穏やかなることを学べ

第5回

「まちライブラリー」という居場所

イノベーションズアイ編集局  編集アドバイザー 鶴田 東洋彦

 

長野県茅野市の親湯温泉ホテル。膨大な蔵書に囲まれたロビーも『まちライブリー』となっている

「まちライブラリー」と言う小さな私設の図書館が今、全国で拡大している。大学や会社の事務所、喫茶店、極端に言えば自宅という日常の生活空間に自分の本や寄贈本などを置いて、自由に読んでもらう。こんな発想から始まった小さな図書館が、着実に一歩一歩、地域のコミュニティ形成を促している。

地域のいろいろな人に、様々な場所に本を持ち寄ってもらい、そこを私設の図書館にする。本を通じて人とのつながりを感じあってもらう。そんな発想に着目したのは森ビルで長く広報部門を担当した元取締役の礒井純充氏である。

六本木ヒルズで文化事業を手掛けて、その活動の拠点である「六本木アカデミーヒルズ」を誕生させた礒井氏が、個人的事情で会社を離れたあと、12年前ほど前から本格的に取り組んでいるのは、この「まちライブラリー」である。

仕組みは、拍子抜けするほど単純だ。まず場所は問わない。会社や学校であろうが、極端に言うと自宅の玄関や居間でも構わない。本を置く場所は小さな本棚一つでもいいし、自宅で読み終えた本や人から贈られた本などをそこに置き、人が出会える場所となれば、それが「まちライブラリー」という図書館になる。

よく言えばフレキシブル、逆に言えば曖昧な仕組みだ。要は緩やかなネットワークで、本を通じて人が繋がっていけばいいというおおらかな発想のもとで生まれたのが、この「まちライブラリー」である。「マニュアルなど方法論で縛るよりも“本を活用する”という一点だけでネットワークを作るほうが自由で気楽に参画しやすいと考えました」と礒井氏は言う。

2013年4月に礒井氏の出身地である大阪市の大阪府立大学のサテライトキャンパスから始まったこの私設の図書館の取り組みは、大型の商業施設や病院、飲食店舗などにも広がり、今では全国に1100か所以上の「まちライブラリー」が誕生している。しかも、その多くが近隣の人々のサロンとして、シニア世代から子供たち、学生まで多様な世代の人が触れ合う場として運営されているのだ。

なぜ、全国に様々な形の「まちライブラリー」が誕生しているのか。もちろん礒井氏をはじめ関係者の努力は大きいだろうが、一つは全国の公共図書館が突きつけられている厳しい現実がある。「家の近くの分館がいつのまにかなくなった」「読みたい本や雑誌がない」。自治体の予算削減のしわ寄せを受けやすいのは公共の図書館である。

もちろんコーヒーショップや本屋を併設して、市民の利用を増やそうという先進的な試みに力を入れているところもあるが、残念ながらまだ少数派に過ぎない。逆に学習コーナーを無くしたり、パソコン利用不可という図書館もある。静粛な環境にしたいという事情もあるだろうが、そうした公共図書館の現状が、地域のコミュニティとしての場を奪ってしまい、結果的にだが「まちライブラリー」の拡大を後押ししているのではないか。

さらに、身近にある本という存在を媒介として場所を日常の生活空間としたことで、自然に人が集まりやすい環境が熟成されていったことも大きな要因だ。実際、商店街の空き店舗に本棚だけを置いて貸し借りが可能な場を作ったり、神社の本堂や社務所をライブラリーにしているケースもある。必然的に、そこには地域のコミュニティが生まれ、現在では様々な形のイベントが「まちライブラリー」を核に催されているという。

最近、「“まちライブラリー”の研究」という本をみすず書房から上梓した礒井氏は、著書の中で「まちライブラリーは大きな社会的目標をもって始めたわけではない。本と人をつなげるという個人的な思いで始めた活動が、組織から離れた自分自身の癒しにもなり、それが多くの人に伝播し主体性のある活動となって広がった」と記している。

その礒井氏の個人的な、しかも強い思いが、結果的に地域の場つくりやコミュニティの形成を促し、そこにかかわる人たちの生きがい、やりがいを感じる活動に繋がった。それが全国で私設の図書館である「まちライブラリー」という形に繋がった、と分析すればわかりやすいかもしれない。

ちなみに礒井氏は、この著作に「“個”が主役になれる社会資本づくり」という副題をつけている。市井の人たちが協力し合って頑張って作り上げてきた小さな図書館、そして「地域の居場所は自分たちで作る」という礒井氏の思いが込められた言葉である。同時に、小さな社会資本である「まちライブラリー」がこれから果たすべき役割を印象付ける一言でもある。


 

プロフィール

イノベーションズアイ編集局
編集アドバイザー
鶴田 東洋彦

山梨県甲府市出身。1979年3月立教大学卒業。

産経新聞社編集局経済本部長、編集長、取締役西部代表、常務取締役を歴任。サンケイ総合印刷社長、日本工業新聞(フジサンケイビジネスアイ)社長、産経新聞社コンプライアンス・アドバイザーを経て2024年7月よりイノベーションズアイ編集局編集アドバイザー。立教大学、國學院大學などで「メディア論」「企業の危機管理論」などを講義、講演。現在は主に企業を対象に講演活動を行う。ウイーン国際音楽文化協会理事、山梨県観光大使などを務める。趣味はフライ・フィッシング、音楽鑑賞など。

著書は「天然ガス新時代~機関エネルギーへ浮上~」(にっかん書房)「K字型経済攻略法」(共著・プレジデント社)「コロナに勝つ経営」(共著・産経出版社)「記者会見の方法」(FCG総合研究所)など多数。

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