第75回
変化する採用市場と学生・企業のあるべき姿勢
一般社団法人パーソナル雇用普及協会 萩原 京二
1. 採用市場の現状
近年の採用市場は大きな変化の波にさらされています。大学生の就職内定率は高水準を維持し、多くの企業が積極的な採用姿勢を示しています。少子高齢化による労働人口の減少を背景に、優秀な人材の確保は企業の持続的成長において最重要課題となっているのです。厚生労働省の調査によれば、新卒者の就職内定率は例年95%を超える水準で推移しており、特に理系人材や情報技術分野の学生に対する需要は極めて高い状況が続いています。
一方で、デジタル技術の進展によるAIやRPAの導入など、業務の自動化・省人化の動きも加速しています。単純作業や定型業務を中心に、テクノロジーによる代替が進む中、人材に求められるスキルセットも大きく変化しています。創造性、問題解決能力、コミュニケーション能力など、機械では代替困難な能力の重要性が増しているのです。
このような二面性を持つ環境の中で、企業の採用ニーズはより専門性の高い、変化に対応できる人材へとシフトしつつあります。また、採用活動の早期化・通年化が進み、従来の新卒一括採用の枠組みが徐々に崩れていく兆しも見えています。実際に、サマーインターンシップの参加が事実上の早期選考になっているケースや、秋採用・通年採用を導入する企業の増加など、採用スケジュールの多様化が進んでいます。
このような変化は、グローバル化やデジタル革新といった大きな時代の流れを背景としています。日本企業が国際競争力を維持するためには、柔軟な採用戦略と人材育成が不可欠となっているのです。
2. 早期化がもたらすメリットとデメリット
<メリット:学生の選択肢拡大と企業の計画的採用>
採用活動の早期化は、学生にとって就職機会の拡大というメリットをもたらしています。複数の内定を得る可能性が高まり、自分に合った企業を選ぶ選択肢が広がっています。また、早期に内定を獲得することで、残りの学生生活を卒業研究や資格取得など、自己成長のために有効活用できるという利点もあります。精神的な余裕を持って学生生活の締めくくりを過ごせることは、社会人としてのスタートを切る上でも好ましい影響をもたらすでしょう。
企業側にとっても、計画的な採用活動が可能になるというメリットがあります。早期に優秀な人材を確保することで、新卒者の配属計画や研修プログラムを余裕を持って準備できるほか、採用予定数に満たない場合の追加採用の時間的余裕も生まれます。また、早期から内定者とのコミュニケーションを深めることで、入社前教育や企業文化への理解促進も図りやすくなります。
さらに、インターンシップなど早期の接点が増えることで、企業と学生の相互理解が深まり、ミスマッチを防ぐ効果も期待できます。実際の職場体験を通じて企業文化や仕事内容を理解した上での選考は、双方にとって納得感のある採用につながりやすいのです。
<デメリット:焦りによる意思決定と学業への影響>
しかし、その一方でデメリットも無視できません。早期化の流れに乗り遅れまいという焦りから、十分な企業研究や自己分析を行わないまま意思決定をしてしまう学生も少なくありません。「とりあえず内定」の心理が働き、本来であればより相性の良い企業や職種を見つけられた可能性があるにもかかわらず、早期の安心を求めて妥協してしまうケースも見られます。
また、就職活動と学業の両立が難しくなり、大学での学びが犠牲になるケースも増えています。本来大学で培うべき専門知識や思考力の習得が不十分なまま社会に出ることは、長期的なキャリア形成においてマイナスとなる可能性があります。特に高度な専門性が求められる理系分野では、研究活動と就職活動の両立の難しさが指摘されています。
企業側にとっても、早期化によって採用コストが増大するというデメリットがあります。従来の一括採用に比べ、長期間にわたる選考活動は人的・金銭的リソースの負担増につながります。また、早期に内定を出した学生が他社からのより好条件のオファーで辞退するリスクも高まるため、内定辞退対策にも追加のリソースが必要となっています。
教育機関の視点からも、学生の早期就職活動によって大学本来の教育機能が損なわれるという懸念があります。特に3年次後半から4年次前半にかけては、専門教育の集大成となる時期であるにもかかわらず、就職活動のために授業や研究活動への参加が制限されるという問題が生じています。
3. 企業と学生のミスマッチリスク
<ミスマッチの実態と原因>
