第42回
道徳・倫理観を身につけている?
イノベーションズアイ編集局 経済ジャーナリストM
あの人なら何と言うだろうか。2023年7月に90歳で亡くなったため、もはや叶わぬことだが、ぜひ聞いてみたかった。人生の師匠といえる安田弘さんだ。
奉公人から身を起こして銀行を設立し、明治・大正期に旧安田財閥を築いた大実業家、安田善次郎翁のひ孫にあたる。人との約束、友情、信頼を誰よりも大切にし、礼節を重んじる翁の生き方を受け継いだ。翁が創立した安田学園中学校・高等学校(東京都墨田区)の理事長として、克己心や思いやり、道徳・倫理観を備える人間力の重要性を解き、それを身につける教育に力を注いだ。
取材を通じ多くのことを学んだ。翁の胸像がある応接室にいつも颯爽と現れ、背筋をまっすぐ伸ばして座る。その凛とした佇まい(風格)から胆力の持ち主であり、日本を愛する国士(憂国の士)であったと感じた。
それだけに気になったのが、今年話題になった言葉を選ぶ「現代用語の基礎知識選 2024ユーキャン新語・流行語大賞」だ。年間大賞に人気ドラマ「不適切にもほどがある!」を略した「ふてほど」が選ばれた。
ドラマを見ていないので何ともいえないが、トップ10に政治不信を示す「裏金問題」、首都圏などで相次ぐ強盗事件で話題になった「ホワイト案件」が入った。またノミネートされた30の言葉のなかには、闇バイトを募集する犯罪集団「トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)」があった。
どれも人間力が備わっているとは到底言えず、「勉強をやり直せ」と言いたくなる。弘さんも「日本人の民度が落ちている。道徳や倫理を学ばないからこうなる」と喝破するに違いない。それ以前に「戦後の日本では人間力、道徳の教育が置き去りにされた」と嘆くだろう。
まっすぐな人でもあったので、石破茂首相の言説や立ち居振る舞いに苦言を呈したであろうことは想像に難くない。自民党内にあって臆することなく政権批判を展開し、持論を主張してきた。政権野党として媚びない、ぶれない姿勢が国民の高い期待を集めたはずなのに、政権の座に就くと言動は一貫性を欠き、迷走。前言撤回も少なくない。
威勢が良かった「石破節」は一向に聞こえてこなくなった。党内基盤がぜい弱で少数与党なので仕方ないと言われればその通りだが、こんな首相に「リーダーの覚悟が感じられない。肝が据わっていない」と一喝するのは間違いない。
最後に取材で会ったのは新型コロナウイルス禍の20年12月だった。まさに国難というべき状況だったが、「政府のコロナ対応を見ていると危機感を覚える。国難の今こそリーダーの覚悟が問われる」と言い切った。加えて「善次郎も、リーダーに国を一つにする覚悟を求めるはずだ。その上で『コロナ危機は日本を見つめなおすチャンス』と強くアピールするだろう」と話した。危機を危険と捉えて身を引くのではなく、好機として生かすべきだと諭したのだった。
後半生は、安田学園改革に注力した。1991年の理事長就任後、人間力を身につける教育に徹底的に取り組んだ。翁の生き方を習得させるためだ。だから現状維持で十分と考える抵抗勢力から総スカンを食らうのも覚悟のうえで、学園改革のプロジェクトチームに「ダメなものはダメ、いいものはいい。私が全責任を取るから思い切りやれ」と発破をかけたという。当時を振り返った弘さんは、リーダーに求められる覚悟と責任を口にした。まさにリーダーの顔だった。
続けて「ひい爺さんは畑仕事の合間に寺子屋で学んだ。読み書きそろばんの基礎を学んだだけなのに、例えば日銀総裁が教えを乞うほどの最高の金融知識と人徳を備えた。そう至ったのはなぜか。燃えるような興味と目標達成意欲の持ち主であり、そのために(学園の教育目標である)『自学創造』、つまり自分で勉強して創造するということを実践してきたからだ」と話した。
学園改革の一環として、14年に男女共学・進学校化に舵を切った。グローバル人材の育成が目的で、自学創造の元、考える力をつける探求と英語学習に尽力した。海外でのプレゼンテーションやディベートに欠かせないからだ。一方で文武両道の校風は維持した。スポーツは忍耐力や協調性といった人間力を養うことができるとの思いからだ。
だから人間力、人間力と言い続けてきた。道徳・修身、倫理を子供のうちに会得することで世界から尊敬される日本になれると信じているからだった。
健啖家だった。何度も会食の機会をもらったが、コース料理は残さず平らげ、お酒(日本酒を常温でいただくことが多かった)も好きだった。政治や外交にも明るく、酒の席では「あなたはどう思う」と聞き、その後に「僕はこう思う」と自説を述べた。話す力だけでなく、聞く力も備えているから会話は楽しく毎回、勉強になった。
それにしても、弘さんが大切にした人間力を高める(というより養う)のは難しい。昨今の日本を見ているとそう痛感してならない。日本は美しい価値観、高い道徳・倫理により自らを律してきたはずだ。弘さんの卓見を聞きたかった。
- 第42回 道徳・倫理観を身につけている?
