「企業経営者として、マネジメントについて、いつも考えることがある。」
「どんなことですか?」
「マネジメントとは、何を目的にやっているのだろうか?ということだ。」
「それは素晴らしい自問だと思います。目的が明確でないと、何事も上手く行うことができませんからね。」
「そうなんだ。例えば、ある経営目標のために取るべき措置について、従業員と意見が合わなかったりする時がある。従業員といっても、幹部職員なんだがね。」
「はい。」
「売上増加目標への取組方針について、議論になったんだ。私は新規顧客の開拓をして欲しいと思ったが、営業部長は既存顧客の購買回数や単価を増やす方向性を考えていた。」
「どうなったんですか?」
「私にも考えるところがあるから、新規顧客開拓の重要性を延々と説いた。一方で営業部長にも考えるところがあるから、彼の説を聞かされた。」
「どうやって、決着をつけたのですか?」
「新規顧客開拓と既存顧客向けの売上拡大の両方ができるほど、我が社も人的資源があるわけではない。だから、どちらかを選ばなければならない。」
「結局?」
「私が、社長命令として新規顧客開拓を決断した。」
「そこで、何をお考えになったのですか?」
「営業部長に延々と私の営業方針を話していた時に感じたんだ。私は、売上拡大という成果が欲しいのだろうか?それとも、新規顧客開拓の方が有効だとの自分の仮説が正しいと証明したいのだろうか?それとも、営業部長を私の命令に従わせたいと思ったのだろうか?いずれなんだろうと。」
「そのように顧みられるの、素晴らしいと思います。」
「褒めてもらうのは嬉しいが、私としては、答えが欲しい。私は、いずれを選ぶべきだったのだろうか?」
「ドラッカーは、何と答えると思いますか?」
「えっ、ドラッカーが、このことについて何かコメントしているのか?」
「いえ、直接的なコメントはしていません。でも、意を汲み取ることはできそうな気がします。」
「どんな組織でも、社長と職員の意見が合わない時はあると思います。というか、意見を戦わせることに意味があるとさえ、いえます。」
「そうなのか?ドラッカーは、社内が気持ちを一つになることを勧めていたのかと思っていたよ。」
「最終的には、社内の気持ちを合わせていくことが大切です。しかし、それは予定調和であってはなりません。対立すべき時は対立すべきです。仲良くすることが、対立すべき時に対立する邪魔になるならば、仲良くする必要はないとさえ、ドラッカーは言っています。」
「それはいかんせん、行き過ぎではないか?」
「では、費用に見合う収益が得られるかどうかが微妙な投資について、判断しなければならない場合について、考えてみてください。失敗したら、会社が傾くかもしれません。でも社長としては、ここで将来への地固めをしたいと思っているとします。」
「ありそうなことだな。」
「そこで幹部職員の皆が、投資に賛成したらどう思いますか?」
「それは、困ったことだ。」
「でも、やりたい投資ができますよ。」
「いや、そういう時に例えば製造部長が『現場が新しい設備に慣れるために時間が必要かもしれない。予定通りの生産ができないリスクについて、どう考えるのか』と言ってくれた方が、みんなの意識が高まる。」
「そうですね。財務部長が『その通り』と言うことで、より真摯な検討ができるでしょう。」
「そういう反対意見をもとに、考えうるリスクを一つ一つつぶしながら検討し、最終的に『リスクをゼロにできるわけではない。でも、考えられることは全て考えてみた。なら、やってみようか。やるからには、全力を尽くそう』という結論が出ることが、大切なんだな。」
「本当に、そうだと思います。」
「さて、このように考えて頂いたことで、答えが出たように感じます。」
「対立がある中で決断する場合に配慮すべきことだな。会社の力を合わせられるようにすることだろうか。」
「その通りです。それは、組織能力を高めることといえますね。」
「そう言われてみると、マネジメントの目的は組織能力を高めることにあるとドラッカーは言っていたようだな。」
「仰るとおりです。」
「そうやって考えてみると、前回の判断では、組織能力への配慮が少し足りなかったかもしれない。部下を言い負かせることに、こだわっていたかもしれない。」
「それにお気付きになるとは、素晴らしいです。次回は、良い判断が下せることでしょう。」
「そうありたいね。」