穏やかなることを学べ

第9回

久保富夫氏と「ビルマの通り魔」

イノベーションズアイ編集局  編集アドバイザー 鶴田 東洋彦

 

ミャンマー(大戦時ビルマ)のジャングル地域。この地域一帯を偵察飛行する100式司偵を連合軍は“ビルマの通り魔” と名付けた

英国ロンドン郊外のコスフォード空軍博物館といえば、第二次世界大戦中の現存する航空機が多く展示されていることで有名だが、そこに「ビルマの通り魔」「地獄の天使」と、おどろおどろしい表現で展示されている日本機がある。三菱重工業が開発した「100式司令部偵察機(100式司偵)」、連合軍が「ダイナ」と言うコードネームを付けた日本陸軍の双発機である。

戦時中の優れた日本機というと、同じ三菱重工の堀越次郎氏が設計した海軍の戦闘機「零(ゼロ)戦」、“大東亜決戦機”と呼ばれた中島飛行機の陸軍4式戦闘機「疾風(はやて)」、コードネーム「フランク」の名前がまず頭に浮かんでくる。だが、欧米の航空機の専門家の評価は、実は全く違う。ロイターの記者で旧知の飛行機マニアがいるが、彼に言わせると「第二次大戦で最も美しく高性能な日本の機体はゼロではない。間違いなくダイナだ」という。

唐突に昔の日本の軍用機の話を始めて恐縮だが、この「100式司偵」を開発した三菱重工業の技術責任者が、新聞記者駆け出しの時代に取材した、当時、三菱自動車工業の久保富夫会長だった。久保氏は平成2年の春に亡くなったが、その力強い語り口と眼光は、40年以上たった今でも強烈な印象として残っている。

当時、久保氏は三菱重工業から分離、発足した三菱自動車工で、第一線からは退いていた。だが、いかにも技術屋らしく、とくにエンジンや足回りの話をしたらもう止まらない。当時は三菱自工が、ギャランGTO、FTO、ランサーGSRといった名車を次々と市場に送り出し、ホンダやマツダを抜いて三菱自工がトヨタ、日産に次ぐ第3位メーカーに躍進していた時代である。語り口にも自信が溢れていた。

その久保氏は、大戦の前には三菱重工の若手技術者として、堀越次郎氏の下で海軍のゼロ戦の開発にも参加。その後、昭和12年には陸軍から「戦闘機を凌ぐような性能の偵察機を開発して欲しい」の要請を受けている。その内容は、最大時速600キロメートル以上、巡航速度400キロで2500キロの航続距離(6時間で)、双発・複座で偵察、戦闘も可能、と言うもの。当時の欧米の水準を遥かに凌ぐ要求で、久保氏は返事に詰まったという。

確かに、同じ時代に機体が完成していた海軍の「12試艦上戦闘機」(のちのゼロ戦)や、陸軍の「キ43型戦闘機」(のちの隼)の最高速度が時速500キロそこそこだったことを考慮すると要求水準がいかに常識外れだったかがわかる。だが、久保氏は主務設計者(開発責任者)として昭和14年には機体を完成させ、16年には、高速偵察機として仏領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)などで、実戦に投入している。しかも偵察飛行の速度は、陸軍の要求を凌ぐもので、当時、最速だった単発の戦闘機「疾風」をも凌いでいたと言うから驚きである。

戦後、米国は「疾風」など戦闘機とともに、この100式司偵を接収して、米国本国に持ち帰っている。当時の航空専門誌を見ると、試験飛行した「疾風」がオクタン価100以上のガソリンで最高時速688キロを記録したことから、「もし100式司偵をオクタン価100以上のガソリンで飛行させたら、双発機であるにもかかわらず時速700キロは超えただろう」と紹介している。

英国の航空博物館のダイナが「地獄の天使」といったような表現で展示されているのは、決して大げさではなく、その機体の高性能を連合軍がいかに恐れていたかの証左でもある。ちなみに展示機には「第二次世界大戦中で最も美しい機体の一つ」の意味で「空飛ぶユリ」との表現もある。思い返すと、物資も乏しく、技術的にも劣っていたあの時代に、まさに欧米が畏怖し、そしてその美しさを賛美するような機体を、久保氏は作り上げていたのだ。

もう今となっては、懐かしい出来事だが、当時、久保氏に取材した時のメモを見ると、久保語録ともいうべき強烈な表現が並んでいる。

「責任者が、これは無理だと思った瞬間に部下のモチベーションは低下する。成し遂げるという責任者の決意が微塵も揺るがないことを常に示し続けることがモノ作りの基本だ」
「作り手は24時間、作り手でなければならない。発想は“常に”生まれる状態にしておく」
「常に相手を凌駕するものを作り出す精神を鍛え上げることが不可欠だ」。
こう並べて挙げていくと、当時の飛ぶ鳥を落とすような久保氏の、そして三菱自動車の「勢い」も伝わってくる。正直に言うと、前時代的に聞こえる部分もあり、「働き方改革」が求められている現在には通じかねる表現もあるが、それでもなお、久保氏の言葉は、今の経営者たちにとっても、決して古びたものではないと思う。

確かに、自動車や家電、造船といった製造業が経済全体をけん引した当時の日本の産業構造と、現在を比較するのは難しい。時代が違うと言えばそうかもしれないし、久保氏の言葉を、「敢闘精神」の一言で片づけるのはやさしい。だが、常識を超えた双発機を開発し、欧米を驚愕させた人間の言葉はやはり重い。

久保氏に話を聞いた当時、国際競争力で世界のトップを走っていた日本の国際競争力は、昨年、過去最低の35位にまで低下した(スイス・ローザンヌの国際的シンクタンクIMD調査)。もちろん、そこには政治家の統率能力、教育体制の不備、ディベート能力の不足といったの要素も挙げられているが、やはりその最大の原因として指摘されているのは日本経済の長期低迷であり、その背後にある経営効率化の遅れ、国際競争力の低下、そして経営者の質の劣化である。

「部下のモチベーション維持には責任者の確固たる決意が必要」「常に相手を凌駕する精神、発想を持つ」。こうして、改めて久保氏の言葉を読み返してみると、今の日本の経営者に求められている本質がある。というよりも、40年以上という時代を超えて、久保氏に本質を突きつけられている、というほうが正しいのかもしれない。若くして「100式司偵」開発に全力を注いだ、久保氏の魂のようなものを、混沌とした今の時代だからこそすべての経営者が汲み取るべき、と痛感している。

 

プロフィール

イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦

山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。

産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。

著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。

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