早期化が進む採用市場において最も懸念されるのは、企業と学生のミスマッチです。十分な情報収集や相互理解が不足したまま採用・入社決定がなされると、入社後に「想像していた仕事と違う」「企業文化に馴染めない」といった理由での早期離職につながりやすくなります。
実際、厚生労働省の調査によれば、新卒入社3年以内の離職率は大卒で約3割、高卒で約4割と依然として高い水準にあります。これは学生と企業の双方にとって大きな損失となっています。学生側は貴重な時間とエネルギーを費やし、企業側は採用コストと初期教育投資が無駄になってしまうからです。一人の新卒社員を採用し、基本的な教育を施すまでにかかるコストは数百万円とも言われており、その損失は決して小さくありません。
ミスマッチの主な原因としては、以下のような要素が考えられます。
・不十分な企業研究
表面的な企業イメージや知名度だけで選考を受け、事業内容や企業文化への理解が不足している
・自己分析の甘さ
自分の適性や価値観を十分に理解しないまま、周囲の動向に流されて意思決定を行う
・情報の非対称性
企業側が良い面ばかりを強調し、仕事の厳しさや組織の課題などがブラックボックス化している
・短期的視点での選択
初任給や福利厚生など目先の条件だけで判断し、長期的なキャリア形成の視点が欠けている
<長期的キャリア形成の視点の重要性>
このミスマッチを防ぐためには、長期的なキャリア形成の視点が重要です。目先の条件だけでなく、5年後、10年後のキャリアビジョンを見据えた企業選びや、自己の成長可能性を重視した意思決定が求められます。
特に重要なのは、単なる「就職」ではなく「キャリア形成のスタート地点」として企業選びを捉える視点です。初めの数年間でどのようなスキルや経験を積めるか、どのような先輩社員や上司から学べるか、自分の価値観と企業理念は合致しているか、といった点を慎重に検討することが大切です。
また、変化の激しい現代社会においては、一つの企業に長く勤めるという従来型のキャリアパスだけでなく、複数の企業や職種を経験しながら自己の市場価値を高めていくという選択肢も増えています。そうした多様なキャリアパスを視野に入れた上で、最初のステップとして何を選ぶかを考えることも重要です。
企業側も、単に「人手が欲しい」という短期的な視点ではなく、採用した人材が自社でどのように成長し、どのような価値を生み出していくかという長期的な視点を持つことが求められます。そのためには、採用時点での適性だけでなく、成長可能性や学習意欲を重視した選考基準の設定が不可欠です。
4. これからの就活に求められる姿勢
<学生に求められるもの>
変化する採用環境の中で、学生には以下のような姿勢が求められます。
まず第一に、深い自己理解です。自分の価値観、強み、興味関心を明確にし、それに基づいた企業研究を行うことが重要です。表面的な企業イメージではなく、企業理念や事業内容、職場環境などの本質的な部分を理解し、自分との適合性を判断する姿勢が必要です。これには、OB・OG訪問やインターンシップなど、実際の社員と接する機会を積極的に活用することが効果的です。
次に、柔軟な対応力の育成です。変化の激しい時代において、一つの技術や知識だけでは通用しません。大学での学びを深めつつ、インターンシップやプロジェクト活動など多様な経験を通じて、変化に対応できる力を養うことが重要です。特に、異なる背景を持つ人々との協働経験や、予測不能な状況での問題解決経験は、将来のキャリアにおいて大きな資産となります。
また、情報リテラシーの向上も不可欠です。膨大な企業情報や就職関連情報の中から、信頼性の高い情報を見極め、自分に必要な情報を効率的に収集・分析する能力が求められます。SNSやクチコミサイトの情報も参考にしつつ、それだけに頼らない批判的思考も重要です。
さらに、早期化の流れに振り回されない自律性も大切です。周囲の動向に流されるのではなく、自分のペースで就職活動を進める勇気を持つことが、結果的には自分に合った企業との出会いにつながります。場合によっては、卒業時期を遅らせてでも学業を優先するという選択肢も視野に入れるべきでしょう。
<企業に求められるもの>
一方、企業側にも変化が求められています。
まず、採用活動において学生との継続的なコミュニケーションを大切にすることです。一度や二度の面接だけでは相互理解は深まりません。インターンシップや企業説明会などの接点を増やし、企業の実態を正確に伝えることが重要です。その際、良い面だけでなく、仕事の厳しさや組織の課題なども含めた誠実な情報開示が、入社後のミスマッチ防止につながります。
