48歳法務奮闘記

第7回

転生 – 夜明け前

パケットファブリック・ジャパン株式会社  間庭 一宏

 

当社はこの数年間、死線をさまよっていた。日本海の荒波に翻弄される、一艘の小舟のように。資本論に描かれた資本の原理は、見事なまでに当社を呑み込んだ。そして、今年の5月、漸く全ては決着した。もう、死線はさまよわない。当社は明るい未来の陽光に包まれたのである。この社の一大事に一法務担当として臨むにあたり、実務そっちのけで買収劇の舞台裏をばコラムのネタにしてやろうと、私がほくそ笑んだのは想像に難くないであろう。


今年5月初旬に、我が社の親会社が変わった。本コラム執筆時点ではまだ決まっていないが、いずれ社名も変わるという。まさに我が半生に於ける初めての企業買収なのであるが、今回の買収事情だけをちょろっと書き綴っても、買収劇の舞台裏で翻弄される迷惑感は、到底描き切れまい。何せ、一艘の小舟なのだから。事の事情は私をして、過去数年間に渡る当社の歴史を語らしめるのである。


当社の買収劇の歴史は長い。2001年に米国InternapグループとNTTグループの合弁会社としてスタートし、設立当初は水と油だなどと小競り合いしながらも長らくやってきたのであるが、2017年に突然両株主から当社の株式売却意図が表明された。戦略という名の下に壮大なる空想の城を築き、築いた上で現実との整合性を取ろうとする日本側の株主と、刹那的な目先の都合を押し通そうとする米国側の株主の、両者の意図が奇しくも一致した。水と油が溶け合った。つまり、当社としては売られる以外、にっちもさっちもいかなくなった訳である。



当社を売る、という点では一致を見たものの、その具体的な準備フェーズに入ると同時に両者は水と油に分離した。当時はまだ法務を志す前の、一介の技術屋であった私の頭上を、ライセンス・エスクローや株主間契約におけるデッドロック時におけるプット・コールオプションといった聞き慣れない用語が飛び交った。CEOはと言えば、変な会社に買収されないようホワイトナイト探し、さらにはポイズンピル導入の検討と八面六臂の働きをしていた。穏やかならぬ雰囲気の中、私は法務というものに興味を持ち、これらの用語をやたらググったのを覚えている。


戦闘局面は一夜にして一変した。米国株主の経営陣が、忽然として総入れ替えになったのである。CEOがこの好機を逃す筈がない。新しい経営陣は、それまでの流れを何も知らないのだから。真っ白な画用紙は、CEOの自由なお絵描きで彩られていった。まずCEOは米国本社側の新CEOの右腕である、ゼネラル・カウンセル(法務担当役員)に照準を定めた。そしてCEOは当社を保持し続ける意義を説いた鋭いメールを発射した。それは、行間から日本刀が飛び出してくるかと思われる程、真に迫っていた。更にCEOは、ニューヨークの空港でフライトまでの時間をくつろいでいた彼を電話で急襲した。CEOはフライトを人質に、当社を保持し続けるよう敢然と迫った。これで状況は180度変わった。米国本社の株主が、日本側の所有する株式をすべて取得し、当社を完全子会社するという合意に至ったのである。


さっそく米国から前述のゼネラル・カウンセルと、その友人と称するやや疑義の残るインベストメントバンカーが来日し、NTT本社をゲリラ的に襲撃した。どうも米国本社側が株主間契約に書いてあることとは違うことを要求し、それに対して日本側の株主は断固契約通りの取り扱いを主張しているようであった。要は、米国側の株主は決算発表に間に合わせたいのである。前述のインベストメントバンカー先生がここぞとばかりDCF法で当社の企業価値の算定など披露したが、日本側の株主は取り合わない。


かくの如く両株主の主張がぶつかり合う中、当社のCEOはと言うと、この激流の中に立ち何ら臆することなく、両者を時にはなだめ時にはすかし、とにかく完全子会社化計画が空中分解せぬように采配を振るっていた。実はこの米国親会社による完全子会社化は、当社にとって生き残りのためのラスト・リゾートだったのである。この時失敗していたら、私は本コラムを書いておらなかったかも知れない。


