穏やかなることを学べ

第11回

再び“渚にて”を読んで、現在を思う

イノベーションズアイ編集局  編集アドバイザー 鶴田 東洋彦

 

黄ばんだ一冊の文庫本

先日、書棚の隅に積んでおいた小説「渚にて」を、久しぶりに読み返してみた。もう何十年ぶりだろうか。イギリスの新聞記者ネヴィル・シュートが1959年に著したこの作品は、翌年、映画化もされ大きな話題となったが、核戦争の恐怖をテーマに書かれたものの中で、これほど秀逸な作品はないことを、今、この時代を過ごしてきて改めて実感した。今はもう黄ばんだ文庫本だが、貴重な一冊である。

舞台は1964年のオーストラリアのメルボルン。ここに米国の原子力潜水艦スコーピオン号が入港しているところから、この作品は始まる。すでに北半球の国々は核戦争で滅亡、潜航中で被爆を免れたスコーピオン号だけが、戦火から逃れるように陽光の中、メルボルンにたどり着く。

ただ、直接の被害を免れたオーストラリアのメルボルンにも、放射能汚染の脅威は徐々に忍び寄っている。すでに、調査機関などによって、偏西風などの影響で放射能の汚染物質の南下が確認され、メルボルンにも迫っていた。オーストラリアだけでなく南半球全域の人類の滅亡も避けられない現実。作品は、メルボルンの市民がその現実を受け止め、自らの命が終わる最後の数十日までを過ごしていく、その日常を淡々と描写していく。

沈黙の社会小説

もちろん、小説に戦争シーンなどは一切ない。あるのは、放射能の汚染物質から逃れられない事実だけだ。その中で、作品に登場する人々は覚悟を持ちながらも、淡々と毎日を過ごし、残された時間を楽しもうとする。

自動車レースに打ち込んできたレーサーは、愛車の整備に余念がない。生まれていた愛児のために自宅を改装しようとする夫婦、家畜を育てる牧場主。そしてバーに集う常連たちは、いつとっておきの極上ワインの栓を開けようかと談笑する。いつもと変わらぬ毎日を、作者のネヴィル・シュートは、新聞記者らしい冷静な目線で記していく。

そんな日々の中で、ある日、人々の間に一抹の希望が生まれる。北半球のシアトルからモールス信号のような電波が発信され、生存の可能性が期待されたのだ。直ちにスコーピオン号が現地に急行するが、その不規則な信号はカーテンに吊るされたコカ・コーラの空き瓶による風のいたずらであることが発覚する。生存の希望を絶望に変えて、スコーピオン号はメルボルンに帰還する。

そして、日増しに汚染物質の濃度が高まるメルボルン。苦しまずに死を迎えることが出来る薬剤が政府から配布され、人々はそれぞれの場所でそれを口にしていく。納屋の中、愛児のゆりかごの傍ら、そして一家だんらんの場所で。母国から遠く離れたスコーピオン号の乗組員たちは、家族が眠る故郷で死を迎えることを望み、静かにメルボルンを出航していく。

モノクロ映像が映し出したもの

映画化されたスタンリー・クレーマー監督のモノクロ作品は、スコーピオン号の艦長を演じるグレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーが演じる女性との出会いを中心に描かれているが、輝く太陽に照らされた美しい海辺の描写などがかえって痛々しい。何度か繰り返し観たが、思いは変わらない。

全編にわたって貫かれている迫りくる死への不安と恐怖。モノクロ作品であるがゆえに、余計に胸が締め付けられた思いがある。言葉にするのは難しいが、中途半端に核戦争を扱った作品には到底、及ぶことのできない絶望感、悲壮感のようなものが作品全体に漂っている。

この作品が発表されたとき、人はそのように秩序正しく最期を迎えることが出来るのか、という点が議論になった。映画化の際も「皆が穏やかに美しく死んでいく場面はあまりに不自然だ」という批判もあった。人々が皆、ストイックに死という現実を受け入れ、モラルを守れるのか、と問われれば当然のことかもしれない。

ただ、振り返ってみると、ネヴィル・シュートがこの作品を執筆した当時は、まさに東西冷戦真っ只中の時代である。小説はエジプト空軍の保有するソ連製長距離爆撃機によるワシントン、ロンドン爆撃を戦争の発端としている。イスラエル、英国、フランスとエジプトとの間で勃発した「第二次中東戦争」(スエズ動乱)が1958年に始まっており、筆者がこの戦争から作品を類推したのは間違いないだろう。

映画が公開された翌年には、ソ連によるキューバへの核ミサイル持ち込みと米軍によるカリブ海の海上封鎖、いわゆる「キューバ危機」も発生している。当時の米大統領J・F・ケネディとソ連首相フルシチョフとの緊迫した交渉で持ち込みは回避されたが、人類はまさに核戦争の寸前に達していたのだ。

そんな時代に発表された作品だけに、誰もが「渚にて」の世界を、単なる小説の中だけではとらえてなかったのではないか。そんな超大国のエゴイスティックな現実を目の当たりにし、取材を続けていたネヴィル・シュートだからこそ、せめて小説の中では、もし核戦争が現実のものとなっても人々の尊厳というものを信じ、「秩序ある死」を選ばせたのかもしれない。

ノーベル平和賞、被団協受賞の意義

翻って現在、我々を取り巻く世界情勢はどうか。ロシアによるウクライナ侵攻から2年半以上が経過。プーチンは「核攻撃も辞さない」という言葉で西側諸国を恫喝、侵攻を正当化しようとしている。さらに、イスラエルのガザ侵攻は、レバノンのヒズボラとの戦闘、イランにも飛び火した。核兵器が使われる脅威は、より現実味を帯びている。「渚にて」で描かれた世界を、古き良き時代の社会小説、終末小説とは受け流せない事実が目の当たりにある。

日々の仕事に忙殺されると、ウクライナの現実もパレスチナでの虐殺もテレビの画面の中の、遠く離れた場所の出来事と思いがちになってしまう。だが、果たしてそうか。南シナ海や尖閣列島周辺での中国の威嚇行為、ロシア機による領空侵犯、さらにはプーチンに触発されたかのような金正恩の韓国に対する核の威嚇発言。きな臭さは日増しに高まるばかりである。

その意味で、今年のノーベル平和賞が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与された意義は大きい。今回はガザ、ウクライナの人道支援に関連する関係者への授与を予想していただけに、正直、驚いたが「現在、進んでいる核による恫喝行為に対する懸念」というノーベル委員会の受賞理由に納得した。ウクライナ、中東そして朝鮮半島、緊張に満ちた現在の世界に向けた、強いメッセージであるのは間違いない。

映画の「渚にて」はラストシーンで、すべての市民が死に絶え無人の街となったメルボルンの風景を延々と映し出す。墓標のようにそびえたつビル、延々と続く繁華街や公園、街中で止まっている市電、残酷な画面である。そして、ラストに、風にそよぐ大きな横断幕が映し出される。記された言葉は「兄弟よ、まだ遅くはない」。世界になお残る1万2000超の核兵器。核危機が迫る中での今回の被団協の受賞は、この言葉と重なるように思えてならない。まだ、遅くはないのである。

 

プロフィール

イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦

山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。

産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。

著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。

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