次に、多様な採用チャネルの活用です。従来の新卒一括採用だけでなく、長期インターンシップやジョブ型採用、通年採用など、多様な入口を設けることで、様々なバックグラウンドや価値観を持つ人材の確保が可能になります。特に、特定のスキルや経験を持つ人材を求める場合、従来の新卒一括採用の枠組みにこだわらない柔軟な採用戦略が効果的です。
また、若い世代が魅力を感じる職場環境の整備も不可欠です。単に待遇面だけでなく、成長機会の提供、働き方の柔軟性、社会的意義のある仕事など、多様な価値観に応える環境づくりが求められています。特に近年の若者は、ワークライフバランスや社会貢献、自己成長の機会を重視する傾向が強まっており、そうしたニーズに応える組織文化の構築が人材確保の鍵となります。
さらに、入社後の人材育成・定着にも力を入れることが重要です。採用活動の早期化によって採用数を確保できたとしても、入社後の育成や職場環境に問題があれば早期離職につながります。メンター制度の充実や定期的なキャリア面談、適切なフィードバックの提供など、若手社員の成長をサポートする仕組みづくりが求められます。
5. 結論:バランスの取れた採用活動の重要性
採用活動の早期化は、時代の流れとして避けられない側面があります。重要なのは、その流れに振り回されるのではなく、早期化のメリットを活かしつつ、そのデメリットを最小化する方策を見出すことです。
学生側は焦りに流されず、自己理解と企業研究に十分な時間をかけること。特に、表面的な企業イメージだけでなく、仕事内容や企業文化、成長機会などの本質的な部分を理解した上で意思決定を行うことが重要です。また、大学での学びを疎かにせず、専門知識や思考力の習得にも力を入れることが、長期的なキャリア形成において大きな資産となります。
企業側は短期的な人材確保だけでなく、学生の成長と自社の人材育成を両立させる視点を持つこと。採用活動においては、自社の魅力を伝えるだけでなく、仕事の実態や求める人材像を正確に伝えることで、ミスマッチを防ぐ努力が求められます。また、入社後の育成体制や職場環境の整備にも力を入れ、採用した人材が長期的に活躍できる土壌を作ることが重要です。
そして教育機関も含めた社会全体で、若者のキャリア形成を支援する体制を整えることが求められています。大学におけるキャリア教育の充実や、産学連携によるインターンシッププログラムの開発、就職活動と学業の両立を支援する制度の整備など、多様な取り組みが必要です。
バランスの取れた採用活動とは、学生と企業の双方が「Win-Win」の関係を築けるものであるべきです。それは単に就職率や採用数だけでは測れない、個人の成長と企業の発展、ひいては社会全体の持続的な発展につながる重要な取り組みなのです。
採用市場の早期化は今後も進むと予想されますが、その中でも本質的な価値を見失わないことが重要です。就職とは単なる「マッチング」ではなく、個人のキャリア形成と企業の持続的発展を支える重要なプロセスです。その本質を理解し、短期的な利益に振り回されない姿勢こそが、学生と企業の双方にとって真の意味での成功につながるのではないでしょうか。
プロフィール
一般社団法人パーソナル雇用普及協会
代表理事 萩原 京二
1963年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。株式会社東芝(1986年4月~1995年9月)、ソニー生命保険株式会社(1995年10月~1999年5月)への勤務を経て、1998年社労士として開業。顧問先を1件も持たず、職員を雇わずに、たった1人で年商1億円を稼ぐカリスマ社労士になる。そのノウハウを体系化して「社労士事務所の経営コンサルタント」へと転身。現在では、200事務所を擁する会員制度(コミュニティー)を運営し、会員事務所を介して約4000社の中小企業の経営支援を行っている。2023年7月、一般社団法人パーソナル雇用普及協会を設立し、代表理事に就任。「ニッポンの働き方を変える」を合言葉に、個人のライフスタイルに合わせて自由な働き方ができる「パーソナル雇用制度」の普及活動に取り組んでいる。
Webサイト:一般社団法人パーソナル雇用普及協会
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