第3回
時代は“モノ”から“コト”へ
時代は“モノ”から“コト”へ。この言葉からあなたはどんなことを思い浮かべますか。
某カード会社の「プライスレス お金じゃ買えない価値」というフレーズが
真っ先に思い浮かんだ人もいるかも知れませんね。
御社が社会によろこばれる会社として組織づくりをしていこうとしたときに、外に目を向けてみると、
世界全体を覆う未曾有の経済危機、グローバル資本主義という状況がそこにはあると思います。
既存の価値観が通用しないことは理解できるが、どう進んでいけばよいかとなると、分からない。
困惑し立ち止まってしまうこともあるのではないでしょうか。
経済または社会は生きもののようにどんどん形を変えていき、そのスピードも一定ではないので、
明確な答えが存在する訳ではありませんが、方向性のひとつとして言えることがあります。
それは、時代は"モノ"から"コト"へと変わってきているということです。
消費の世界では、モノのストックよりも体験や知識、思い出、人間関係といった
ソフトのストックに関心が移っている、このことは企業の商品コンセプトを見ても分かります。
例えば、車の宣伝において「子どもと一緒に時間を過ごす・楽しい思い出作り」を企業がアピールする、
このことはまさに"モノ"の先にある、または"モノ"に含まれる"コト"の現れでしょう。
また、スターバックスコーヒーもその例として挙げられます。
顧客はコーヒーそのものにプレミアム価格を払うのではなく、
スタッフのサービスや心地よい音楽が流れている雰囲気の良い店で過ごす時間、
コーヒーの味や香りだけではない店全体での体験に価値を認めており、
ここにスターバックスコーヒーの強さがあります。
いまここで、 “モノ”を「目に見える物質の価値」、“コト”を「目に見えない事象の価値」という言い方にしてみます。
目に見える物質の価値としての代表はお金です。お金はこれまでの価値尺度として揺るぎないものでした。
ゆえに経営者は財務諸表に表れる数字に目が行き、短期的視野に偏りがちになりました。
これは、お金と一緒に育まれるべき目に見えない事象の価値をなおざりにした結果ともいえます。
近代日本資本主義の父とも呼ばれ、生涯で500社以上の会社を創った渋沢栄一はこう言っています。
「左手に算盤(そろばん)、右手に論語」。
つまり経済人は道徳を守って金を儲けなさい、道徳に反した儲け方は必ず身の破滅を招きますよということです。
サブプライム問題やGMの破綻は、短期の利益増大を性急に目指したがゆえに長期的な利益の機会を無くし、
株主だけでなく世界全体にも大きな影響を与えました。
これは、まさに「左手も右手も算盤(いまはIT?)」の状態であったと言えます。
こういったスタンスは、企業や組織づくりについても同様のことが言えます。
バブル崩壊後に多くの企業が生き残っていくための手段として選んだ目標管理や成果主義は、
昨今うまく機能していないとも言われています。
それらは欧米では機能しても日本においては必ずしも運用がうまくいっていないことが少なくありません。
なぜなのでしょうか。原因としては、これらを導入した場合に「結果が全て」のノルマのような運用に陥ってしまい、
社員が疲労困憊してやる気が失われてしまう事が考えられます。
それに加えて、数値目標の達成のために手段を選ばない社員に対し成果だけで優遇すると、
周囲の社員のモチベーションが下がってしまいます。働くことから得られる喜びや価値はどこかへ追いやられ、
個人の自主性や「思い」をおし殺してしまうこのような運用方法では、短期的には成果が出たように見えても、
長期的に見れば会社にとって一番の宝である人財が失われてしまうような結果に結びつきかねません。
本来、制度というものは、人のためにあるはずなのですが、いつの間にか制度自体が主役になってしまっていたとしたら、
それは本末転倒と言わざるを得ません。人事制度は、人のためにあり、人事制度を構成する一部として賃金制度はあるはずなのですが、
賃金を決めるためだけの人事制度となっていたら、長期的な視点からすると人は本当に育つのでしょうか。
企業は人の集まりです。この人の集まりに対しても“モノ”=「制度の運用ありき」に重きをおく考えを、
“コト”=「人のため、人を育てる政策やしくみづくり」へシフトしてみようということです。
企業にとっての「目には見えない事象の価値」とは?
