第48回
オリンピック会場から想起した日本の出発点
StrateCutions (ストラテキューションズ)グループ 落藤 伸夫
前回東京大会がコロナ禍のため1年延期されたため3年ぶりとなるオリンピック大会がパリで始まりました。連日の日本チーム・選手の活躍と共に世界中のチーム・選手による競演には目を見張るものがあります。その中で一点、本筋とは違うのですが、フェンシング会場となったグランパレ(Grand Palais)に目を惹かれました。日本が躍進する出発点について、想いを馳せたのです。今回は、このことについてお話しさせて頂きます。
100年以上も前の万博会場建物
7月29日に一つのニュースが飛び込んできました。フェンシングの加納虹輝選手が男子エペ個人で金メダルを獲得したというのです。当該個人種目で日本選手が金メダルを獲得するのは初めてとのこと、喜ばしい快挙です。
そのニュースを見ているうちに、天井の高い巨大な空間にも興味が湧きました。調べたところパリのグランパレとのこと。1900年パリ万国博覧会のために建てられた、石造りに鉄製の大胆なアール・デコの装飾が施された初期ボザール建築典型例とされるファサードを持ちながら、屋根は鉄とガラスで覆われている巨大で壮麗な建物です。現在ではグランパレ・ナショナル・ギャラリー(国立グランパレ美術館)と科学技術博物館(発見の殿堂)として使用されているそうです。
当該パリ万博は19世紀最後の年(世紀末)を飾ると共に新世紀の幕開けを祝う意味も込めて、第2回近代オリンピックに合わせて1900年4月14日から11月12日まで開催されました。各国が当時最先端の技術を誇示する施設等を展示、その中には今では当たり前となったエスカレーターもあったそうです。開催期間中は過去最大となるおよそ4800万人が訪れたそうです。
1900年博は1855年以降にパリで開催された万博として5回目だそうです。当時の万国博覧会では第1回ロンドンの水晶宮から壮麗な建物がシンボルとなっており、次のパリで最初の万博では産業宮、日本が初めて参加した2回目パリ万博では490m×380mのメインパビリオン、3回目ではトロカデロ宮とシャン・ド・マルス公園の巨大なパビリオン、そして4回目では今でもパリの代名詞であるエッフェル塔と機械館が供されました。第5回のグランパレはこれらに続く、時代を現す建物だったのです。
第2回パリ万博に参加した渋沢栄一
このようにまとめてみると、7月から流通し始めた新紙幣1万円札の顔、渋沢栄一に想いが至ります。渋沢は1867年第2回パリ万博に御勘定格陸軍附調役(会計係兼書記)として参加しました。フランス皇帝ナポレオン三世からの元首招請と出品要請を受けて将軍慶喜の弟、徳川昭武が名代として派遣される随員として参加したのです。
渋沢栄一は渡航における庶務と会計で手腕を発揮した他、経済やそれを支える会社の実態・仕組み等を調査・研究したと言われています。その成果が帰国後の第一国立銀行の創設や500にも及ぶ会社設立に繋がっていることは皆さんもよくご存じのことでしょう。
今回、オリンピック大会フェンシング会場から150年以上も前の万国博覧会に想いを馳せたのは「同じ光景を見た人が20人以上いたとしても、その受け取り方は様々で、産業ひいては社会構造まで幅広に学び、それを日本独自の形で発展させようとしたのは渋沢栄一ただ一人であった」ことを改めて感じたからです。もちろん、その他の人々も無感動ではなかったでしょう。明治の官僚として活躍した人も多くおられ、中には軍人になった人もおられます。その中で、産業人として尽力し明治からの日本発展の原動力となったのは渋沢栄一でした。もしかしたら最後になるかもしれないと噂される紙幣の顔に渋沢栄一が選ばれたことを、とても感慨深く感じています。
一方で本記事は渋沢栄一だけを「偉大な人だ」と持ち上げる趣旨ではありません。渋沢栄一という人物がいなかったら日本の発展はもう少し遅れた、あるいはその後の姿とは違っていただろうと推察されますが、その後の今に至るまでの発展は渋沢栄一だけで、あるいは渋沢栄一をメインキャストとして成し遂げられた訳ではありません。
同時代に活躍してしのぎを削った岩崎弥太郎や五代友厚、あるいは直接的にはまみえることのなかった人々、そして後世に彼らの功績を引き継いだ人々の力も不可欠でした。そのような人々の「複雑系」が今の日本の礎になっていると考えられます。
