48歳法務奮闘記

第9回

転生 – 最後の配当1

パケットファブリック・ジャパン株式会社  間庭 一宏

 

ここまでのあらすじ

この数年、話が持ち上がる度に花火の如く派手に打ち上がるものの、夜空に閃くことなく立ち消えることを繰り返してきた当社の売却話が、遂に現実となった。売却先は、米国の新興ネットワーク事業者であるユニタスグローバル社(UG)である。このディールを取り仕切っているのはその親会社の投資ファンドであるデジタル・アルファ社(DA)である。我々にとって心強いのは、売却されるのが日本法人の当社だけではなく、米国親会社INAP社のネットワーク事業全体であることであった。これまで共に苦境を凌いできた米国の多くの仲間達が、共に新天地に移転することとなった。UG側も我々を大歓迎してくれ、友好的な買収であった。特に経営層は、日本に我々のような仲間ができることを大いに喜んでくれている。これは願ってもない話であり、万事スムーズに完遂させたい。…そんな矢先、難題が持ち掛けられた。DAが、当社の株式を買い取るシェア・トランスファーではなく、資産を買い取るアセット・トランスファーで話を進めたいというのだ。アセット・トランスファーとなったら、当社の全資産の価値評価、法人格の再編と、それにともなう諸々の外部対応で膨大な時間と労力がかかる。ひいてはせっかくの縁談が破談になりかねない。ここはなんとしてもDAを説得し、安全なシェア・トランスファーに話を持っていかねばならぬ。すると、我がCEOがとんでもない助っ人を呼んできた。K弁護士事務所のR弁護士である。CEOの旧くからの友人である。彼が凄腕であることは、彼の登場とともにディール・スキームは瞬く間に(日本だけは)シェア・トランスファーの方向へ進み出したことからも明白であった。さて一安心したのも束の間、今度はDAが最強の刺客を送り込んできた。N法律事務所である。往年のジャイアンツのような名前の、日本を代表する渉外弁護士事務所の一つである。DAの要求は、この法務最強軍団をしてシェア・トランスファーに関わるリスク対応で納得せしめよ、というものであった。それが叶わなければ、売却話は再び迷宮入りとなることは言うを俟たない。48歳法務担当、本コラム執筆時既に49歳であるが、一世一代の大勝負が今始まろうとしている。

日本最大手N法律事務所との会議当日、モニターを前にして私は緊張のあまり卒倒せんばかりであった。私にとって初めてのDue diligenceである。弁護士先生方の質問に、的確に答えられるだろうか。言わでものことを言って、しくじったりしないだろうか。とにかく、今回の売却を成功させるためには、我々に不利なアセット・トランスファーであってはならない。CEOはというと、携帯をいじくり回しており要するにいつもと変わらない。日本最大手の弁護士事務所との対面というのに、よく平然としていられるな。私は気が気でなかった。


そして遂に会議が始まった。モニターに次々と登場してきた先生方は…私の予想に反し、皆若かった。話しかけるのも恐ろしい弁護士先生方を想像していたのであるが、そんなことはなく、私はにわかに安堵を覚えた。私の方がよっぽど岩窟ではないか。応援で参加いただいたCEOのお友達のR先生の所属するG弁護士事務所の先生方の面々も、画面に現れた。


一通り自己紹介が済み、雰囲気が和やかになった。CEOを含め先生方は、しばし共通の知り合いの話で盛り上がっていた。なんと、CEOのお友達のR先生も昔はN事務所で働いていたとのことである。横で段々と拍子抜けしている私のことなどは気にもくれず、CEOが今回のDue diligenceに至る経緯をN事務所の先生方に聞いた。すると「突然米国の事務所から降って来た話だったので、実は全容を知らないのです。」とのことであった。そこでCEOが、売却話の発端とそれまでの流れを、つまり本コラムの「第7回 転生 – 夜明け前」や「第8回 転生 – 売却スキームはいかに」のような説明をし、初めて「なるほどですね…」と全容を把握いただいた。なんでも最近は、N事務所ほどの大手でも、今回のように全容を知らされないまま、Due diligenceの一部を、その後ディールがどうなったかも分からないケースばかりなのだそうである。CEOの「最近の世界的な、何でもいい加減傾向は止まりませんね。」という持論を我々社員はいつも今一つ実感なく聞いていたが、専門家の先生達は痛く同感のようであった。


そしてDue diligenceが始まった。当社のビジネスモデルや商流、主要顧客、主要取引先等に関する質問に、どんどん答えていく。一通り説明しご理解いただき、今回のDue diligenceの最大の目的である、シェア・トランスファーに潜むリスクがないかを判断する運びとなった。シェア・トランスファーの最大のリスクはChange of control条項である。Change of control条項とは、企業買収等により支配者が変わった場合、一方的に契約を解除できるといったものである。現在結んでいる対顧客や仕入れ先、取引先との契約にこのChange of control条項が潜んでいないか。今回当社の支配がINAPからUGへ移ったことでChange of control条項が発動されると、当該契約を解除される危険があるのである。その契約が当社のビジネス続行に不可欠のものであると、ビジネスの存続自体が危うい。早急に二大弁護士事務所の先生方に、現存する契約書をレビューいただくことになった。


ところで面白い一幕があった。買収側のN弁護士事務所の先生に対し、我々売却される側のG弁護士事務所が「契約書の量も多いことですしN弁護士事務所さんと手分けしてレビューしましょうか」と提案したことである。CEOは「いやいや、それはまずいでしょう。N弁護士事務所の先生方はDAとUnitasにFiduciary dutiesを負っている訳で、なんかすっかり仲良くなっちゃいましたけど、あくまでも我々は相手方同士ですから。」その通りですね、と一同笑いの内に会議は終了した。やはり、往時のCEO自身がさかんにM&A話で切った張ったの大立ち回りをしていた一昔前と比べると、今は随分と緩くなったようである。