では、企業における「右手に論語」なる「目に見えない事象の価値」とは何でしょうか。
企業や組織づくりに必要な“コト”へシフト=「目に見えない事象の価値」とは、
具体的にどのようなことに取り組んでいけばよいのでしょうか。
「人のため、人を育てる政策やしくみづくり」としては、いくつか考えられますがここでは二つ取り上げてみます。
一つは「経営理念」や「経営者の倫理観」を大事にし、それを実践するために社員が「自分たちの軸」をもつことです。
これは目には見えないけれどお互いの共有する思いがある状態ですので、これを「共感資本」とも呼ぶ事が出来ます。
この例に「CSR(企業の社会的責任)」や社会貢献活動があります。
これらは、いま欧米企業に限らず日本の企業でも様々な不祥事を省みて重視されてきています。
ISOでは、CSRについて国際標準を定めて世界中の企業にその実施を提言しており、CSRは世界的な潮流と言えます。
現在、インターネットで検索すれば様々な企業のCSRを見ることが出来ます。
非常に感心する文言が多いのですが、実際の中身はどうでしょうか。
CSRに取り組むことは、単に法律的なことに触れるから何かをしないとか、競争に生き残るために義務としてやるというのではなく、
自分を律するための規範としてなど自発的な使命として活動すべきものです。
従って、企業イメージアップのために我が社もCSRを掲げようとか、
立派なCSRはあるけれどそこで働く社員の気持ちがついてきていないものであったならどうでしょう。
そのCSRは張りぼてに過ぎなくなってしまいます。
「目に見えない事象の価値」としてCSRに取り組むときに、難しそうだ、きれい事だという声もありますが、
かつての日本にはこの考えが浸透しており、そこから学ぶべき言葉がいくつもあります。
例えばCSRについては、近江商人の「売り手よし、買い手よし、世間よし」という三方よしがそうです。
商取引においては、当事者の売り手と買い手だけでなく、その取引が社会全体の幸福に繋がるものでなければならないという意味です。
また、経営者の倫理観としては、「大丸」の創始者である下村彦右衛門が残した家訓からも学ぶことが出来ます。
以下はその一部をわかりやすく記したものです。
一 天下のご法度とはいっても、これくらいの悪事は世間では誰もしていることだからかまわないとか、
あるいは自分のやったことは絶対にわからない、今べつに調べられていないのだからなどという者がいる。
こういう連中をわたしはもっとも嫌う。法度は絶対に守らなくてはだめだ。
一 家をよく治める根本は、すべて国の法度や規則をよく守ることからはじまる。
これを、自分の才覚で勝手に改めたり変えたりしてはならない。
一 自分が法に背いていながら、下の者に法に従えといっても、誰もついてこない。そういうことは絶対にできない。
一 第一には心をまっすぐ正しくして、何が正しくて何が正しくないかをつねに分別して人に勤め、
余計なことを考えないようにすること。店の仕事によく努めても、功績は絶対に自分からひけらかさないこと。
よくやれば、必ず知れることであって、それは自然の評価に任せること。
一 本家の主人なる者は、一家一族の総領になる者である。
しかし万一、人物人柄が悪く、身持ちも悪く、誰もがそれを認めるようなときには、本人に何度も意見をすること。
それでも直らないときは、この家訓を読み聞かせて、本家相続人の立場から退かせることが大事だ。
一 支配人については、その職責にふさわしい人物を見抜いて選ぶことが大切だ。
律儀で正直で他人に対して好き嫌いやえこひいきをまったくしない者がいい。
家のしきたりや規則を良く覚え、従業員の人柄をよく見定めて、適材を適所に配するような決断力の持ち手が望ましい。
善悪をはっきり見分けられ、よく見、よく聞くような人物なら、たとえ若くてもさっそく支配人に抜擢すべきだ。
そして功績を積んでより信用がおけ、家のために押さえの効く人物を元締め役にすべきである。
このように、下村彦右衛門は、徳川吉宗による享保の緊縮財政下において、
企業の利益はお客様や社会への義を貫き信頼を得ることでもたらされると考え、
「先義後利」「お客様第一主義」「社会への貢献」を事業の基本理念として定め家訓を大切に商人道を追求しました。
その結果、大丸は元禄のお取り潰しや安政の大地震などの様々な危機を乗り越え、現代まで生き残っているのです。
このような理念は、どうして現代にまで生き続いているのでしょうか。その決め手はどこにあるのでしょうか。
これは、張りぼての理念、きれい事ではなかったからでしょう。
実践する側(現代では社員)が理念を充分に理解し共感していたからでしょう。
