第76回
HR分野におけるAIの活用とその課題
一般社団法人パーソナル雇用普及協会 萩原 京二
<はじめに>
人事(HR)部門は企業活動の要として、採用から評価、育成、定着まで多岐にわたる業務を担っています。近年、この人事領域においてもAI(人工知能)の活用が急速に進んでいます。2025年現在、日本企業の約65%がHR領域において何らかのAIツールを導入・検討していると言われており、その重要性は年々高まっています。
特に新型コロナウイルス後のハイブリッドワークの定着や、少子高齢化による労働力不足、そして働き方改革の推進など、HR部門を取り巻く環境変化に対応するため、多くの企業がAIを戦略的に活用し始めています。本稿では、HR分野におけるAI活用の具体的事例を紹介しながら、その課題と将来展望について考察します。
<AIがHR分野にもたらす変革>
1. 採用プロセスの効率化と精度向上
採用活動は多くの企業にとって時間と労力を要する重要なプロセスです。AIの導入により、この採用プロセスが大きく変革しています。
ソフトバンクの事例:動画面接評価のAI活用による選考時間70%削減
ソフトバンク株式会社では、2023年から新卒採用において動画面接のAI分析システムを導入しています。応募者の表情、声のトーン、使用する語彙などをAIが分析し、コミュニケーション能力や論理的思考力などを数値化。これにより、一次選考にかかる時間が従来と比較して約70%削減され、採用担当者は候補者との対話や企業文化とのマッチング評価など、より高度な判断に集中できるようになりました。
横浜銀行の事例:AIによるエントリーシート分析と書類選考時間の削減
横浜銀行では、年間数千件に及ぶエントリーシートの初期スクリーニングにAIを活用しています。自然言語処理技術により、過去の優秀社員のエントリーシートパターンを学習させたAIシステムが、新規応募者の適性を評価。特に文章構成力や問題解決姿勢などの項目で高い精度の分析を実現し、書類選考の工数を約40%削減しています。
2. 人事評価の客観性と効率性の向上
三井住友信託銀行の事例:AI活用360度評価ツール「GROW360」の導入
三井住友信託銀行では、2024年から全社的に「GROW360」と呼ばれるAI支援型の360度評価システムを導入しています。このシステムでは、従来の上司からの評価だけでなく、同僚や部下からのフィードバックをAIが統合・分析し、バイアスを軽減した評価結果を提供。さらに、評価者間の評価基準のばらつきを自動的に補正する機能も備えており、より公平で一貫性のある人事評価を実現しています。
明治安田生命の事例:AIによる従業員の行動特性の定量化
明治安田生命保険相互会社では、約4万人の従業員の日常業務での行動データをAIで分析し、チーム内での協調性や顧客満足度への貢献度などを数値化するシステムを開発。これにより、従来は主観的評価に頼りがちだった「ソフトスキル」の評価を客観化し、人事評価の納得性向上と精度向上を両立させています。
3. 人材配置と育成の最適化
サイバーエージェントの事例:「人材化学センター」によるデータ駆動型人材配置
株式会社サイバーエージェントでは、2022年から「人材化学センター」と名付けられたAI人材マッチングシステムを運用しています。このシステムは、従業員のスキル、性格特性、過去のプロジェクト実績、キャリア希望などのデータから、最適なプロジェクト配置を提案。特に新規事業立ち上げなど、多様なスキルセットが求められるチーム編成において効果を発揮し、プロジェクト成功率が約25%向上したと報告されています。
NECソリューションイノベータの事例:自治体の人事異動業務効率化AI
NECソリューションイノベータ株式会社は、自治体向けの人事異動最適化AIシステムを開発。このシステムは公務員の業務経験、能力評価、本人希望などの複雑な条件を考慮し、最適な人員配置を提案します。神奈川県の一部自治体での導入では、人事異動案作成の工数が約60%削減され、さらに職員のキャリア形成と行政サービスの質の両立に寄与しています。
4. 従業員サポートの強化
ホクト株式会社の事例:AIチャットボット「hitTO」による24時間問い合わせ対応
キノコ生産大手のホクト株式会社では、2023年にAIチャットボット「hitTO」を導入し、全国の生産拠点で働く従業員の人事関連問い合わせに24時間対応できる体制を構築しました。福利厚生や就業規則に関する一般的な質問から、給与明細の見方、休暇申請の方法まで、幅広い問い合わせに自動対応。特に交代制勤務が多い生産現場では、従来は対応が難しかった時間外の問い合わせにも対応でき、従業員満足度調査では導入前と比較して約30%向上という結果が出ています。