会議の後、帰りの山手線に揺られながらCEOは苦笑して「時代は変わったなぁ。そもそもDue diligenceのタイミングがおかしいよね。昔はそれこそしっかりとDue diligenceして、それからクロージングしたもんだけどな。今は先にクロージングしてからDue diligenceするんだね。それに、Due diligenceというのは、リーガルだけでなく財務の方もあるわけで、大変な人的労力がかかったものだけど、多分、今回明らかにやってないよね、そういうの。あと、両サイドの弁護士も、今は呉越同舟みたく仲がいいんだね。昔は敵対せんばかり、それこそ火花を散らしたもんだけどな。」と呟いていた。


契約書のDue diligenceレポートが届くまでに時間はかからなかった。レポートを見ると、懸念していたChange of control条項は既存の契約書に潜んでおらず、つまり日本法人の売却スキームはシェア・トランスファーで問題ないとの結果であった。ミッション・コンプリート。時は4月28日であり、4月末までに売却スキームを、かつ我々にとって最適な株式譲渡で決定したのである。




そうして5月の大型連休を迎えた。休みの日に迂闊に出歩くことをしない私は、家でゆっくり売却スキームをネタにして本コラムの続きを書こうと目論んだ。神聖な執筆の時間を邪魔されぬよう会社携帯を封印しようと手に取ると、とんでもない量のメール通知である!私が鼾をかいて寝ている間に何があったのか。事の発端は、米国本社INAPのBoss、リサさんからのメールであった。


リサ:日本法人の現金は必要なだけ残してINAPに全部引き上げるって条件になったから。…でもそうすると、8月の設備投資の支払いがちょっと苦しいけど…なんとかなるわよね!(You can manage through if needed!)じゃあ5月6日までに送金お願いね。


CEO:はあ、借金は?


当時、我々日本法人は、米国親会社に対しての貸付けが相当額あったのである。米国本社は、日本法人の売却前に日本法人からの借金を帳消しにした上で、更に日本法人の銀行預金の大部分を持っていきたい、という意向のようである。


リサ:チャラ(Drop off)よ。


CEO:できませんよ、そんなこと。全部寄付金になっちゃう。税金の問題とかもあるし、米国本社に対する我々の債権を配当するとかしないと。


リサ:でも、D社のコンサルタントは親会社が子会社からお金を吸い上げるのに税金なんかかからないって言ってるわよ。


D社とは、世界でも5本の指に入る、誰でもご存じのアカウンティング・ファームである。たとえ親会社・子会社間の金銭貸借でも、法人が異なるのであるからチャラにすれば親子間の不公正な贈与になり、税務上損金算入は認められない。これは常識であり、世界的に有名なコンサル会社がそんなことを知らぬ筈はないのであるが…


CEO:D社の誰が言ってるんですか?私が話します。


リサ:困ったわねえ…


「いやいや、困っているのはこっちだ。時間をかけてクローズするんじゃなかったのか。更に5月6日までに送金しろとは。こっちはゴールデンウイークなんだぞ。」とCEOは心の中で叫んだそうな。


メールの応酬は更に続き、夜が更けるに従っていよいよCEOが本気モードに入ってきたのが英文の語調から見て取れた。メールの時刻は2:00amを過ぎていた。しかし、これが彼の絶頂点であったようである。その後、みるみるCEOの体力が落ちてゆくのがメールのタイポの多さからも見て取れた。そして日本時間の明け方、ついにD社のマイクなる者がメールのスレッドに引っ張り出されて来た。


CEO:マイク、お前か、変なこと言ってるのは?


マイク:No, no, 俺はチャラとはいってない。


その後マイク先生の、何やら言い訳とも取られる長い英文が続くが、そんな事には一切答えずにCEOが追い撃ちをかける。


CEO:配当(Dividend)するしかないだろう。例え配当だとしても、それまでに配当の機関決定を行って、更に現金配当分を5月6日に送金するなんて無理だ。もう5月3日だし、日本は5月5日まで大型連休だ。配当のための株主総会だって必要だし、租税条約上のメリットをうけるための税務署への届け出も必要だ。銀行も税務署も、最短で開くのは連休明けの5月6日だが、それまでに全てを揃えるのは難しいだろう。





しばらく間があってから、これに対する返信メールが来た。我々からの貸付金はチャラではなく、配当するということで落ち着いたようであった。借金帳消しメールの一連の応酬は、最後に「マサキさん(CEOのことである)、いつまで起きてるの?仕事ばかりしてないで、少しは寝なさい」という、リサさんの母親のような労いメールで終わっていた。「じゃあ、5月6日に送金しろとかいわないで…」これはCEOのまたしても心の叫びである。


さて貸付金の行く末は配当とは決まったものの、5月6日に配当金を送金する件は諦めていただけたのであろうか。すると今度は米国本社ゼネラル・カウンセル(法務担当役員)のリッチさんからTeamsで緊急会議依頼が入った!呼び出されたのはいつものトリオ、CEO、事業戦略V.P.、そして私である。召集令状。やっぱり送金は諦めていただけないのね。私は観念した。


一連の売却騒動を締めくくる最後の配当金支払いまで、あと一息。次回をお楽しみに。

イラスト作者: ユニタスグローバル技術部VP 吉川進滋

 

プロフィール

パケットファブリック・ジャパン株式会社
事業戦略部長 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエン ジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
パケットファブリック・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。
2024年3月29日、パケットファブリック・ジャパン株式会社に社名を変更。


Webサイト:パケットファブリック・ジャパン株式会社

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