そこでは自分たち自身も軸(現代的に言うと「クレド」=「信条」・「こころざし」)なるものを持って取り組んで来たからなのでしょう。
もし、経営者の理念を「やらされ感」のもとに取り組んだのならば、その思いは果たすことは出来ないでしょうし、
現代の私達が学ぶべき教えとして残ることはなかったでしょう。
従って、経営者は社員に経営理念を大事にしてもらうために、社員レベルで仕事に対する価値観を考えさせるというストーリーを経ることが必要です。
それにより「共感資本」という「目に見えない事象の価値」を生み出すことができるのです。
これはすなわち、経営者も従業員も組織や企業全体が「左手に算盤、右手に論語」の状態となります。
そうすることで世界的な潮流に乗っただけとか流行に流されるようなことにはならないでしょう。
真のCSRや社会貢献が果たせるのではないでしょうか。
これからは「トータルリワード」の時代
そして、「目に見えない事象の価値」として、もう一つが「目に見えない報酬を大切にすること」です。
働けば働いただけ給料があがり、物質的に豊かになる時代は終わりました。
経済が成熟した日本では、働くことの報酬がお金だけの時代ではなくなり、社員の多くはこれに気づいていると考えます。
これからは「金銭的報酬と非金銭的報酬」、つまりトータルリワードの時代です。
非金銭的な報酬とは何かというと、一つ目は「働き甲斐」です。
「仕事の報酬は仕事」という言葉の中には、働くことを通して周囲に認められたり褒められる、
また上司に仕事を認められてより難しい仕事をするチャンスを得る、お客様に感謝されることなどがあります。
二つ目は「人間として成長する」ことです。
仕事は楽しいことばかりではありませんが、苦労や困難を自分の成長の糧とすること(仕事が単に生活の糧で終わらないこと)は、
まさに目に見えない報酬でしょう。
そして三つ目は「人と人との繋がり、絆」です。
組織が単なる機能集団でなく対話を通して力を合わせて働き、お互いを認め合いそこから生まれる人間関係・絆は、まさにお金ではない報酬でしょう。
従って経営者は、トータルリワードという報酬そのものに厚みや幅を持たせるしくみをつくる必要があります。
この目に見えない報酬は新たな発想ではありません。日本人として誰もが持ちうる気質として内在するものです。
「働く」は英語では「labor」で「苦役」という意味も含まれていますが、日本の働くにはそのような意味はありません。
日本では、「働く(はたらく)」は、「傍(はた)」を「楽(らく)」にする意味があると語り継がれてきました。
つまり、働くとは誰かを楽にするためであり、世の中を幸せにするためであるという労働感がありました。
「世のため、人のために働く」ということばも同じ事なのでしょう。
また、「袖触れ合うも多生の縁」という言葉もあり、「縁」を大切にする社会でもあります。
ご縁がある、ご縁がないという言葉は企業の採用時においてもよく使われます。
見直してみると、今一緒に働く仲間は本当に縁あっての仲間なのでしょう。
これらは、高度経済成長の過程でいつしか日陰の存在になってしまった気がします。今一度、これらに向き合う時なのではないでしょうか。
つまり、経営者がトータルリワードの仕組み(状態)をつくる際には、非金銭的なものに対する価値を社員に気づかせる、
感度を高める機会を与える事が必要です。
具体的には、コミュニケーションを図る、対話の場を設けることから始まります。
そうした中から共感を生みだし、それが職場環境や企業風土の形成へと繋がります。
目に見えない事象の価値を理解するために
これらを取り組む際に大事なことがあります。
「倅啄同時(そくたくどうじ)」という禅の言葉があります。これは、「倅」はヒナが卵から孵ろうと内側からつつく音です。
「啄」は親鳥が外側からヒナを孵そうと殻をついばむことを表します。両者のタイミングが一致してはじめて無事にヒナが生まれるそうです。
親がタイミングやつつく場所を誤るとヒナは孵らないそうです。
企業においても同じことが言えるでしょう。経営者(親鳥)が社員(ヒナ)に働きかけるだけ、
つまり「トップダウンだけ」でもだめですし、社員(ヒナ)が経営者(親鳥)に一方的に働きかけるだけ、
つまり「ボトムアップだけ」でもダメだと言うことです。大事なことは、互いに情報を共有する「場」があるということです。
企業において?啄同時となったときに初めて「共感する」、「ストーリー」が生まれてきます。また、これを続けると徐々に個々に主体性が生じてきます。
するとお互いが影響・刺激を与えあうようになり、そこから「秩序」が生まれてきます。