<AI導入における課題>
1. データの品質と偏り
AIシステムは学習データの質に大きく依存します。過去の採用データに性別や年齢によるバイアスが含まれていると、そのバイアスを学習してしまう危険性があります。実際に、ある大手電機メーカーでは、過去10年間の採用データを基にしたAI選考システムが無意識に理系男性を優先する傾向が見られ、システム改修を余儀なくされました。AIシステムの公平性を確保するためには、学習データの選定と前処理、そして継続的なモニタリングが不可欠です。
2. プライバシーとセキュリティの懸念
HR領域では、従業員の個人情報や評価情報など、極めて機密性の高いデータを扱います。AIシステムの導入により、これらのデータがより大規模に集約・分析されることになり、情報漏洩やプライバシー侵害のリスクも高まります。2024年には、ある人材サービス企業でAI採用システムのセキュリティ脆弱性による情報流出事件が発生したことは記憶に新しく、AIシステムのセキュリティ強化とプライバシー保護の両立が重要な課題となっています。
3. 従業員の受容度と心理的抵抗
AIによる評価や配置に対する従業員の心理的抵抗も大きな課題です。「AIに判断されることへの不安」や「人間による対応との比較による不満」など、新技術導入に伴う心理的障壁は少なくありません。日本経済団体連合会の2024年の調査によれば、HR領域でのAI活用に「不安を感じる」と回答した従業員は約57%に上っています。技術導入と並行して、従業員への丁寧な説明と理解促進、そして段階的な導入が必要です。
4. 人間の判断との適切な融合
AIの判断はあくまでも参考情報であり、最終的な意思決定は人間が行うべきというバランスの取り方も重要です。特に採用や評価など、個人の将来に大きく影響する判断においては、AIと人間の役割分担を明確にしておく必要があります。しかし実際には、AI判断への過度な依存(オートメーションバイアス)や逆にAI提案の軽視といった問題も見られ、適切な役割分担の構築は容易ではありません。
<今後の展望>
・グローバル人材市場の変化に対応するAIの進化
グローバル競争の激化と人材の国際流動性の高まりにより、企業は多様な背景を持つ人材の採用・育成・評価を迫られています。今後のAIシステムは、異なる文化的背景や価値観を考慮した評価基準の自動調整や、多言語対応の充実などが進むと予想されます。特に日本企業の海外展開に伴う現地採用と本社採用の一元管理など、グローバル人材マネジメントにおけるAIの役割はさらに重要性を増すでしょう。
・AIと人間の協働による新しいHRの形の模索
将来的には、AI技術の進化により「AIが基本的なHR業務を担い、人間はより戦略的・創造的な業務に注力する」という役割分担が進むと予測されています。例えば、定型的な評価や福利厚生の管理などはAIが行い、キャリア開発支援や組織文化の醸成など、人間の感性や経験が必要な領域に人事担当者がより多くの時間を割けるようになるでしょう。この新しい協働モデルの構築こそが、HR部門の次なる課題と言えます。
<結論>
HR分野におけるAI活用は、業務効率化だけでなく、より公平で効果的な人材マネジメントを実現する可能性を秘めています。しかし、その導入には技術的課題だけでなく、倫理的・社会的な配慮も必要です。
特に重要なのは、AIはあくまで「人を支援するツール」であるという認識を常に持ち続けることです。人事の本質は人と人とのつながりにあり、それを補完し強化するためにAIを活用するという視点を忘れてはなりません。
また、HR部門自体も、単なる管理部門からビジネス変革を推進する戦略的パートナーへと進化することが求められています。AIによる定型業務の自動化により生まれた時間と資源を、従業員エンゲージメントの向上や組織文化の醸成など、より付加価値の高い活動に振り向けることが、これからのHR部門の使命と言えるでしょう。
テクノロジーの進化とともに、「人」を大切にする人事の原点に立ち返りながら、AIと人間の最適な協働モデルを構築していくことが、企業の持続的成長と従業員の幸福の両立につながるのです。
プロフィール
一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二
1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。
Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会
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