第16回
ものづくり漫画のパイオニア「ナッちゃん」が復活――日本の製造業へのメッセージ【中編】
イノベーションズアイ編集局 加賀谷 貢樹
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漫画「ナッちゃん」を通じて描きたかったこと
前回に引き続き、「ものづくり漫画のパイオニア」として今でも根強いファンを持つ「ナッちゃん」の作者、たなかじゅん氏にインタビューを行っていく。
まずは、たなか氏が、町工場やものづくりをテーマにした漫画を描こうと思ったきっかけについて聞いた。
「僕の実家は零細の鉄工所です。親父のほかに職人さんが1人いて、母が経理と溶接をしていました。それを子供の頃からずっと見てたんです。1階が工場で2階、3階が住居というのは『ナッちゃん』と同じ。阪本工作所はうちの実家がモデルですから。
工場では、親父が楽しそうに仕事をしてたんです。機械を作るのが好きやったし、何か機械のアイデアを聞かれると、いろいろ考えて、ごちゃごちゃいじって作ってしまうんです。楽しそうにものづくりをしている父の姿を、『ああ、面白いな』と思ってずっと見てました。僕自身もものづくりが好きだったので、工場にある工作機械を使って模型を作っていましたよ(笑)」
たなか氏は、漫画「ナッちゃん」のルーツである実家の鉄工所・田中工作所の思い出をこう語る。
大学在学中に小学館の「新人コミック大賞」青年部門で入賞を果たし、大学卒業後に漫画家としてデビューしたたなか氏。当初、「自分の漫画がまったく描けない」と悩んだ時期もあったが、徐々に自信を取り戻し、青年漫画のジャンルでオリジナル作品を描こうと思い立つ。
「青年漫画の主人公って、基本的に職業を持ってるじゃないですか。その職業を何にしようかと、あれこれ考えたのですが、自分の実家も工場だし、よく知っているから工場を描いてみようと思いました。でも、それだけでは面白くないから、主人公を女性にしようと考えたんです。主人公が女の子で、工場で油まみれになっているという設定にしたらいけるんじゃないか、という発想ですね。だから最初は、ものづくりうんぬんという部分をあまり強調していなかったんです」(たなか氏)
ところが2話、3話と描き進めていくうちに、たなか氏の心の中には沸々と、ものづくりに対するある思いが湧いてきた。
「バブルの頃からそうだったのですが、当時、鉄工所とか町工場といえば『3K(きつい、汚い、危険)』の典型といわれ、蔑まれる風潮がありました。テレビドラマなどで鉄工所が出てくると、必ずといっていいほど『お父ちゃんはこの鉄工所で苦労して私を育ててくれた』といった苦労の代名詞として取り上げられるんです。あるいは、元請けから値段を叩かれる下請けの苦労みたいなものばかりが描かれるんですよね。ドラマの制作者側としては、社会派的な描き方で番組を作っていると思うのですが、こちらにしてみれば、そういうことは一面にすぎません」と、たなか氏。
もう1つ、たなか氏が指摘するのが、町工場もしくは中小製造業で働く人々に対する偏見だ。『下町鉄工所奮闘記 ナッちゃん 東京編』の第3巻に、子供たちを工場見学に引率した小学校の先生が、「みんなもしっかり勉強しないと将来こういうところで働くことになりますよ」とクギを刺すエピソードが登場する。
残念ながら、これはフィクションではない。たなか氏が町工場で何度も耳にした実話で、彼が「ナッちゃん」を通じて描いてきたものは、そういう偏見に対するアンチテーゼでもあるのだ。
「(元請に搾取される)下請けの構造うんぬんではなく、『お客さんの機械にこんなトラブルがあったけど、こうやって直した』とか『こんな面白い機械を作った』という鉄工所の仕事そのものに、問題解決のプロセスや作業工程も含めてスポットライトを当てたら面白いのではないか。またそこに、現場の工夫がリアルに描かれていれば、作品を読んでくれる人が、自分も一緒にものづくりをしているような気になってくれるのではないか」とたなか氏は考えた。「僕自身、楽しそうに仕事をし、機械をいじっている親父の背中を見て育ち、そこにスポットライトを当てた作品もなかったから、『それや!』と思ったんです」(たなか氏)
