「システム開発の事業を立ち上げられたのですよね。最近の調子は如何ですか?」
「順調に立ち上がっていると思います。従業員も何人か雇って開発を本格的に始めました。」
「それは素晴らしいですね。事業を立ち上げた時、一番の関門は仕事を得ることなのですから。それがうまくいっているのなら、今後も順調と考えても良さそうですね。」
「いえ、それに関しては、あまり楽観的ではいられないのです。今取り組んでいるのは、起業する前に勤めていた会社からもらった仕事なんです。いわば、前世紀の遺産で食べているような感じです。」
「そうですか?でも、それをきっかけに拡大していくことはできないのですか?」
「今まで取引のない人と比べたら、幾らかは有利かもしれませんね。しかし、その会社から独立した従業員は、私以外にも何人かいます。うまくいった人は取引を継続できていますが、そうでない人もあります。」
「そういう諸先輩たちの経験から、何か学べませんか?」
「それが、なかなかパターンが読めないんです。在社時は発注契約の承認をしていた管理職でさえ、独立したら、ふるいから落とされることがあります。もしかしたら、発注の基準が変わったのかもしれません。」
「発注基準は、不備があったのですか?」
「そんなことはないと思います。結構、よくできた基準だと思っていました。」
「そうですか。なら、他の原因を考えた方が良いかもしれませんよ。」
「他の原因って、何か思い当たることがあるのですか?」
なぜ落選するのか?
「いえ、確たる自信はないのですけどね。在社時は発注契約の責任者だった方も落選したというお話を聞いて、もしかしたらと思ったのです。」
「どういうことですか?」
「みなさん、発注基準をクリアすることだけに注意を向けてしまっているのではないかと。」
「発注基準をクリアすることに注意を向けることが、いけないことなのですか?」
「発注基準を考えるのは、必要なことです。でも、それで十分ではありません。継続的に受注を得るには、満たさなければならない条件が他にあると思います。」
「何ですか?」
「お客様の欲求を満たすことです。」
「そんな基礎的なことですか?もちろん、満たしていますよ。」
「そうですか?それなら良いのですが。」
顧客の欲求を満たすとは?
「顧客の欲求を満たすことについて、自分では対応していると思っていましたが、そこまで言われると気になってきました。ご説明頂いて良いですか?」
「もちろん。沢村さんが考える、顧客の欲求を満たすこととは、どういうことですか?」
「それは開発するシステムについて満足なQCDを実現することです。つまり、エラーのないシステムを、予め定めたコストで、約束した納期に収めることです。」
「それって、もしかしたら発注基準のことですか?」
「良くお分かりですね。いろいろ言葉が並んでいますが、発注基準とはQCDを満たせるかどうかです。」
「とすると、発注に至った企業は全てQCDは満たせると認められた企業だということですね。それで、プロジェクトが完了した時にQCDに不足があった企業など、あるのでしょうか?」
「トラブルのない企業などありません。しかし、皆、それなりの対応を執ります。不合格の企業は、ほとんどありません。」
「そういう中、次に発注が来る企業と、発注のこない企業がある訳ですね。」
「その通りです。」
「では、顧客の欲求を満たすことと発注基準を満たすことは別だと考えた方が良いのではないでしょうか。」
「うーん。確かに。」
見本にしたい会社
「あなたが前の会社にいた時、ベンダー企業の対応に満足していましたか?」
「それは、それぞれですね。満足したベンダーもあり、不満足なベンダーもありです。感動レベルだったベンダーも、ない訳ではありません。」
「感動レベルの企業は、どこが違っていたのですか?」
「ユーザー部門との打ち合わせで丁寧だったベンダーですね。開発を始める前に、どこのベンダーでもをユーザー部門との打ち合わせをやります。でも、多くのベンダーは『我々はこのような開発をするけれど、それを認めるよな』と確認するスタンスに終始するんです。でも、時にはユーザー部門の要望をできるだけ取り入れるように努めるベンダーもいます。そして実際、それがかなり反映されたシステムを作ってくれるところが、感動レベルのベンダーなんです。」
「ところで沢村さんの会社は、どちらを目指していますか?QCDだけ満たしているベンダーですか?感動レベルの対応をするベンダーですか?」
「そう言われると、今のところ、QCDを満たすベンダーでしょうか。しかし、それは仕方ないのですよ。感動レベルの対応なんて、そう簡単にできるものではありません。」
感動に必要なこと:社内体制の整備
「そのベンダーは、なぜ、感動レベルの対応ができたのでしょう?」
「社内体制が整っていたからではないですか。」
「ほう?」
「ユーザー部門の意見を聞くなんてことは、言ってみれば誰だってできます。聞くだけで良いのですから。しかし、それを実現するには社内体制が整っている必要があります。社員の能力アップももちろんですが、要望を取り入れたらどれだけコストがかかるかを的確に見積もりして、以前に開発したモジュールを再利用するなどしてコストカットできるように管理するなどが、できる必要があります。」
社内と顧客を繋ぐマーケティング
「そうですか。つまり彼らは、適切なマーケティングを行ったということですね。」
「それはどういう意味ですか?」
「マーケティングについて、ドラッカーは『顧客は何を買いたいか』を 問い、『顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである』と提案することだと説明しています。」
「そうなんですか。」
「そして次には、それを実現して提供する必要があります。そのためには、提案したレベルの高い価値を実現できるように社内体制を整えていかなければなりません。ドラッカーは、この意味を当然に込めていたと思います。」
「なるほど。」
「米国マーケティング協会は『マーケティングとは、顧客に対し価値を創造・伝達・提供するための、そして組織と利害関係者が利益を得られるような方法で顧客との関係を管理するための組織的な機能および一連のプロセスである(筆者訳)』と定義しているそうです。」
「ドラッカーの趣旨を踏まえているわけですね。」
「そうです。価値を創造するために組織が行う機能やプロセスの全体が、マーケティングに絡むということなんです。」
「私の事例に当てはめていえば、感動的なサービス、つまり、ユーザー部門との打ち合わせを丁寧に行い、それを反映したシステムを提供することを可能にする社内体制を整えていくことが、マーケティングなのですね。」
「そうです。それを行ったベンダーが、次回の契約を獲得できたのではないでしょうか。」
「私もその仮説、正しいと思います。是非、マーケティングを始めたいと思います。」