第1回
電撃辞意の静岡県知事、その理由は意味不明
イノベーションズアイ編集局 経済ジャーナリストA
静岡県の川勝平太知事が4月2日、突然辞意を表明した。1日に行われた新規採用職員に対する訓示の中に職業差別ともとれる発言があり、その件について記者団からの質問に応える席上でのことだった。
川勝氏はさらにその翌日(3日)、正式な記者会見を開いた。そして、辞任の理由について“失言で迷惑をかけたこと”とともに、これまで水資源や生態系への影響から懸念を示していたリニア中央新幹線の県内工事問題が“大きな節目を迎えたこと”などを挙げた。
川勝氏は、これまでも失言が多かった。御殿場市を揶揄した「あちらはコシヒカリしかない」というコシヒカリ発言の際には県議会で辞職勧告決議がなされ、その際に表明した給料やボーナスの返納がなされなかったことから後には不信任決議案も提出されている。加えてこの時には、再度こうした発言があった場合は辞任することを表明。今回はこの時の“約束”を果たした。
ということなら、納得もできスッキリもする。が、改めて最大の辞任理由を問われると「リニア問題が節目を迎えたこと」を挙げた。
不思議だ。
リニア問題は節目を迎えているのだろうか。傍からみると、混迷を極めているようにしか思えない。
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川勝氏の弁によれば、どうやらこの“節目”とは2023年度末(3月29日)に「リニア中央新幹線静岡工区モニタリング会議」という国土交通省の委員会でJR東海が事業計画を“公式”に説明したためらしい。
その内容とは、「リニアの静岡県内の工事にいますぐ着工しても、完成までには10年かかる」というものだった。ちなみに、まだ工事の前提となる議論が続いていることから“いますぐ”着工はできない。要は、2027年としていた開業時期が、早くても10年後である2034年以降になる、と表明したわけだ。
川勝氏は、これのどこが“節目”だというのだろうか。ますますどうにもならない状況になってきたように思うのだが。
この状況に陥ったことが節目だとすると、言葉の上からは“開業時期を大幅に遅らせることができ、かつ、このままいけばさらに遅れる状態にできた、という目的を達成できた”とも解釈できる。
川勝氏は、表向きには「リニア中央新幹線の早期開業」を掲げてきた。半面で、多くの懸念も示したきた。そして、結末もよく分からない。困ったことだ。
リニア中央新幹線は、財政投融資を受け入れているものの、国の事業ではない。民間企業による投資案件だ。
人口減少下に伴い、鉄道の新設はおろか延伸の計画もほぼなくなっている。むしろ、災害で不通になったローカル線が復旧できず廃線にするケースも増えると考えられている。
コロナ禍の後遺症もある。リモートワークの普及で、なんから出張しなくてもよくなってきた。こんな状況下で、いくら東京と名古屋や大阪を結ぶとはいえ、10年も計画が遅れる。計画自体の維持だって容易ではない。
そう考えると、川勝氏はリニア計画の破壊にメドをつけた、という憶測も成り立つ。
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リニア中央新幹線には、いろいろな経済効果が期待されている。東南海地震で現行の東海道新幹線や東海道線が稼働できなくても東西の交通が維持できると考えられている。こうした危機管理面のほか、リニアの経路にあたるエリアにもたらす経済効果、リニア新幹線の技術やノウハウなどの巨大輸出商材化なども期待される。県内をトンネルで通過するため停車駅などがない静岡県にも、東海道新幹線の「のぞみ」客がリニアに移行することで「ひかり」や「こだま」の増便も期待でき、東海道新幹線の利便も向上するとみられている。折しも静岡では駅前の再開発プロジェクトが始動しているが、先行きが見通せない中では、こうした恩恵を視野に入れた投資も難しい。駅前再開発などは地域活性化のいいきっかけだが、先行きが不透明だと乗数効果を生みにくくなりかねない。
一連の静岡の混乱が県外も含めた地域経済に少なからず影響する。巻き込まれるのはJR東海も含め民間企業や住民ばかりだ。なにかにつけて巻き込まれるわれわれは、仮に計画が大きく変更されても対応できるプランを常に持っておく必要がある、と改めて感じた。
川勝氏を巡る騒動は、今後も辞任→知事選→新知事による施政…と続いていくことになるが、先行きはまったくもって不透明だ。
【よどみのうたかた】
鴨長明の方丈記の書き出しには「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし世中にある人と栖と、又かくのごとし…」とあります。下賀茂神社の息子である鴨長明は、下賀茂神社下流側の下賀茂デルタを形成する鴨川のほとりで川の流れをながめ、われわれの人間社会を流れにたとえています。ここでいう「よどみ」は流れが緩やかになった場所、「うたかた」は泡ですが、われわれの社会の成功者も生まれては消える「よどみのうたかた(泡)」のようなもんだ、と。この例えを拝借し、勝手な解釈も交えながら、さまざまな“流れ”について、“よどみ”の中から“うたかた”のような筆者が“うたかた”のようなヒト・モノ・カネ・その他に対して随筆型のコラムを発信していきます。