ものづくりの「質感」とリアルさを漫画に描き込む
最新作の『戦国鍛冶屋奮闘記 ナッちゃん 鉄砲編』にしろ、『ナッちゃん』本編や「東京編」にしろ、自分で手をかけてモノを作ることの楽しさや喜びを、リアルさにこだわりながら表現してきたことが、たなか氏の揺るぎないポリシーだ。
その1つが、ファンの間で話題の「擬音萌え」。たとえばボール盤で板に穴を開ける際、最初はゆっくり、中間は普通にグッと力を入れ、ドリルが板を貫通する手前で再びゆっくりとレバーを押していくが、その間の作業を描いたコマに出てくる「グリグリグリ」、「スコ!」という擬音が、ものづくり好きにとってはたまらない。「グリグリグリ」という擬音とともに、細長いらせん状のキリコ(切りくず)が出てくるところも描き込まれている。
「僕が『ナッちゃん』を描いたときに大事にしていたのは『質感』です。ボール盤で金属に穴を開けるとき、『グリグリグリ』という音がして、硬い鉄やったらキリコがクルクルクルと出てきます。でも真鍮なんかに穴を開けると、細かいキリコがパラパラパラと出てくるんですよ。そういうことをちゃんと擬音なり絵で表現してやると、読者が一緒にものづくりをしているような気になってくれるんです」と、たなか氏は語る。
ストーリーの多くは、家業の田中工作所を継いだ弟の田中了氏に綿密に取材し、実際に仕事で行った修理作業や機械の製作のエピソードをもとにしたものが多く、たなか氏の父が作った機械も登場しているのが面白い。
たとえば『ナッちゃん』本編の第14巻に、300枚の丸板に穴を4つ開ける仕事を3日間でやってもらいたいと依頼される話が出てくるが(のちに納期が2日間に短縮される)、ナッちゃんは、4本のドリルで1度に4つの穴を開けられる4軸のボール盤を作り、作業をたった1日で終えてしまうのだ。
「そういう作業は今ならマシニングセンタでできますが、当時、実家には汎用フライス盤と汎用旋盤、あとは溶接機やプラズマカッターぐらいしかなかったので、親父は本当に4軸のボール盤を作ったんです。うちは機械からベランダ、階段に至るまで、一品物を作ることが多かったのですが、一品物はあまり儲からない。逆に同じモノをたくさん作る、いわゆる数物の仕事は儲かりますが、仕事としてはあまり面白くないのです。だから楽をしたいんですよね。同じ作業を繰り返すなら、それをいかに速く、単純な作業で安く仕上げられるかということを考えます。そのためにどう工夫するのかといったアイデアを考えるのは楽しいことだし、困ったときにあれこれ考え、『あっ、こうやったらできるやん』と気付くことは、とても前向きでいいと思いますね」(たなか氏)
――次回に続く――
プロフィール
ジャーナリスト 加賀谷貢樹
1967年、秋田県生まれ。茨城大学大学院人文科学研究科修士課程修了。産業機械・環境機械メーカー兼商社に勤務後、98年よりフリーに。「イノベーションズアイ」のほか、オピニオン誌、ビジネス誌などに寄稿。著書に『中国ビジネスに勝つ情報源』(PHP研究所)などがある。
ものづくり分野では、メイド・イン・ジャパンの品質を支える技能者たちの仕事ぶりのほか、各地の「ものづくりの街」の取り組みを中心に取材。2008および2009年度の国認定「高度熟練技能者」(09年度で制度廃止)の現場取材も担当。
愛機Canon EOS-5Dを手に、熟練技能者の手業、若き技能者たちの輝く姿をファインダーに収めることをライフワークにしている。
【フェイスブック】:http://www.facebook.com/kagaya.koki
【ブログ】:http://kkagaya.blog.fc2.com/
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