第2回
知られざるミャンマーと日本
合同会社ジーフロッグ 木村 賢嗣
【ミャンマーの「首都」は、ヤンゴンでしょ!?】
軍事政権下、1989年に「ビルマ」から「ミャンマー」に国名が変更されました。
また同年、首都名が「ラグーン」から「ヤンゴン」に改称されました。
2006年に首都が「ヤンゴン」から「ネピドー」に遷都されました。
ミャンマーの首都は「ヤンゴン」と勘違いしている人も多いようです。
ミャンマーは大きな都市と、各地域に人口が分散しています。
・ヤンゴン (約736万人):第一の都市
・エヤワディ(約618万人)
・マンダレー(約616万人):第二の都市
・シャン (約582万人)
・ザガイン (約532万人)
・パゴー (約486万人)
・マグウェー(約391万人)
・カライン (約318万人)
・モン (約205万人)
【「ミャンマー」の歴史】
11世紀~ バガン王朝
2019.07.06 バガン遺跡が世界遺産登録決定!
1886年~ イギリスの植民地
ビルマ時代の王朝が消滅
1942年 アウン・サン将軍と日本軍によりイギリスを駆逐
アウンサンスーチーさんの父親
「建国の父」と呼ばれる大英雄
「面田紋次」という日本名を持っていました
雷将軍(鈴木敬司氏)への信頼が、親日国としての
礎となっています
アウン・サン将軍の言葉
『父親が子供に教え諭すがごとく、その子供を守るがごとく
雷将軍は真の愛情をもって、ビルマ独立義勇軍の兵士全員を教え
全員をかばい、全員のことに心を砕いてくれた。
ビルマ人は老若男女を問わず、これを忘れることは決してない。
たとえ世界が亡ぶとも、われらの感謝の気持が亡ぶことはない。』
※ミャンマーにおいてアウン・サン将軍は絶大な存在です。
そして、アウンサンスーチーさんは国民から「お母さん」と
呼ばれる存在です。
1947年 アウンサン将軍暗殺
1948年 ビルマ連邦共和国として独立
1962年 軍事クーデターにより軍事政権となる
1989年 NLD書記長アウンサンスーチーさんを自宅軟禁
国名をミャンマーに変更
最大都市名をラグーンからヤンゴンに改称
★空港名や飛行機のフライトインフォメーションで
ヤンゴン国際空港が「RGN」と表示されているのは
旧名ラグーンだからです
2006年 首都をネピドーに遷都
2010年 アウンサンスーチーさんの自宅軟禁解除、国旗を変更
2011年 文民政権発足、ミャンマー連邦共和国に改名
2014年 検閲廃止、「新メディア法」が成立
★ミャンマー人の知識意欲の開花
2016年 NLD主導の新政権発足 ~民主化の始まり~
【「ミャンマー」と日本】
第二次世界大戦後、最初に平和条約締結をした国はミャンマーです。
当時、食糧危機に瀕していた日本を救ってくれたのはミャンマーです。
多くの日本人が救われた事実があります。
2017年度、日本政府の海外支援国として「無償資金協力」、「技術協力」
の分野において、世界で二番目に協力している国です。
2019年9月末日まで、日本はミャンマーへビザ無しで渡航できます。
【「ミャンマー」の歴史から】
歴史的な背景からもミャンマーと日本は不思議な「縁」のある国です。
一般的には知られていませんが、ミャンマーも「神」の存在する国です。
日本のベースは「神教」であり、ミャンマーとの共通点の一つです。
国民性が似ている理由が多々ある不思議な国、それはミャンマーです!
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
プロフィール
合同会社ジーフロッグ
代表社員 木村 賢嗣
富士通株式会社へ新卒入社後、日本初の銀行ATM搭載タッチパネル設計に従事(スマホのタッチパネルなど現代に欠かせない礎を築く)、世界初となるプラズマディスプレイ設計に従事。その後、セイコーエプソンにおいて、USB2.0規格に準拠したスキャナーの組み込みソフトウェア開発に従事。リーマンショックの影響により建築業界へ転職、飛び込み営業として営業スキルを習得。
日本の人口減少という課題にミャンマー人材と共に解決に取り組み、ミャンマー発展のために寄与することを経営理念として、2018年3月に合同会社ジーフロッグを設立、CEOに就任。
30年以上のエンジニア経験と過去の実績を活かしたイノベーターとして、ミャンマーと日本の新しい未来を創造するため活動している。
Webサイト:合同会社ジーフロッグ