第8回
史上空前の円高・不景気を生き抜く――製造業の「海外シフト」から見えてくるもの
1ドル=70円台という歴史的な円高が進行している。史上初めて為替レートが1ドル=80円を切った1995年、私はある機械メーカー兼商社にいた。海外案件の受注がパッタリ止まり、慌てて訪れた顧客先で「日本製品は値段が合わないから、見積もりをしてもらうのも気の毒だ」といわれたことを、今日のことのように思い出す。
今年9月中旬の報道によれば、政府の総合円高・空洞化対策の本格実施は11月以降になるとのことだが、産業界は困惑を隠せないでいるのではないか。
9月16日付け日刊工業新聞は、東京都葛飾区の中小企業17社が11月にベトナムのホーチミン市に訪問団を派遣し、現地における市場開拓や生産拠点の開設に向けた調査を行うと報じた。「急激な円高など国内市場の先行きが不透明」であることがその理由だという。また各地で、地元の中小企業向けに海外展開セミナーもしくは海外展開支援事業が盛んに行われており、東京商工会議所も10月に「中小企業国際展開アドバイザー制度」をスタートさせるという。
話が前後するが、中小企業基盤整備機構が8月23日に公開した「中小企業海外事業活動実態調査」平成22年度調査報告書(企業からの有効回答数777社、うち海外展開企業505社)によれば、海外事業の現在の目的について、製造業(462社)では「製品・サービス等を海外で販売(58.2%)」に次ぎ、「国内市場に危機感を抱いたため」という回答が42.5%を占めている。同報告書のアンケート調査は昨年12月20日から今年2月4日にかけて行われた。国内市場に将来展望を見いだすことに難しさを感じるものづくり中小企業の苦悩が、けっして一過性のものではないことが同調査からも見て取れる。
企業OBが集まり、中小企業の海外展開を支援
こうした中、海外業務の経験豊富な企業OBが集まり、中小企業の海外展開を支援するために結成された任意団体の海外事業展開事例研究会(http://success-abroad.com/)が、9月16日にかながわ県民サポートセンター(横浜市神奈川区)で開催した第1回セミナー「アジアの事業経験から抉(えぐ)る」に足を運んだ。
同研究会は7月25日にキックオフミーティングを行い、活動を開始。発起人には、現役時代に工作機器メーカーや電機メーカー、自動車・自動車部品メーカー、化学メーカーなどに勤務し海外経験を積んだ11人が名を連ねている。現地法人の立ち上げや責任者を経験した人もいる。第1回セミナーには同研究会会員のほか、海外進出を考えている中小企業の経営者など約60人が参加した。
セミナーの冒頭、神奈川県産業振興センターでマーケティングアドバイザーも務める猪狩惇夫理事長が、同研究会設立の経緯について説明したあと、精密プレス金型の製造などを手がける昭和精工(株)(横浜市金沢区)の木田成人副社長が講演を行った。木田氏は「中小企業は戦後数多くの困難を克服してきたが、かつてのような『欧米企業に追いつき追い越せ』という姿勢ではなく、現在のライバルである中国・韓国・台湾および周辺の東南アジア諸国の攻勢が著しい中で、自分の位置を守りながら事業展開を考えていく必要がある」と語り、「中小企業は海外に対する知識がほとんどないので、『こういうことは常識だ』と思わずに、こと細かいことからアドバイスをいただきたい。一緒に汗をかきながら二人三脚で作業を行っていきたい」と、一中小企業としての実情を訴えた。
次いで4人のパネラーが、アジア新興国の最新事情および自身の海外経験を通じて得た現地ビジネスの成功のポイント、リスクなどについてプレゼンを行った。
石川雅也専務理事は、現役時代に勤務していた欧州鋼材会社で、日本向け生産拠点としてタイ工場を設立した経緯を説明。当初対象とした6カ国の中でどんな調査を行い、どういう判断基準のもとに意思決定を行ったのかを披露した。
また木村行祐理事は、中国で2008年に制定された「労働契約法」による労働市場の変化を中心に、現地の最新事情を解説。労働者の賃金高騰が進む中国では、人材確保が大きな問題になっており、設備の自動化を推進することで対応する日系企業が増えているという。
さらに、山下定良理事がインド市場について、関知耻忠理事がタイ市場についてのプレゼンを行ったが、両氏ともに文化の違いや国民性の問題を強調していた。長引く国内市場の低迷や円高のもと、いわば「右習え」的に海外シフトが加速する中、こうしたヒューマンリソースの問題が見落とされがちであるだけに、重要な指摘である。
同研究会では、中小企業の海外展開の相談・助言から、進出企業と海外企業・団体とのマッチング、現地法人の立ち上げ・稼働の支援までをワンストップで行っていくという。次回のセミナーは、11月28日に横浜市中区の万国橋会議センターで開催される。
企業が日本で「成長ビジョン」を描けるグランドデザインが必要だ
海外勤務経験が豊富な企業OB等からなる海外事業展開事例研究会の第1回セミナー風景
2008年に中国で制定された「労働契約法」および現地の最新ビジネス事情について解説する同研究会の木村行祐理事
目下、国内産業の空洞化が進行しつつあることに忸怩たる思いはある。だが、長引く不況、東日本大震災による影響、そして超円高という厳しい経営環境に置かれながらも、海外市場も視野に入れつつ、自助努力で必死に生き抜こうとしている企業の実情に対して、真摯に向き合う必要があるだろう。前向きに考えれば、海外市場でも成功できる強い中小企業が育ち、将来何らかの形で日本国内に富を還元してくれることを期待したいところだ。
しかしその一方で、多くの企業が抱く「国内市場に対する危機感」を、そのまま放置していいはずがない。
9月19日、野田首相は第三次補正予算案に3000億円規模の雇用創出産業立地補助金を盛り込み、企業の国内投資や国内立地を補助する考えだと報道されたが、はたして思惑通りに事が運ぶかどうかは疑問だ。同補助金の規模もさることながら、企業が今後、国内市場で成長ビジョンを描けるような明確な戦略が打ち出されなければ、経営者が目下のリスクを賭して国内投資に舵を切るとは考えにくい。さらに、デフレ経済が深刻化する中で「来たるべき増税」の議論も進行している。
良かれ悪しかれ、企業経営は経済的合理性を超えることはできない。また、戦術は戦略を超えられない。そう思い至る時、東日本大震災直後に取材したモルガン・スタンレーMUFG証券マネージングディレクターのロバート・フェルドマン氏が語った、「日本人みんなが、"I have a dream"といえるようなグランドデザインが必要です」という言葉の重みを改めて痛感するのである。
プロフィール
ジャーナリスト 加賀谷貢樹
1967年、秋田県生まれ。茨城大学大学院人文科学研究科修士課程修了。産業機械・環境機械メーカー兼商社に勤務後、98年よりフリーに。「イノベーションズアイ」のほか、オピニオン誌、ビジネス誌などに寄稿。著書に『中国ビジネスに勝つ情報源』(PHP研究所)などがある。
ものづくり分野では、メイド・イン・ジャパンの品質を支える技能者たちの仕事ぶりのほか、各地の「ものづくりの街」の取り組みを中心に取材。2008および2009年度の国認定「高度熟練技能者」(09年度で制度廃止)の現場取材も担当。
愛機Canon EOS-5Dを手に、熟練技能者の手業、若き技能者たちの輝く姿をファインダーに収めることをライフワークにしている。
【フェイスブック】:http://www.facebook.com/kagaya.koki
【ブログ】:http://kkagaya.blog.fc2.com/
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