コロナ後の世界

第26回

「各自の判断」ができない日本人

イノベーションズアイ編集局  経済ジャーナリストA

 

3年間に渡った新型コロナウイルス禍だが、ゴールデンウィーク明けには感染症法上の位置づけも変わり、季節性インフルエンザと同様の扱いになる。

これに先駆け、政府が新型コロナ対策として推奨してきたマスク着用が13日から個人の判断に委ねられる。要は、しなくてもいい、と。マスクはコロナ禍の象徴でもあっただけに、いよいよ新たな段階に入る。

でも、そう簡単にマスクは視界から消えることはなさそうだ。例えばコンビニ。客にマスクを推奨することはなくなるが、従業員にはマスクが推奨されるという。鉄道会社やタクシーも、顧客と接する窓口や乗務員にマスクが推奨されている。まあ当然である。するな、という話ではない。心配なのは、マスクがいろいろなメッセージを発信する、ということだ。これは、マスクをしていないとどうみられるか、ということでもある。

それは、服装にも通ずる。そう、ドレスコードのような感じだろうか。ここは着けるべき、ここは無しでいい、みたいな。日本人的だが、ルールがないから面倒なのだ。

もちろん、各自の好みや気分で決めればいいのだが、“こういうところではするべきだ”という暗黙の空気あるとなやましい。というか、たぶんそうなることだろう。だとすれば、マスクはいつも持ち歩き、いつもその場で“空気を読む”必要が出てくる。

なんだか考えるだけでも面倒だ。

それなら、常時すればいいのか。

とある企業の経営者はマスクが嫌いだ。コロナ禍になってからはさらに嫌いになった。昨年ごろからは、マスクをしている従業員にも取引先にも「まだそんなのしてるのか」などと言うようになった。13日以降“マスクの着用は強要しない”というが、同時に“マスクをするな、という強要もダメ”にしないと、こういう人の周囲は引き続き大変だ!

でも、ゴタゴタ言う人はわかりやすい。自分を中心に考え、自分と違う考えを否定しているわけで、特殊なケースを除けば付き合わなければいい。だが、会社の上司や取引先の担当者がそういう人だった場合は困ったことになる。

各自の判断で…はいいが、日本の場合は、「着用の可否についてゴタゴタいってはならない」という“新たなルール”を加えたいところだ。が、本質はそこではない。

問題は〝近寄りたい相手がどう思うか〟が、わからないことだ。着用しないと嫌な印象を持たれるかもしれない、あるいは、つけないほうが好印象だろうか…

人格者ほど自分の好みを他人に押し付けるようなことはない。マスクをどうするか、という新たな思索が日常に加わるのは気が重い。

折しも、人と面談する機会が増え始めている。卒業式も今後の入社式も、さまざまなイベントも、3年ぶりに通常通り実施!というところが多い。そうした会合は主催者の意向に従うとしても、宴席などでは参加者個々の思惑が異なることだろう。

コロナ禍から脱却し、人と人とのリアルなコミュケーションが戻ろうとする中で、こうしたテーマをめぐってへんに分断、分裂が起きては本末転倒だ。

米国の実験で「ある学級の生徒に無作為で青い服を着るメンバーと赤い服を着るメンバーに分けると、この2つのメンバーが対立する」というのがある。

分断を生む要素はいろいろある。困ったものだ。

 

経済ジャーナリストA

 

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