ときに上司がタイミングをみて、部下のレベルにあった声かけをすることも必要です。
このようなことを継続していくことにより、そこに属する一人ひとりが「この組織は生きて(活きて)いる、その中に自分がいる」と実感できるようになり、
(ことばにするとイキイキしている、活気がある職場となるのでしょう)、これは目に見えない事象の価値を体感している状態と言えるのでしょう。
松下電器を創業した松下幸之助氏の言葉で「企業は人なり」はあまりにも有名なところです。 松下氏は部下に対して「もし、松下はどんな会社かと問われれば『わが社は人を作っております。あわせて電気製品を製造しております。』と答えよ。」といったと言います。 いかに社員ひとりひとりを育てるか、人間性を高めるかが企業の成長に直接つながっていくのです。 そしてそうやって育った「人」が次の世代の「人」を育て、永続的に企業が続いていくこととなるのでしょう。
結局、「時代は“モノ”から“コト”へ」と言うのは、これからは“モノ”だけでなく“コト”も重視する、
そのために今、“モノ”に偏重している場合には、“コト”へ軸を向けましょうということなのです。
目に見える物が全てではなく、目に見えない事象を見る目(心の目)を持ちましょうということなのです。
そしてそれは決して新しい発想ではないことが昔の人の教えからも学べます。
と同時に、このように現代にまで生き残る考え方は、目標を達成するための「野望」ではなく「志」が必要なのだということも教えてくれています。
“モノ”に偏重した経営は「野望を成し遂げる」に終わり、“モノ”と“コト”を大切にしてこそ「志が実現できる」のかもしれません。
参考文献
- 『社員をバーベキューに行かせよう!』蓬台浩明 著 2010年 東洋経済新報社
第3回コラム執筆者
小林 妙子(こばやし たえこ)
(有)人事・労務パートナーESコンサルタント
(東京都社会保険労務士会中野杉並支部所属)
日本ES開発協会 広報委員会 アドバイザー
中小企業福祉事業団幹事
特定社会保険労務士
第1種衛生管理者
明治学院大学社会学部卒業後、大手道路舗装会社で関連会社統括部署に所属して労務に関する仕事に携わる。
その後専業主婦として過ごした5年間に社会保険労務士試験合格、社会保険労務士事務所での勤務を経て2006年開業。
中小企業を中心に、労働・社会保険手続き、給与計算、規則規程の整備などの業務、労務相談、ならびに
ESクレド導入コンサルティングなどで活躍。
ヒューマンリソシア会員向け講座「新任管理職のためのリーダーシップ強化セミナー」「管理職のための労務管理基礎知識」、
千葉県指定工場協議会主催講演会「今日からすぐにはじめられる!会社が元気になる7つの施策」、その他リーダー向けES研修等のセミナー講師も行なっている。
日本ES開発協会では、ESの軸を人事制度に導入する重要性を提唱し、広報委員として広報活動に取り組んでいる。
プロフィール
現在社長を務める矢萩大輔が、1995年に26歳の時に東京都内最年少で開設した社労士事務所が母体となり、1998年に人事・労務コンサルタント集団として設立。これまでに390社を超える人事制度・賃金制度、ESコンサルティング、就業規則作成などのコンサルティング実績がある。2004年から社員のES(従業員満足)向上を中心とした取り組みやES向上型人事制度の構築などを支援しており、多くの企業から共感を得ている。最近は「社会によろこばれる会社の組織づくり」を積極的に支援するために、これまでのES(従業員満足)に環境軸、社会軸などのSS(社会的満足)の視点も加え、幅広く企業の活性化のためのコンサルティングを行い、ソーシャル・コンサルティングファームとして企業の社会貢献とビジネスの融合の実現を目指している。
Webサイト:有限会社 人事・労務
- 第12回 組織の多様な価値をはかる「クレドアセスメント」の具体的手法とは
- 第11回 組織のきずなをはかる「クレドアセスメント」
- 第10回 グリーン就業規則の各規程について
- 第9回 モノ・カネを中心とした組織から「つながり」を中心とした新しい「職場とルール」づくり
- 第8回 左脳マネジメントから右脳マネジメントへ
- 第7回 若手社員、部下のやる気を持続させるリーダーシップとは
- 第6回 創発により企業文化を創り出す
- 第5回 従業員のES、社会、環境への意識を高めるグリーンクレド
- 第4回 数値目標から人間性を高めるための経営へ
- 第3回 時代は”モノ“から”コト“へ
- 第2回 社会によろこばれる会社がこれからは主役になる時代!
- 第1回 組織の本当の力は、危機に直面した時に試され評価される