第3回
「ケルン・コンサート」という体験
イノベーションズアイ編集局 編集アドバイザー 鶴田 東洋彦
大げさではなく、ジャズという音楽は麻薬のようなものだと思う。その魅力に取りつかれたら、もう離れることが出来ない。そんな気がする。現にこの原稿もジャズを聴きながら書いているし、毎晩、飲んで遅く帰った夜でも、必ずボリュームを絞って流す。もう中毒のようなものだろう。
そのきっかけとなったのはたった1枚のレコードである。大学に入ったばかりの年に聴いた、キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」。今でこそピアノのインプロヴィゼーション(即興演奏)の先駆者の代表曲として、世界中で愛聴されている超が付くほど有名なアルバムだが、一気にジャズにのめり込んだのはこのアルバムを聴いてからである。
たぶん、多くの愛好家からは「変わったのめり込み方だな」と言われると思う。ピアノだったらバド・パウエルやビル・エバンス、セロニアス・モンクあたりをジャズ入門編にした人が大半だろうし、なぜマイルス・デイビスやソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンじゃないんだと言う人も多いだろう。
確かに当時、キースはチャールズ・ロイドのカルテットでピアノを弾き、著名なベーシスト、チャーリー・ヘイデンなどともトリオで共演する実績はあったものの、決してメジャーなプレーヤーではなかった。心酔していたマイルス・デイビスに見い出されたものの、マイルスのグループではキーボードを担当、今、聴き直すとバックミュージシャン的な演奏だ。マイルスがエレクトリックなサウンドを追及していた時期だけに、仕方はないと思うが。
だが、マイルスのグループから離れた1975年1月、ドイツ・ケルンのオペラ座での即興演奏を収めた「ケルン・コンサート」という白いジャケットのレコードは、中学校時代から飽きずに聴いてきた英国のプログレッシブなロックを吹き飛ばす衝撃があった。よく言う「ガーン!」である。
当時、キースは29歳で、まだレコードの時代。アルバムに針を落とすと、表現が難しいが「静寂の中でピアノの中に潜んでいたあらゆる音が、一つの音楽となって銀盤を滑っていく」そんな感じだ。LPレコード盤2枚組の両面に及ぶ70分近い演奏時間もあっという間に過ぎたことを思い出す。
以来、アルバイトが終わった深夜にはこのレコードをかけ、新聞記者の仕事を始めてからもカセットやMDで録音したケルン・コンサートを海外の出張先まで持ち込んで聴いた。今でも部屋のオーディオのスピーカーやアンプを買い替えたり、ケーブルをいじってセッティングを変えるときには、まずはじめにこの曲をかけて聴いてみるのを習慣にしている。
そのキースの音楽性を認め、このアルバムをプロデュースしたのは、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったドイツ人マンフレート・アイヒャーである。彼はいわゆる米国流のジャズと異なる、北欧的で透明な音質とクラッシック音楽に近い空間的な奥行きをジャズに求める個性的なレーベルとして1969年にECMを創設。その求める音をキースの演奏に見い出し、「ケルン・コンサート」というアルバムの形にしたと思う。
当時は、ジャズと言えば「ブルーノート」「デッカ」「ベスレヘム」といったレーベルが当たり前の世界。だが、自ら”沈黙の次に美しい音楽“を標榜してECMを設立したアイヒャーだからこそ、まだ20代だったキースの感性を汲み取ったのではないか。アイヒャーはその後もチック・コリア、ヤン・ガルバレクといった世界的なジャズミュージシャンを発掘、今ではECMもジャズに加えクラッシックでも世界的なレーベルとなっている。
この原稿を書きながら、部屋に流れているのはビル・エバンス・トリオの傑作「サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」である。ECMとはレーベルは異なるが、これもまた客席の私語まで入ったビル・エバンスによる1961年6月25日の歴史的名演のライブ盤だ。キースのピアノに触発されなければ、この名盤にも出会えなかったろう。
何枚か数えたことはないが、部屋の棚にはキースもビル・エバンスも含めて多くのジャズのCDが並んでいる。レコードの大半を処分してしまったことが悔やまれるが、その日の気分でどんな楽器の演奏でも取り出せるだけの作品はある。サックスでもトランペットでも。それでも、やはり「ケルン・コンサート」を聴く頻度は多い。
「彼の演奏はジャズとは言えるのか」「キースはトリオの方がいい」。もちろん色々な見方はある。即興演奏と言う形でジャズの領域を広げ、さらにはバッハ、ヘンデル、シェスタコーヴィチなどの作品を手掛けて、クラッシックの世界に演奏の幅を広げたキースを、単にジャズピアニストと表現するのは無理なのかもしれない。
2018年に脳卒中を発症して左半身が麻痺したキースは、残念ながらもう演奏には復帰出来ないという。だが「20世紀のショパン」とも称されるキースの、「ケルン・コンサート」という、アイヒャーに言わせれば「音楽の神ミューズが舞い降りた」ような体験を学生の時代にしたことは、何にも得難く仕事生活でも大きな励みになった。ジャズという麻薬に引きずり込んだだけではない、もっと大きな何かを与えてくれた体験である。
プロフィール
イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦
山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。
産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。
著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。