48歳法務奮闘記

第6回

小出先生の思い出

パケットファブリック・ジャパン株式会社  間庭 一宏

 

当社の顧問弁護士事務所、和田倉門法律事務所の小出先生が他界されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。今回は、当社CEOの回想を元に小出先生のご活躍を回想し、以て追悼の意を表そうと思います。


小出先生との出会いは、20年もの星霜を閲した今でも、CEOの記憶の中でなお鮮明さを失わない。現に私自身本コラム執筆のため過去の資料を開くと、目に入るのは小出先生のお名前である。時は当社インターナップ・ジャパン株式会社の設立時に遡る。


2001年、当社は米国シアトルのITベンチャー企業であるインターナップ社とNTTグループとの対等合弁企業として産声を上げた…などと書くと、いとも安産で生まれたかのような感があるが、実際は決してそんなことはなかった。NTTの社内では、米国ベンチャー企業と仲良くやっていけるわけがない、そんな組み合わせが上手くいくわけがないと、非難の声がアヒルの合唱の如く起こった。しかしアヒルの大合唱の中、当時まだNTTの一課長に過ぎなかったCEOが剛腕を振るい、見事に合弁会社を設立させてしまった。当の本人によれば「日本の組織ってさ、地位とかに関係なく、突っ走り出したものは止められないんだよね。なので私はちょこっと後押ししただけ」とのことであるが、相当の権謀術数を用いたであろうことは疑いない。


そして強引な合弁会社設立の本人の目論見は、NTTを離れ、自ら設立したインターナップ・ジャパンに出向し、一役職に収まることにあった。しかし、大企業の人事というものは一筋縄でいくものではない。しがらみが、蔦のように絡みつく。さすがのCEOも、自身の出向に漕ぎ付けるまでに更なる権謀術数を用い、晴れてインターナップ・ジャパンの事業戦略部長のポジションを獲得するまで実に2年間を要した。このように、CEOの超絶な我儘傾向は当時既に見られたのであるが、そればかりではない。出向先での彼の部署は「総務経理」であったが、そうすると彼の役職名は総務経理部長となる。単に総務経理の響きがダサいという理由から、部署名を「事業戦略部」に改名してしまった。実に、彼の出向先での最初の仕事であった。


CEOが自ら交渉したという株主間契約書を読み返すと、両株主からの段階的出資が3回予定されている。そして2002年に第2回目の株主出資を受けた時に当社は資本金が5億円を超え、つまりは会社法上の大会社と相成った。ちなみに3回目の出資は受けられずに終わった。3回目の出資を言い迫ると、米国側の株主がキレて「碌に仕事もしないでふざけるな」(No way, it would not happen!)と突っぱねられ、債務不履行となったためである。これは当社の伝説となって残っている。


さて大会社になると、当時の商法では常勤監査役が必要となる。その報酬は決して小さくないであろう。当時の当社は、米国側の株主に3回目の出資を拒否られたことからも明らかなように、日米株主間の摩擦が激化し、崩壊寸前であった。このままではあと半年でキャッシュ・ショートに陥る!財務を預かる事業戦略部長として、当時のCEOは、(言葉は悪いが)実質的に何も仕事をしていただけないであろうまだ見ぬ常勤監査役に多額の報酬を支払うことは避けたいと思いつつ、決定的な解決策を見い出せずにいた。


2人の若き弁護士が当社のドアを叩いたのは、そんな時であった。この2人の弁護士の一人こそ、若き日の小出先生である。もう一人は、今も我が社の守護神のような存在の高田先生である。お二人が携えていたのは、「委員会等設置会社への移行について」というパンフレットであった。そのタイトルを見た瞬間に、ニューヨーク州弁護士の資格を保持していることもありCEOはピンときた。これが、米国でよく行われている取締役会内の委員会による企業統治のことであろう。つまり、取締役会内に、社外取締役が主導権を握る指名委員会、報酬委員会、監査委員会という3つの委員会を設けることで、いわゆるC-Suiteと言われる会社経営陣の専横が起きないように牽制していこうという仕組みである。和と空気が底流にある日本において、経営陣による専横などという問題はそうそう発生しない。しかし、当時いわゆるサラリーマンの上りポジションと化し、定食屋のお品書きの如く名ばかりの取締役によって構成される取締役会が経営の監視という役割を果たしていないことが、日本ビジネスのグローバル化が進む中で問題視されるようになっていた。そこで、2003年4月に施行予定の「株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(商法特例法)」改正で、委員会等設置会社という会社機関の設計が可能になったのである!


…という説明を、小出先生もCEOに対してしたかったのに違いない。しかしCEOはその説明よりも前に「これにすれば、常勤監査役って要らなくなりますか?」と切り出してしまったそうだ。お菓子をあげようと、お菓子を手に持っていたのは小出先生なのに。


ところが小出先生はこの藪から棒の質問から、蓋しCEOの、常勤監査役に報酬を払いたくないという苦衷と財務状況まで察したのであろう。ニコリと笑顔まで浮かべ「はい、不要になります」と即答したそうである。この瞬間、CEOはこの二人なら頼れる。そう直感したそうである。多くの場合、このようにCEOの奇襲攻撃を受けた営業マンは気が動転し、壊れたオーディオプレーヤーの如く同じ文句を繰り返すことになるからである。


ところで彼によると、彼がNTT時代にお付き合いのあった弁護士というのは、様々な国のトップクラスといわれる先生達ばかりであったそうだ。営業など、世界の終わりが来てもしなさそうな人達で、ややともすると近寄り難い存在であったという。もといCEOは人が醸し出す空気など豪も読まぬ質なのでフランクに接していたのであるが、CEOの同僚達の、弁護士先生への気の使いようといったらなく、それは慇懃丁重を極め、下にも置かぬ扱い振りで、その低姿勢と言ったら、どちらがクライアントなのか分からぬ程であったそうである。つまり、彼の知っている弁護士は、とてもインターナップ・ジャパンが相談できるような人達ではなかった。