今を見直すと、時代を切り拓く人材に不足はないと思います(もちろん、もっと増えると嬉しいとは思います)。失われた30年を脱却し輝かしい日本を子供たちに受け継ぐにはどうすれば良いのか、今を過ごす私たちが複雑系を形成、取り組んでいきたいと考えた次第です。
本コラムの印刷版を用意しています
本コラムでは、印刷版を用意しています。印刷版はA4用紙一枚にまとまっているのでとても読みやすくなっています。印刷版を利用して、是非、未来を掴んでみてください。
なお、冒頭の写真は Copilot デザイナー により作成したものです。
プロフィール
中小企業診断士事務所 StrateCutions 代表
合同会社StrateCutions HRD 代表社員
落藤 伸夫
早稲田大学政治経済学部卒(1985 年)
Bond-BBT MBA 課程修了(2008 年)
中小企業診断士登録(1999 年)
1985 年 中小企業信用保険公庫(日本政策金融公庫)入庫
2014 年 日本政策金融公庫退職
2015 年 中小企業診断士事務所StrateCutions 開設
2018 年 合同会社StrateCutions HRD 設立
Webサイト:StrateCutions
- 第57回 「好ましいインフレ」を目指す取組
- 第56回 「好ましいインフレ」を目指す
- 第55回 地域の未掴をエコシステムとして描く
- 第54回 地域の未掴はどのようにして探すのか
- 第53回 日本の未来を拓く構想と新しい機関
- 第52回 新政権に期待すること
- 第51回 日本ならではの外貨獲得力案
- 第50回 未掴を掴む原動力を歴史的に探る
- 第49回 明治時代の未掴、今の未掴
- 第48回 オリンピック会場から想起した日本の出発点
- 第47回 都知事選ポスターから考える日本の方向性
- 第46回 都知事選ポスター問題で見えたこと
- 第45回 閉塞感を打ち破る原動力となる「気概」
- 第44回 競争力低下を憂いて発展戦略を探る
- 第43回 中小企業の生産性を向上させる方法
- 第42回 中小企業の生産性問題を考える
- 第41回 資本主義が新しくなるのか別の主義が出現するのか
- 第40回 「新しい資本主義」をどのように捉えるか
- 第39回 日本GDPを改善する2つのアプローチ
- 第38回 イノベーションで何を目指すのか?
- 第37回 日本で「失われた〇年」が続く理由
- 第36回 イノベーションは思考法で実現する?!
- 第35回 高付加価値化へのイノベーション
- 第34回 2024年スタートに高付加価値化を誓う
- 第33回 生成AIで新価値を創造できる人になる
- 第32回 生成AIで価値を付け加える
- 第31回 価値を付け足していく方法
- 第30回 新しい資本主義の付加価値付けとは?
- 第29回 新しい資本主義でのマーケティング
- 第28回 新しい資本主義での付加価値生産
- 第27回 新しい資本主義で目指すべき方向性
- 第26回 新しい資本主義に乗じ、対処する
- 第25回 「新しい資本主義」を考える
- 第24回 ChatGPTから5.0社会の「肝」を探る
- 第23回 ChatGPTから垣間見る5.0社会
- 第22回 中小企業がイノベーションのタネを生める「時」
- 第21回 中小企業がイノベーションのタネを生む
- 第20回 イノベーションにおける中小企業の新たな役割
- 第19回 中小企業もイノベーションの主体になれる
- 第18回 横階層がイノベーションを実現する訳
- 第17回 イノベーションが実現する産業構造
- 第16回 ビジネスモデルを戦略的に発展させる
- 第15回 熟したイノベーションを高度利用する
- 第14回 イノベーションを総合力で実現する
- 第13回 日本のイノベーションが低調な一因
- 第12回 ミスコンから学んだ将来の掴み方(2)
- 第11回 ミスコンから学んだ将来の掴み方(1)
- 第10回 Futureを掴む人になる!
- 第9回 新しい世界を掴む年にしましょう
- 第8回 Society5.0・中小企業5.0実践企業
- 第7回 なぜ、中小企業も5.0なのか?
- 第6回 中小企業5.0
- 第5回 第5世代を担う「ティール組織」
- 第4回 「望めば叶う」の破壊力
- 第3回 5次元社会が未掴であること
- 第2回 目の前にある5次元社会
- 第1回 Future は来るものではない、掴むものだ。取り逃がすな!