- 第41回 民法906条? 日本一美しい条文、相続問題は話し合って決める
- 第40回 「褒める」「叱る」で人は伸びる
- 第39回 危機管理の本質を学べる実践指南書 社員は品性を磨き、トップに直言する覚悟を
- 第38回 円より縁 地域通貨が絆を深める
- 第37回 相撲界を見習い、産業の新陳代謝で経済活性化を
- 第36回 広報力を鍛える。危機への備えは万全か
- 第35回 水素社会目指す山梨県
- 第34回 「変わる日本」の前兆か 34年ぶり株価、17年ぶり利上げ
- 第33回 従業員の働きがいなくして企業成長なし
- 第32回 争族をなくし笑顔相続のためにエンディングノートを
- 第31回 シニアの活用で生産性向上
- 第30回 自虐経済から脱却を スポーツ界を見習え
- 第29回 伝統と革新で100年企業目指せ
- 第28回 ストレスに克つ(下) 失敗を恐れず挑戦してこそ評価を高められる
- 第27回 ストレスに克つ(上) ポジティブ思考で逆境を乗り切る
- 第26回 ガバナンスの改善はどっち? 株主はアクティビスト支持 フジテックの株主総会、創業家が惨敗
- 第25回 やんちゃな人を育ててこそイノベーションが起きる 「昭和」の成功体験を捨て成長実感を求める若手に応える
- 第24回 人材確保に欠かせない外国労働者が長く働ける道を開け 貴重な戦力に「選ばれる国・企業」へ
- 第23回 人手不足の今こそ「人を生かす」経営が求められる 成長産業への労働移転で日本経済を再生
- 第22回 賃上げや住宅支援など子供を育てやすい環境整備を 人口減少に歯止めをかけ経済成長へ
- 第21回 賃上げで経済成長の好循環をつくる好機 優秀人材の確保で企業収益力は上昇
- 第20回 稼ぎ方を忘れた株式会社ニッポン 技術力で唯一無二の存在を生かして価格優位をつくり出せ
- 第19回 稼ぐ力を付けろ 人材流動化し起業に挑む文化創出を
- 第18回 リスクを取らなければ成長しない。政府・日銀は機動的な金融政策を
- 第17回 企業は稼いだお金を設備と人への投資に回せ 競争力を高め持続的成長へ
- 第16回 インパクト・スタートアップが日本再興の起爆剤 利益と社会課題解決を両立
- 第15回 適材適所から適所適材への転換を ヒトを生かす経営
- 第14回 日本経済の再興には「人をつくる」しかない 人材投資で産業競争力を強化
- 第13回 「Z世代」を取り込むことで勝機を見いだす
- 第12回 改革にチャレンジした企業が生き残る
- 第11回 「型を持って型を破る」 沈滞する日本を救う切り札
- 第10回 ベンチャー育成、先輩経営者がメンタリングで支援 出る杭を打つことで日本経済に刺激
- 第9回 コロナ禍で鎖国の日本 外国人材に「選ばれる」仕組づくりを
- 第8回 「御社の志は何ですか」社会が必要とする会社しか生き残れない
- 第7回 大企業病を患うな 風通しのよい組織を、思い込みは危険
- 第6回 常識を疑え、ニーズに応えるな ベンチャー成功のキラースキル
- 第5回 トップを目指すなら群れるな 統率力と変革の気概を磨け
- 第4回 脱炭素への対応が勝ち残りの道、事業構造の転換に本気に取り組むとき
- 第3回 東芝VSソニー 複合経営は是か非か 稼ぐ力をつけることこそ肝要
- 第2回 トップは最大の広報マン、危機管理の欠如は致命傷
- 第1回 リーダーに求められるのは発進力 強い意志と覚悟で危機に挑む