しかし目の前の若い二人の弁護士先生は違った。さっそく委員会等設置会社への移行全般をお願いすることにした。すると、間髪を入れずに最初の障壁が我々の前に立ちはだかった。商法特例法改正の施行タイミングである。


12月末決算の当社は、株主総会を2003年3月31日に予定していた。しかるに商法特例法改正は、2003年4月1日である。当社の定時株主総会が、1日だけ早すぎる。商法特例法21条の38第1項(新たに委員会等設置会社となる場合の経過措置)の解釈により、商法特例法施行前の定時株主総会では、まだ施行されていないのであるから、委員会等設置会社への定款変更は許されない。つまりこの1日のために、次回株主総会まで丸一年間、委員会等設置会社を待たなければいけないのか。そんなことをしたら、にやけ顔の常勤監査役をみすみす招き入れてしまうことになる!




すると小出先生はCEOに対し「例年通り3月に定時株主総会を開催し、その総会の委員会等設置会社の定款変更決議に効力発生の条件・期限を付してしまえば済むのでは…と思われますが、その場合、取締役・監査役の任期との関係で極めて複雑な議案になるのです。ここは、2003年の定時株主総会を4月に遅らせましょう」という衝撃的とも言える解決策を提示してくれた。勿論、その場合のリスクについても綿密に検討してくれた。検討課題は以下の通りであった。


1. 株主名簿の閉鎖期間・基準日の有効期間が3カ月以内と定められている(改正前商法 224 ノ 3 II III)

2. 有価証券報告書の提出期限につき各事業年度経過後3カ月以内と定められている(旧証券取引法24 I)

3. 法人税の確定申告期限が各事業年度経過後3カ月以内(原則は2カ月以内)と定められている(法人税法74、75の2)


株式譲渡制限会社である当社は株主の変動リスクがないため、No.1の名簿閉鎖・基準日設定は不要である。継続開示会社でもないためNo.2も不要である。No.3の法人税についても、悲しいかな当該年度の利益がマイナス赤字であったため、税務上のリスクは殆どないでしょう、との小出先生の解釈であった。


でも、定時株主総会を毎年3月に開催してきたのに、2003年だけ4月に開催しても適法なのか、という不安にも小出先生は解を与えてくれた。「毎年3月に定時株主総会を開催してきたのは、前述の理由からであり、商法上は開催時期については具体的な定めはない。数日のずれは当然許容されるであろう」


でも、定款には定時株主総会の開催日は決算期から3カ月以内って書いてあるんですけど、という懸念に対しては「確かに4月開催では定款違反となり得る。定款違反なので、形式的には善管注意義務違反で取締役の損害賠償の原因たり得そうである。しかし、実際に本来3月に開催すべき定時株主総会を数日ずらしたことで損害など発生しないでしょう。過料の制裁を受ける原因となることもあるにはあるが、一般論として数日の間に過料の制裁を課す手続きが開始される可能性はほぼゼロに等しい。かつ今回だけは4月に開催することを株主の了承のもとで手続きを進めるのだから、訴えが提起されることは考えにくい」という解釈であった。


よって、定時株主総会を4月に遅らせることで、2003年4月にインターナップ・ジャパン株式会社は委員会等設置会社となることができる、とずばり結論付けてくれたのである。その後も両先生に定款変更、取締役会、株主総会の差配と獅子奮迅のご活躍をいただき、2003年4月3日、晴れて当社は委員会等設置会社となった。ところで、世間的には日本初の委員会等設置会社はソニーということになっているそうだが、実は当社なのではないかとCEOは言っている。


果たして常勤監査役忌避作戦は功を奏した。その後当社は黒字化し、現在に至るまでもそうである。この二十年の間に当社は幾度の変遷を経て、現在は取締役会非設置会社となっている。


CEOは委員会等設置会社移行後も、気軽に法律相談ができる弁護士が欲しかった。しかるに、前述の通りCEOの知り合いの弁護士はみな「大先生」ばかりである。とても、明日の食い扶持もどうなるか知れないような当社の手の届く存在ではなかった。そこで、気脈の通じ合った小出先生に「ちょっと聞きたい時に相談に乗って貰えないものか」と聞くと、「クイックコンサルティングサービスがあります」という。打てば響くとはこのことで、こうして小出先生は当社の顧問弁護士となり、その後も長らくお世話になることとなったのである。


ちなみに小出先生と一緒にいらした高田先生に、私は今も大いに甘えており、実はこのコラムシリーズの草稿チェックまでしていただいている次第である。


小出先生、ありがとうございました。当社の定礎板には小出先生のご活躍が刻まれています。改めてご冥福をお祈りいたします。


イラスト作者: INAP Japan 技術部長 吉川進滋


 

プロフィール

パケットファブリック・ジャパン株式会社
事業戦略部長 間庭 一宏

獨協大学外国語学部卒業後、ITインフラエンジニアとして多くの現場を渡り歩く。
2012年7月インターナップ・ジャパン株式会社入社。以後、ネットワークエン ジニアとして顧客のインターネット開通を手掛ける。
2021年より同法務担当となる。
パケットファブリック・ジャパン設立20周年ミュージック・ビデオ、『地獄の淵でRock Us Baby!』ではドラムを演奏。
2024年3月29日、パケットファブリック・ジャパン株式会社に社名を変更。


Webサイト:パケットファブリック・ジャパン株式会社

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