の就業規則には、遅刻する場合に事前に連絡しなければならないという規定はない。

 ①Bは、営業会議終了後、Aを別室に呼び、一対一で、「この2ヶ月、毎週のように遅刻しているが、どういうことだ。遅刻する場合は、必ず始業時刻前に電話してくるように言っているのに、ほとんど電話もかけてこない。そんなことでは社会人として失格だぞ。」と、約10分にわたり厳しく叱責した。そして、「遅刻しないように体調管理に留意することや、万が一遅刻する場合は始業時刻前に電話連絡するよう改めることを内容とする反省文を、メールで昼休みまでに私宛に送ってきなさい。」と、反省文の提出を求めた。Aは、反省文など書きたくなかったが、Bがかなり苛立っていたことから、仕方なく提出した。

 一方、Aは営業部に異動したばかりだったので、同じ部内で営業経験の長い同僚のCに営業ノウハウを教えてもらっていた。Cは、最初こそ、同僚のAに親切に対応していたが、営業下手なAに次第に嫌気が差すようになった。

 ②ある日、Cは、Aから、「Z商事との取引がなかなか成約に至らないのでどうすれば良いですか。」とアドバイスを求められたので、「人を頼るのもいい加減にしてください。自分で考えることもできないなんて新入社員以下ですね。皆、Aさんのことを『会社のお荷物』と呼んでいますよ。」というメールを返した。その後、Cは、Aに会う度に「よう、お荷物さん。」と呼んで、周囲の人がいる前で終始馬鹿にした態度をとり続けた。Aは、このようなことを言われ傷ついたが、頼りになる人間がCしかいないので、気にしないようなそぶりをしていた。

 Aが営業部に配属されてから1年が過ぎても、Aの営業成績は一向に上がらなかった。それにもかかわらず、Aは商談が成約しないことについて、Bに言い訳ばかりしていた。そこで、Bは、Aの奮起を促す目的で、「意欲がない、やる気がないなら、会社を辞めるべきだと思います。あなたは会社にとって損失そのものです。あなたの給料で業務職が何人雇えると思いますか。あなたの仕事なら業務職でも数倍の実績を挙げますよ。」と記載された電子メールを、A宛てに送信するとともに、CC(副送信)で職場の同僚全員に送信した。

 その後、Bは、Aに対し、「仕事ができないのは、ネクラのせいだ。もっと明るい顔をして仕事をしろ。」などと、毎日のように嫌味を言ったり、営業成績が上がらないことについて、皆の前で起立させたまま大声で叱責するようになった。

 Y社は、パワーハラスメント(以下、「パワハラ」という)に関する行動基準を定めておらず、Aから、BおよびCの一連の行為について相談を受けたにもかかわらず、特別な措置を講じなかった。Aは、Bの一連の行為による精神的ストレスによって、ひどい耳鳴りと嘔吐等の症状が生じ、平成27年10月1日付けで退職した。その後、通院治療を行っているが、精神的ストレスが持続しているため、未だ耳鳴り等が治らず、仕事に就くことができない状態にある。なお、Aは、これまでこのような精神的疾患に罹患したことはない。

下線部①および②の各行為は、パワハラに当たるか。パワハラとはいかなる行為かを述べた上で、①および②の各行為がパワハラに該当するか否かをそれぞれ、具体的に説明しなさい。【第38回 共通問題第2問1】

東京商工会議所 ビジネス法務検定試験 公式テキスト・学習サポート 「問題にチャレンジ! 1級」より抜粋

URL: https://kentei.tokyo-cci.or.jp/houmu/support/challenge/example_01.html

* * * * *

CEO:はい、じゃあ音読しながらくすくす笑ってた間庭さん。どう思う?

間庭:②の「よう、お荷物さん。」発言は断然、パワハラでしょう!私だったら「おはようございます、お荷物が届きました!」なんて自ら挨拶して切り返すところですが、問題文のAさんはそんな神経の強さはなさそうです。でも①のお仕置は、至極もっともだと思うな。私が部長のBさんだったとしても、同じお仕置きをするでしょうね。そもそも遅刻常習犯の時点で社会人失格ですよ。朝5時には自然に目覚めてジムで汗を流してから出社する習慣の私には、信じられないですね。総合的に、Aさんが悪い!

CEO:いやいや、それ、問題文と全然関係ないから…じゃあYちゃんは?

①は別室に呼んでるし叱責の内容も業務上適切なので問題なさそうですが…②はわざわざ同僚全員をCCしたり、みんなの前で叱責したりと度を越えている感じがしますね。

CEO:ふーん。じゃあ、二人ともさ、この問題の論点はわかる?

間庭・YK社員:論点ですか?

CEO:そう、論点。法律問題というのはね、まず、論点をPick Upすることから始まるわけ。実際の仕事でも、論点を的確にPick Upできないと先に進めない。それがYちゃんのいう、ビットが立つということだよね。さっきの延滞金の問題なら、先ず、これは危険負担の問題だ、とこうこなくちゃいけない。そうしないことには、それを調べることもできないから。

間庭:うーん、論点ですか。この問題の場合、悪い人は誰か?ということでしょうか。パワハラって、パワハラされた側が嫌な思いをすれば、それは全部ハラスメントなんだっていいますよね。

CEO:確かにそんなこと言ってるハラスメント退治コンサルタントをよく見かけるよね。でも、小学校の道徳じゃないんだからさ。パワハラの定義って分かる?

間庭・YK社員:定義!?パワハラに定義があるんですか!?

CEO:この間までは無かったんだけど、今はあるんだな。2人ともいわゆるパワハラ防止法というのができたのは知ってるかな?

間庭。・YK社員: …


最後までお読みいただきありがとうございました。次回はこのパワハラ問題の結末と、その後開始したビジネス実務法務検定試験1級テキストの問題を題材にした、当社法務クラスの模様をお届けします。当社CEOが、問題集に書かれてあることをそのまま有難く頂戴する筈もなく、予想外の展開が待っています。乞うご期待!

なお、本コラムに出てくる問題の回答はネットに出ています。ご興味のある方は読まれてみてはいかがでしょうか。





イラスト作者: ユニタスグローバル技術部VP 吉川進滋


 

プロフィール

パケットファブリック・ジャパン株式会社
事業戦略部長 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエン ジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
パケットファブリック・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。
2024年3月29日、パケットファブリック・ジャパン株式会社に社名を変更。


Webサイト:パケットファブリック・ジャパン株式会社

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