最終的に、日本側株主から米国側株主へ段階的に株式を移転していくということで落ち着いた。そうして2019年のクリスマスの日に、晴れて当社は米国親会社の100%子会社となったのである。この辺りからそろそろ私も法務見習いとして法務局へ登記などに訪れ、書類の不備でやり直しを喰らい、それでも法務の実務に携われる幸福感から、スキップでオフィスと法務局を往復したことを記憶している。


さて米国親会社の完全子会社として安泰に年を越したのも束の間、2020年3月にその米国親会社が米連邦破産法11条(Chapter 11)を申請した。…そういえばこれに先立つ月例のfinance会議で、米国側の担当者が「いやあ、loanのrefinanceが大変でさ」とこぼしていたのを私は思い出す。企業再生の過程で米国親会社はナスダック上場を取りやめ非公開会社となった。


またしても経営陣が刷新された。今回の経営陣は企業再生に長けているようで、新たに複数の世界的に有名な投資ファンドをば資本パートナーとして迎えることに成功した。我々は不死鳥の如く、優良会社として再び日の目を見た。当社は新生INAPグループの中でも優等生子会社として高く評価され、もはや誰も我々日本法人の売却について語るものはいなくなった。少なくともその筈であった。


イギリスの有名な投資バンクR社がにわかに登場してきて、我々日本法人を売るのだと、すっかり忘れていた売却話を墓の中から掘り起こしてしまったのは2021年も夏の頃であった。…どうも、このコンサルタントという輩が空想戦略を描き、往々にして人をして惑わすようである。そして我々を想ってくれているという会社が数度現れ、そのたびに会社説明などもしてはみたが、いずれも恋は成就せずに終わった。CEOはというと、今回の売却話に対しては阻止するのではなくむしろ前向きであった。ただ、インドのソフトウェア開発会社の名前が買い手として挙がった時だけは大いに眉を顰め、CEOと私と、このコラムにも登場している営業マネージャー(現営業部長)と連れ立って、そのインド会社の日本法人を敵情視察した程である。




それにしても当社のCEOは、こうしたコンサルタントであろうと投資バンカーであろうと、彼らが世界的に有名であろうと、臆することなく、かつ難なく交渉する。それどころか、明らかに言葉巧みに自分の思惑通りに誘導していく。それも、全て英語で、である。若い時から実践で鍛えていると、年を取っても衰えるどころかそれが岩盤の如く礎を成す。コンサルタント達の持ちネタも次第に尽き、買収もされず年を越し新年を迎え、再び平穏な日々が我々島国に訪れた。我々は買収話を、静かに元の通り墓の下に埋めた。少なくともその筈であった。


コロナ禍もやや収まり、神田の夜に酔っ払いの姿が戻って来た。ある日CEOが社員数人を引き連れてオフィス前の飲み屋に行くのを見送った私は、一人オフィスで残業していた。すると、ものの30分でCEOがオフィスに舞い戻って来た。「あら奥野さん忘れ物ですか」と聞いても耳に入らない。自席に直行し、そそくさとTeamsを立ち上げ、英語で会議が始まった。米国本社とのようである。厳粛な雰囲気である。しばらくするとすっくと立ちあがり「決まったって。Unitas Globalっていう会社らしいよ」と言う。ええ!?決まった!?聞くと、乾杯の直後に米国本社からメール通知があり「売却先が見つかった、少し話せないか」ということだったのである。そればかりではない。CEOは米国との重大な会話を終えると、そそくさと飲み屋に戻って行ったのである。この状況でもまだ飲むか、という驚愕と、あまりの事の唐突さに私はしばらく自席で唖然としていた。


次回も引き続き、企業買収劇の舞台裏をご紹介していきます。お楽しみに!


イラスト作者: INAP Japan 技術部長 吉川進滋


 

プロフィール

パケットファブリック・ジャパン株式会社
事業戦略部長 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエン ジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
パケットファブリック・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。
2024年3月29日、パケットファブリック・ジャパン株式会社に社名を変更。


Webサイト:パケットファブリック・ジャパン株式会社

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