日本製鉄によるUSスチールの買収がもめている。もめているというか、当事者以外から買収反対の声が上がり、米大統領選が近づく中で象徴的に取り上げられている。
大統領選に出馬表明している共和党のトランプ元大統領は早々にこの買収に対して反対を唱えていたが、9月に入ってからは民主党の候補者となったハリス副大統領も反対の意向を表明。ここにきて、バイデン大統領がこの買収を阻止する最終調整に入った、と複数の欧米メディアが伝えた。状況は一段と厳しくなっている。
1980年代。日米は貿易摩擦で大いにもめた。半導体などの電子関連や牛肉、オレンジといった農産品にはじまり、さまざまな分野で日本には市場の開放が迫られたのを思い出す。80年代後半から90年ごろには、ソニーによるコロムビア映画の買収や三菱地所によるロックフェラーセンター買収などが続いた。これらは“ジャパンマネー”による海外資産の買いあさりとみなされ、米国民の大きな反感を買い“ジャパン・バッシング”に拍車をかけた。
このころもその都度、買収に対する反対論が唱えられた。しかし、今回はそのころとはムードが違う。今や日本経済にもそのころのような勢いはなく、“ジャパン・バッシング”の高まりもない。
日本から進出したホンダやトヨタの自動車、ゲームやアニメ、日本食のような文化も根付いた。ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平も大人気だ。
にもかかわらず出てきた買収阻止論。火付け役はトランプ元大統領だが、世界に自国最優先主義が渦巻く中で、害はなくとも、不利になりそうな“気がする”ことさえ許さない、という風潮が高まっているということかもしれない。
バイデン大統領による買収阻止は強制的なものになる可能性がある。その理由は「安全保障上の懸念」とみられている。
ただ、安全保障に及ぼす影響を審査している米国の外国投資委員会は、まだ勧告書などを提出していないという。日本製鉄も、外国投資委員会からの審査結果は受領していないとしており、関係当局にはこの買収が安全保障上の懸念がないことを示してきた。
買収後は経営陣の中枢メンバーや取締役の過半数を米国籍とすることを公表。現地の製鉄所に日本円で1800億円以上の追加投資を行うとともに、USスチールが国内生産した製品を優先し、国外からの製品流入は抑える方針を示してきた。
が、これに納得していないというか、それよりもなによりも、11月の大統領選だ。候補者が今回の買収に反対している労働組合の票を取り込みたい、ということだ。
USスチールにとっても米国にとっても今回の買収は悪い話ではない。USスチールの経営トップは、買収が成立しなかった場合、老朽化したペンシルベニア州にある製鉄所の閉鎖や本社移転、人員調整についても示唆している。かえってひどいことにもなりかねないからだ。それでも、よくない方向にエスカレートしている。
米国では、今回の買収について大統領が中止を命令できるのだという。ということは、バイデン大統領が中止命令を出せばこの話は終了だ。
今回の買収については、昨年末に日本製鉄とUSスチールが合意し、今春のUSスチールの臨時株主総会でも賛成多数で承認されている。買収が阻止されれば、USスチールの経営は一段と厳しさを増す。
コーポレートガバナンスにうるさい米国企業で、株主総会の承認された決断が外的な要因によって実現できない、という例はあまり聞かない。カントリーリスクなどは無いと考えられてきた米国での話だけに、もし実現しないなら衝撃的だ。
欧米メディアが9月4日、バイデン大統領が買収中止命令を準備している旨の報道をすると、USスチール株は20%を超える大幅な値下がりとなった。そりゃそうだろう。
もっとも、コーポレートガバナンスは株主主義のように考えられがちだが、そういうわけでもない。本来は、顧客や従業員、立地する地域などさまざまなステークホルダーの利害を満たしていく必要がある。そもそも、USスチールの場合、株主は米国籍とも限らない。企業価値は株価だけではみえない部分も多い。
ただ、株価はいろいろな要因が織り込まれた結果として市場で決まる。あくまでも時価総額という面から見たUSスチールの企業価値は、買収で高まるのだ。
ペンシルベニア州は大統領選の激戦区とされる。選挙人の数も多い。労働者票が大きく選挙に影響するという事情もある。そして、USスチールはこの地域の象徴的企業だ。
大統領選に臨むどの陣営にとっても死守したいエリアだけに、政争の具となった。おそらく、この時期に大統領選がなければこうはなっていなかっただろう。自由主義の旗手のようにいわれてきた米国だが、実態はこんなもんなのだ。